桜は、すっかり葉桜へと変貌してしまった。
庭の風溜まりには、桜の落ちた花びらが、まだ微かにその色を留めて名残尽きぬように固まっている。
河合玉堂の六曲一双の屏風絵”行く春”は、まだ散り終わらぬ桜の花びらが、川面を桜色に染めて豪奢で雅やかな一場面を描いている。
桜をこよなく愛する日本人ならば、誰もが思い描く風景ではなかろうか。
そして、日本人の死生観をそれとなく表しているとも思える。
美しくも花の儚く短い一生は、散って川となって流れ、他のものの礎となり、また命は廻っていくのだと。
西洋中東にはない、東洋的感覚。
玉堂は、明治から昭和の戦後にかけて激変する時代・価値観を体験した画家。
1916年の作である”行く春”を、玉堂はどのような面持ちで描いたのだろうか。
ただ美しいばかりではない、ぴんと張り詰めた冷涼な雰囲気の漂う桜流れるこの渓流を。