cat&bird
枯れた芝生に、緑色の元気な雑草が春だ春だと育っている。
植木鉢や縁側あたりをすばやく走るクモの姿、花の蜜を吸おうとする虫、ウグイスも鳴き始め、春が幅を利かせてきた。
陽の降り注ぐ枯れ色の芝は、ねこの特等席だった。
今でもごろんと横たわるねこの気配を感じることがある。
きっと、ねこはいたるところに分身を置いていったのだろう。
パウル・クレーの”ねこと鳥”のねこの顔は、あのねこと表情が似通っている。
よくそんな顔をして、どこからかひょっこりと現れいつの間にか近くに座っていたものだ。
今日、SNSでときどき交流のある方が、ねこの死を悼んでくださった。
その方の大切なねこも、我が家のねこより先に虹の橋を渡っていたので、ことのほか心を痛めてくださった。
さらに、ねこのことをよく覚えていらして、何よりの供養を頂いた。
未練とは違う、その存在を忘れないということこそが大切だと考える。
ねこと時間をともにした楽しい思い出を、私は忘れないだろう。
写真もたくさんあるけれど、クレーの絵もねこの面影をとどめているから。
Pierrot Lunaire