rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

なぜだか、砂漠に惹かれてしまう。アリゾナ:フェニックス

2011-12-18 00:24:07 | 街たち
今日の「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」は、アメリカのアリゾナ州フェニックス。
寝坊したので、腰を据えてテレビを見られなかったけれど、ちょっとだけ書こう。
フェニックスは、年間の晴天日が300日以上ある、乾燥地帯にある街。
人口200万の大都市で、近くにはグランドキャニオンやパワースポットで有名なとことがあるという。
赤褐色の鮮やかな大地と岩に覆われ、大きな緑のサボテンが、補色で彩をいっそう鮮やかに引き立てている。

自分の砂漠好きは、いつから始まったのかというと、「星の王子様」を読んだ小学5年生からだと思う。
だから、サハラ砂漠の明るいベージュが基本の色合いだ。
しかし、アリゾナの焼けた赤褐色の色も、強く惹かれてしまう。
アメリカで一番行ってみたいところは、グランドキャニオン。
赤い大地と青い空は、なんとも魅力的だ。
そこで見る夜空も、幻想的だろうと想像する。
”星の王子様”ならぬ”宇宙人”に未知との遭遇できるかもしれないし。
砂漠の、荒涼とした構成要素の少ない環境が、かえって想像力を活気してくれるのだろうか。
ジャングルの、過剰すぎる豊饒の大地にいると、自分が飲み込まれ取り込まれてしまう同化の恐怖が、自分を砂漠に向けさせている・・・
もちろん、どちらにしても過酷、砂漠はより生命にとって過酷といえよう。
イメージとしての砂漠に憧れている、甘い考え。
それでも、惹きつける力を砂漠は持っている。

アリゾナ・・・砂漠・・・地球の証人グランドキャニオン・・・行ってみたい。

ハードな鉄からフレキシブルなアートへ、スペイン:ビルバオ

2011-12-17 12:24:15 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」スペインのバスク地方、かつて鉄鋼業で栄えたビルバオ。
ビルバオ川がビスケー湾に合流する川沿いに拓かれた街。
人口36万人と都市の規模も大きく、鉄鋼業が盛んだった頃を偲ばせる。

川にかかるビスカヤ橋は、1893年に運搬橋として造られ、世界遺産に登録されている。
今までに運行した総距離は地球を31周、運んだ人は6億人を超えるという。
その橋は特徴的で、高さ45メートル以上の鉄の橋げたから、ワイヤーで貨物車両みたいなものを吊るして移動させ、人と自動車の両方を運ぶ。
それというのも、鉄鋼場への大型運搬船の出入りを妨げないために、可動式の運搬方式をとったからだ。
なんと、その橋げたの上を歩いて渡れるように歩道がもうけてあるらしい。
海風の吹き上げる空中散歩、スリルと爽快感を満喫できそうだ。

街を支えた鉄鋼業も時代とともに衰退し、今は、アートで街を盛り上げる取り組みをしている。
かつての鉄工所あとに、現代美術を中心としたグッゲンハイム美術館が建っている。
グッゲンハイム美術館といえば、本来はニューヨークなのだが、その分館といったものなのだろうか。
その建物も、また趣向を凝らしていて、前から見ると船の先端に見え、横からはカタツムリ、上からはバラに見えるのだとか。
街の中至る所に、オブジェや壁画プレートが置かれている。
なかには、日本のゲームのキャラクターがあったりして、遊び心満点。

ビルバオは、スペインとフランスにまたがる自治権を獲得したバスク地方の一都市。
バスク地方には、ピカソの絵で有名な”ゲルニカ”という街がある。
独自の文化に誇りを持つバスク人を快く思わない、スペインのフランコの依頼によってドイツ軍が爆撃を加え、二千人以上の犠牲を出した惨劇を描いた絵だ。
その街にある”ゲルニカの木”は、バスクの伝統と自由を象徴するものとして立っている。
また、バスク地方のある特色に、男達がかぶるベレー帽がある。
ビルバオは、黒のベレー帽を、後を丸く、前を浅くかぶる。
サンセバスチャンは、少し小さめの青のベレー帽を、後を丸く、片方を丸く、もう片方を浅くかぶる。
フランス側のバスク地方は、白のベレー帽を、ビルバオと逆のかぶりかた。
しかも、ビルバオでは、その習慣を”チャペラ”といっている。
そこからも、伝統を重んじ団結の強いバスクの民をみてとれる。

