rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

1年4ヶ月ぶりの那須は、雪が舞っていた

2012-04-09 23:54:20 | 旅先から
4月3日、久しぶり、1年4ヶ月ご無沙汰の那須。
日本列島に、爆弾低気圧による暴風警報が発令されていた。
関東は、夕方がピークとの予想。
中くらいの人を待って、正午前に出発。
道中不安を抱えながらではあったが、本格的に雨の降り出した頃、父母の待つ那須に着いた。

横殴りの風雨の中、せっかくだからといつもの日帰り温泉へ。
平日の、このような悪天候では、宿泊客もまばらで、ゆったりと温泉を楽しむことができた。
シベリアからの寒気が上空に流れ込んでいたために、気温は低い。
父母の別荘にある薪ストーブの炎は、温泉で芯から温まった体を冷めさせない。
ぱちぱちと燃える炎でくつろぐ、じんわり心も温まる時間。
よき思い出が、紡がれるときでもある。

明けて朝、なんと雪が舞っている。
クヌギの木々の枝の間に間を、雪が通り抜けていく。
家の中は床も壁も暖かく、外の寒さを思い出せない。
しかし、今は4月。
積もることのない春の雪。
風に流されては、消えてゆく。
外で体が冷えたなら、また温泉へ行こう。
次は、打たせ湯のある老舗温泉。
そこは、別荘よりも150メートルくらい高いところにあるからだろう、木々に雪の華が咲いている。
時折雪の華が舞い込む露天風呂で、空に浮かぶ白い月を眺めながら湯に浸る、なんと風流で贅沢なのだろう。
ちょっとしたことでも非日常は、心身ともにリフレッシュしてくれるのだ。
だから、普段の生活にない薪ストーブも、そんな非日常を演出してくれる大事な要素になっている。
夏、木に囲まれた谷地にあるこの家は、涼しく快適であっても、薪ストーブを焚ける寒い季節に敵わないと思うのだ。

最終日、焼きたてのパンを求めたその足で、茶臼岳の展望駐車場まで行ってみる。
雪はまだ多く残っているが、春の陽射しを浴びて溶け出した水が、アスファルトを川にしていた。
2泊3日の那須の休日は、これでおしまい。
次回はいつになることか。、
なるべく人の少ないときがいい。
とくに季節の変わり目は、標高差が季節をいくつか同時に見せてくれるのでなおいい。
刺激少なく地味だけれど、ゆったりと過ごす非日常は、一番のセラピスト。
そして、かけがえのない幸せな思い出になる。







シチリアーヴァル・ディ・ノート、後期バロックの街並み

2012-04-09 00:33:19 | 街たち
NHKの番組”江口トラベル”の、多分再放送をみた。
イタリアのシチリア島南部に位置する、ヴァル・ディ・ノートという後期バロック様式の街並みが残る8つの街の総称、そこのモディカを紹介していた。
丘陵地に造られた石造りの街は、1693年の大地震で壊滅的被害を受けた。
しかし、住民の街を愛する心と不屈の精神で、見事に街は建て直され、今に至る。
その誇りが、当時の面影を壊さないように街の保存に大いに貢献しているのだ。

街には、こと細かく決められた街を守るための条例がある。
建物を修理するとき、瓦は当時と同じような素材の瓦を使うこと。
窓は、木製で回りに馴染む色にすること。
エアコンなどの室外機を、目立つところに置かないこと。
配管類は、指定の素焼きの菅で被うこと。
ネオンサインや、派手な電飾は禁止など、実に具体的な内容だ。
もっとも、人は都合に合わせて勝手に解釈するから、こうでもしないと強制力をもてない。
そのあたりのところを良く踏まえていると、人の弱点を客観視しているなと、感心した。
街の保存をしっかりすることは、そこに住む人のメンタリティーの充足をもたらし、街の価値を高め、観光産業を充実し、人口と生活基盤の確保ができる。
先祖の遺産を有効活用して、未来に続けるなんて、理想的ではないか。

過去を葬らない姿勢は、いたるところに残っているようだ。
ほとんどの人が興味を持つ、食。
スペインに統治されていた大航海時代、確かメキシコからもたらされたカカオを使ったチョコレートの製造法が、今もなお続くことだ。
45度の低温で煉られたカカオに砂糖を混ぜてチョコレートを作ると、カカオの香りが強く引き立つという。
食感は、カカオと砂糖が溶け合わさっていない、砂糖のざらつきが残るらしい。
また、航海時代の保存食として作られた、牛肉のミンチとカカオを混ぜ合わせたものをラビオリの皮で包み焼いたものがある。
なんと、一ヶ月もつ優れもので、栄養価も高い。
今でも、市民の携帯栄養補給食として、食べられている。

坂が多く、道は狭い。
便利で暮らしやすいかといったら、そうともいえないようだ。
人によって、物事を量る価値観はさまざま。
不便さを厭わないことで、得られるものもあるだろう。
ヴァル・ディ・ノート、モディカは、人が暮らすことに充足感を持つとはどういうことか、目先の簡単に入る利便性でつくられた暮らしをしている我々に、問いを投げかけている。

まだ訪れたことのない街モディカ。
坂と階段は、体に堪えるけれども、そこに住む人が誇りをもてる街にしばらく住み、暮らすを充足感が得られるかどうか、この身で確かめてみたい、そう思うのであった。