rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

"さよならを教えて”フランソワーズ・アルディ

2011-12-11 23:28:39 | 音楽たちーいろいろ
<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/s7wIzUOaJ4I?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/s7wIzUOaJ4I?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>

寒さが日に日に厳しく、巷ではクリスマスのイルミネーションが賑やかになる、まだ昔の面影を多くとどめていたパリの冬。
古めかしい家具付アパートで、簡易ラジオから流れてくる音楽の中に、このフランソワーズ・アルディの”さよならを教えて”Comment te dire adieuがあった。
チューニングしているラジオ局は、流行のロックを流しているところなのに、昔の曲も割合に多い頻度でかけるなんて、フランスらしさなのかしらと思った。
寒い部屋でネスカフェで作ったカフェオレを飲みながら、いつまでも暗く早くに日が落ちる一人ぼっちの冬が、この曲を聴くと思い出される。
青春の、甘く切ない、輝いていた日々。

<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/J_y6wkhcFCE?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/J_y6wkhcFCE?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>

今日は皆既月蝕、2011年12月10日

2011-12-10 22:45:24 | 空・雲・星・太陽たち

9時50分頃

今日は満月、皆既月蝕。
薄雲が、空全面覆っているけれども、月が消えることはない。
冷え込んでいるが、昨夜ほどの痛さはないから、観測しやすいだろう。
土曜の夜という好条件で、子供達も遅くまで起きて観測ができる。
完全な皆既月蝕は、11時32分あたりらしい。
前回は、11年前の2000年。
次回は、2030年とのこと。
明日のことは、誰も分からないし、19年後なんて生きている保証はもとよりない。
だから、今夜は月を思い切り楽しもう。
そして、この時をいとおしもう。


10時15分頃


23時30分

天国に近い国、ブータン:ティンプー

2011-12-10 00:42:00 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」、タイムリーにブータン:ティンプー。
先月、ブータン国王夫妻の来日で、にわかに身近になったブータン。
その首都ティンプーは、標高2400メートルのティンプー川沿い南北に広がる人口10万の街。
この国には、信号機は存在しない。
そのかわりに警官が、交通整理をするのだ。
もちろん、交通量が破壊的に多ければ、信号機無しでは流れを捌けないだろうが、それほど多くはなさそうだ。
あとは、この国の時間は、ゆったりと流れ、待ち行く人の顔は穏やかで、余裕なくあくせく働く様子もみえない。

ブータンは、チベット仏教の一派の宗教を信仰している。
市中には、お坊さんの衣服専門店があり、マニ車がいたるところに設置されている。
マニ車は、ありがたい経文が納められていて、右回りに一回まわすと千回以上お経をあげた御利益がある。
マニ車には、いろいろな大きさ種類があり、携帯用、水力や太陽電池で回るものなど様々だ。
人々は、日に何度もマニ車を回し、死後の安寧を願い、厄災から免れるよう、仏に願っている。
また、三代目国王が建立した仏塔(メモリアル・チョルテ)の周りを回るのも、同じ効果があるといって、熱心に回る人々はあとを絶たない。
そして、どの家にも、日の辺りのいい一番よい部屋が、仏壇の間として備えられている。
信仰が、深く人生と生活に根付いているのだ。

ブータンの民族衣装に、日本の着物に似た”ゴ”と”キラ”がある。
”ゴ”は、男性用で、着物を大きくたくし上げて着用する。
そのたくしあげた部分は、何でも入るポケットの用途になる。
”キラ”は、女性用で、一枚の布を巻きつけて、くるぶしまですっぽりと覆う姿になる。
学生と公務員は、民族衣装の着用を義務付けられているとのことだ。

日本のそばに似た”フタ”という食べ物がある。
そば粉を捏ねて、押し出し機で麺を押し出し、湯がいてから、卵とネギを炒めたものに絡めて食べる。
味は、なんとなく想像できるが、そばのぼそぼそとした食感の汁無しは、少し抵抗感があるのは、自分だけか。