ビルバオには、”7つの通り”という曲があるという。
陽気にその曲を、そろいのベレー帽をかぶった年配の男達が演奏していた。
彼らは、そのまま、馴染みのバル(居酒屋)にはいって、常連の人たちと酒を飲み、おしゃべりし歌う。
”チェキーロ”とは、小さいグラスで酒を飲みはしごすること。
丘の上の高台にある準旧市街といったところの一角で、男だけの秘密料理クラブを楽しむ人たちがいた。
ビルバオの女は強いので、料理好きの男達は肩身が狭く、家庭ではその趣味を発揮できない。
だから、同じ趣味を持った男達で料理クラブを立ち上げたらしい。
それでも、このクラブの存在を嗅ぎつけた女達が入り込んで、テーブルについてしまった。
キッチンの中だけは死守したというが。
ともあれ、皆仲良く「食べることは人間の義務だから、楽しく過ごさないほうはない」とばかり、生を謳歌していた。

毎週日曜の夕方、60歳以上の男女が広場に集まり、ダンスやおしゃべりに興じる習慣がある。
みな、めいいっぱいのおしゃれをして、集うのだ。
その顔は、生きる喜びに満ち溢れ、目はきらきらと輝いている。
時には、新しいカップルも誕生し、人生楽しくやっている。

楽しく生き生きと生きることに、何の疚しいことがあろうか。
生きる屍が徘徊するようになってしまった国は、なんとも悲しむべきだろう。
先進国でも、自殺者が、しかも20から30代の自殺者が多い国は、異常すぎる。
生きることに疲れ、食べることの、笑うことの、息をすることの、喜びを感じられない。
生まれ出でた運命を呪うなんて、シェイクスピアの劇中だけでたくさんだ。
こんなに美しい国に生まれ落ちながら、足元の草花虫たちの、目を上げれば飛び交う鳥の囀りに揺れる木の葉流れる雲、命の尊い輝きに囲まれながら死せる心。
人の誇り、生の謳歌、。
我々が見失っているものは、なんて多いのだろう。

辛く厳しい過去を背負いながらも、バスクのビルバオに生きる人たち。
彼らに学ぶところが、多いような気がする。

2011年12月14日から15日、ふたご座流星群

2011-12-15 12:09:58 | 空・雲・星・太陽たち
昨夜、9時ごろの空は、薄雲が星を隠していた。
諦めつつ、ネットを眺めていたら、流れ星を見たとの言葉が流れてきた。
寝る前に、もう一度外に出て、空を見上げる。
さっきまでの薄雲は跡形もなく消え、すっきりと晴れ渡った夜空に、星々がきらきらと煌いていた。
満遍なく空を見回す。
視界の端、西の空に、煌く光の軌跡が捉えられた。
流れ星だ。
それから10分くらい後、東の空に美しい弧を描いて星が走る。
白銀に輝き、くっきりとした流れ星を見たのは、何年ぶりだろう。
心残りはあれど、今夜一晩星が降り続いているのだと自分に言い聞かせ、就寝した。

今朝、5時40分頃、中くらいの人の朝食を用意してから、キッチンの北窓から、西の空を眺める。
つうっと、白い光が流れた。
まだ、流れ星を期待できると、南に面したベランダに出て、空を見る。
東の空は、ほんのりとオレンジの光を帯び、太陽が昇る合図だ。
西の空には、三分の一欠けた月が、レモン色に浮かんでいる。
すると、月の下側に、一筋の光。
南には、長い軌跡を描いて落ち行く流れ星。
天頂には、南から北へかけて走り去る強い光が見えた。
ほかにも、控えめな流れ星たちも、現れたかと思う間もなく消えていった。
次第に強くなる朝焼けの光に、空に掛かる星たちは追いやられてしまう。
西の空がぼんやり明るくなると、そろそろ星たちの幕は下ろされる。
最後に、西に光った流れ星を見て、自分も日常に戻ろう。

10日の皆既月蝕に続いて、ふたご座流星群の素晴しいショーを満喫した年末。

星が、きらきらと降り注いでいるとき、遠くにある道路では、トラックの行き交う音とライトの流れが絶え間なく続く。
皆、同時に存在しているけれど、互いを知ることはない。
なにやら切なくやるせない気持ちと、何かきっぱりと割り切った世界・諦観、無常観が、胸に込み上げてきたのであった。

星は、宇宙は、ちっぽけな人の思いなどは関係なく、その運命をまっとうするだろう。
人の尺度では測れない、その永い時の一コマを、勝手に共有させてもらおう。
また、このつぎの流星群で。

いつから、人は道を見失い踏み外すのか?