国王は、GNH国民総幸福量を、GNP国民総生産より重要視する国策を採っている。
国民の90パーセントが幸福を感じているという成果が現れているようで、経済第一主義を身上とする世界に、一石を投じている。
高く険しい山に囲まれ高地にあるがゆえに、農業でも工業でも発展が難しく、大国に囲まれた地理的要因もあるだろう。
しかし、多くを望まなければ、相手に隙を作らず、信仰を支えとして、つましく生きていける国という姿もありえる。
大国と経済資本主義の毒牙から免れる為には、小国を導くのに必要な身の振り方と思えなくもない。
まずは、内側から強くするのに、信仰という共通項は、とても適した土台となる。
それが、とても強く人々の中に行き渡っているのを見て、少しばかり違和感を感じたのは、気のせいなのか。
とはいえ、短い人生、平和に生きられるのなら、それはそれでいいのかもしれない。

そうだ、ブータンの国技に弓があるが、140メートル離れた距離から的を射るのは大変難しそうだ。
だからなのか、的に当たると競技者全員、的の前で歌い踊る光景が見られた。
喜びを分かち合う連帯感が、人々の心の闇を鎮め、信仰とあいまって、人にやすらぎをもたらす、そう感じた場面であった。

昨今、”絆”という言葉をよく耳にする。
それは、渇望の現れ。
他人と自分の存在の稀薄さが、心もとない状況を生み、つながりを求める風潮を生み出したのだろう。
でも、それはなかなか本物にはなれない。
ジレンマのスパイラルが、空を覆っている。
GNH、あなたはどのくらいだろうか。

群れなすメジロ、紅葉を占領

2011-12-08 14:53:52 | 生き物たち
昨日、裏庭にある紅葉の木が、やたらと賑やかだった。
細かく枝が揺れ、小さな鳥の動き回る姿が見えた。
紅葉から6メートル離れた外トイレの建物の影から、じっと目を凝らしてみる。
オリーブグリーンにぽちっと白い円が浮かび上がるのを見て取れた。
メジロだ。
なんとその数の多いこと、二十羽以上はいるだろうか、そちこちあちこち枝が揺れていた。
こんなにたくさんのメジロを見たのは、初めてだ。
梅もどきの木の実を食べにきた、二番いまでのメジロを見たくらい。
”テューイッテューイッ”と鳴きながら、枝渡りを続けるメジロたち。
とても楽しそう。
しばらく物陰から見ていたが、もう少し近くに寄ってみようと、そろりそろりと近づく。
そして、4メートルまでに迫ったとき、ねこが足元にやってきた。
一瞬のこちらの気の揺らぎを感じたのか、メジロたちは飛び立ち、近くの大きなブナの木の梢へ移動してしまった。
少し残念ではあったけれども、メジロの群れに出会えた幸運に感謝。
余裕を持って辺りを見渡せば、天からの贈り物に出会えそうな、外は、いろいろな発見に満ち溢れているのだと、あらためて思った。


小さい人がリコーダーで演奏した、オーラリー

2011-12-06 23:12:38 | 音楽たちーいろいろ
Aura Lee by Jim Reeves
<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/bDrj5faA7ds?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/bDrj5faA7ds?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>

小さい人が、授業参観の発表で演奏した、オーラリー。
エルビス・プレスリーの”ラブ・ミー・テンダー”で知っている場合が多いだろうけれど、”オーラリー”は原曲にあたる。
美しいメロディーに、子供達も気持ちよく演奏していた。

音楽や美術は、何かと省かれそうな科目だが、実は大切ではないだろうか。
一日の日課の中にあると、気分転換になり、集中力を復活させる役目もある。
そればかりではない、名画や名曲を鑑賞して、文化的素養を養い、感受性を刺激し、人の多様性を認識して築くきっかけをもたらす。
実際に演奏したり、描き創るのも、得るところはある。
不用・不要の用はあるのだ。
余裕遊びがなければ、人は窒息してしまい心が死んでしまうだろう。

いろいろな可能性を秘めている子供達には、大人目線で必要とするものだけを与えることを止めよう。
大地にいろいろなバクテリアがいるからこそ、土壌のバランスが保たれる。
毎年同じ作物を連作すると、土壌の成分や微生物が偏り、農薬や肥料を大量に投入しなければ、まともに作物が育たなくなる。
いろいろな糧があって、よいものが育つのだ。
人だって、その素養の中が豊かであれば、生きるにも何か華があろうというもの。

子供達の演奏するオーラリー、一輪の可憐な花が、聴いたものの心に咲いたことだろう。

<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/HZBUb0ElnNY?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/HZBUb0ElnNY?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>