2011-12-14 22:41:38 | つぶやき&ぼやき
今日の”相棒”、重い内容だった。
エネルギー資源に乏しい日本の救世主として、バイオエネルギーを開発する化学者たちの葛藤と、その末路。
理想と手段のすれ違い。
メタンハイドレート開発を推進しようという動きもある中、今の日本の状況に即して、皮肉たっぷりに思えた。

研究するには資金確保も重要だ。
研究者達は、資金を提供してくれる企業の意に副わざるを得ない状況で、いつしか化学者としての使命感と倫理観に覆いをかけてしまうことは、どの時代と国にも起こっている。
それを、化学者の責任とばかり、全てを押し付けてしまってはいけない。
利益のために、研究成果をいいように利用する資金提供者の倫理観も問うべき。
また、本来は公共の利益の為に独立して監視をすべき政府やジャーナリズムが、企業の言いなりに悪弊に蓋をし、偏った利益優先の片棒を担いでしまう状況も、正さなくてはならないだろう。

おそらく、誰しも初めは、世のため人のためと志を立てる。
しかし、いつしか、様々な障壁に出会い、軌道が少しづつずれていくと思われる。
政治家にしても、宗教家にしても、なににしても、大なり小なり、皆盲目になっていくのか。

でも、僅かな希望は、必ずといっていいほど、受け継がれてもいく。
もちろん、今夜の”相棒でも”、希望の入った試験管は次ぎへと託されたのであった。

やっと定まったかな、肉じゃがの作り方

2011-12-14 10:27:08 | 食べ物たち
家族のために料理をするようになって、早14年。
料理の作り方、味付けはいろいろあれど、試行錯誤でその家の定番が出来上がる。
この一年くらいで、家族みんなが喜ぶ”肉じゃが”が完成した。

もとより、自分の”肉じゃが”の原体験は、生家の母の作ったもの。
しかし、結婚というものは、違う習慣環境との融合。
その割合は、8対2,6対4、あるいは3対7など、各々違いがあるだろう。
自分は、家人のテリトリーに加入した新参者なので、郷に入っては郷に従い、なるべくあわせるように心がけてきた。
もちろん、”肉じゃが”の味付けも。
義母の作る煮物は、汁気の少ない濃い味だ。
そこで、子供に手がかからなくなり、時間的に余裕ができたので、義母風煮物に挑戦してみた。
そのいわば完成系的な”肉じゃが”がこれ。

☆肉じゃが   4人前
【材料】
・豚肉            バラでも小間肉でもお好み300gを、5cmくらいに適当に切る
・ジャガイモ         中8個 皮をむき、二等分にして水にさらす
・ニンジン          大1本 皮をむき、乱切り
・タマネギ          中2個 縦割り8等分くらい適当に切る
・しらたき(好みで)     1パック 食べやすい長さに切る
・サラダ油・醤油・みりん・砂糖(量は、あくまでも目安。感覚的です)

【作り方】
・厚手の鍋にサラダ油を大さじ2杯ほどひき、ジャガイモを炒め全体に油が上手く回り、表面が艶やかに照りだしたところに、ニンジンを入れ油を馴染ませるよう炒める。
・豚肉を入れ、色が変わるまで炒める。
・しらたき(好みで)みりん大さじ6杯、醤油大さじ5杯を入れて、2~3分炒り煮し、ふたをして弱火で蒸し煮する。
・タマネギと砂糖大さじ3を入れ、ときどき木へらで上下を返しながら蒸し煮。
・煮汁がなくならないよう注意をしながら、醤油・砂糖で味の濃さを調節。
・ジャガイモに竹串がすっと通れば、できあがり。
※タマネギの水分があるので、意外と煮汁の心配はいらない。
※絹さややインゲンの塩茹でを飾ると、見栄えする。

食べてしまってから、この記事を思いついたので、写真はまたの機会。
ジャガイモが、少し崩れ加減になるのも、また田舎風で味わい深いと思う。
我が家では、少々濃い目の味付けだと受けがいい。
化学調味料やだし汁などを使わなくても、豚肉と野菜の素朴ながらしみじみといた肉じゃがだ。
合成アミノ酸ばかりに頼らない、地味な食生活もなかなかいいもの。
どうぞ、お試しあれ。
また、ご自分風の”肉じゃが”を探求するのも、いいものかとも・・・