rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

雨の広重 日本の風情

2012-05-15 12:20:16 | アート

名所江戸百景 大はしあたけの夕立


真崎夜雨


東海道五十三次 庄野 白雨


木曾街道六拾九次 須原

雨が、絶え間なく降り出した。
旺盛になりだした木々の葉を打ち揺らし、雨は降る。
雨の白く直線のような軌跡を見るたび、脳裏に過ぎるのは、広重。
雨とともに暮らす日本人の風情を、幾度も絵にしてきた。
歌川広重は、雨の線を描くことで、その降りの強弱と風向き風速までも表現する。
さしずめ、今降っている雨は”木曾街道六拾九次 須原”の絵に近いだろう。

広重は、実に印象的に風景を切り取る。
絵を観る者の目が、実際に捉えた一瞬の光景として。
漫然と説明的な風景ではないのだ。
デフォルメし、簡略化することで、人間の目が捉え脳が抽出した風景のエッセンスそのままを表わしている。
葛飾北斎と、その抽出したものを何処までのコントラストで定着させるかが、広重との大きな違いを生んでいると思うのだ。

北斎がピカソなら、広重はモネだと、不遜にも譬えてしまう。
広重は、いい目と繊細な感性を持っていた。
だから、日本の国に暮らす誰もが、広重の絵を観て、郷愁に浸るのではなかろうか。

何かと厄介で面倒な雨の降る日、広重の絵を思い浮かべ、身の回りの風景に重なるところを見出す、そんな日本人らしい嗜みを持つ余裕が欲しいものである。

五月はいいなと、ねこ・トカゲ

2012-05-14 08:34:24 | 生き物たち

ちりとりねこ 12/5/2012


太ったトカゲ 12/5/2012

一昨日の土曜日は、晴れて穏やか、日向の陽射しは強く暑いくらい。
義母は庭木の手入れに勤しみ、自分はバラに付いた青虫の捕殺と草抜きをしていた。
そこへ、ねこがのそりとやってくる。
人のいるところが落ち着くらしく、いつものこと。
時折場所を変えながら日向でうたた寝をするねこ。
しばらくして、のそりと私の横を通ったかと思うと、脇に置いてあったちりとりの中を覗き込む。
何か気になるものでもあったのかな・・・?とみていると、ずずずいと中へ入り、ごろりと落ち着いてしまった。
なんとまあ、頭こそ日陰にはなるが、スチール製のちりとりは、かんかんと日に照らされているではないか。
こちらの心配をよそに、ねこは半時ばかりそのまま寝入っていた。

まるまると太ったトカゲは、近くにねこがいながら日向に休む。
最近のねこは、トカゲに飽きたのかもはや構うこことはないらしい。
トカゲもそのあたり知ってるようで、割と大胆に姿を晒している。
きっと思う存分えさを食べられるから、こんなに太ったのだろうと推察。
あまりにも油断しすぎているのか、人が間近にくるまで隠れようとしないことも。
気が付くとあわてて、びちびちがさがさと逃げ回るあられもない姿がよくみられる。

五月は、本当によい季節。
ねこもトカゲも存分に楽しんでいる。
私も朝、からりと晴れて澄み渡る青い空にたなびく雲の外を眺め、窓を明けて冷やりと冷たく爽やかな空気を吸い込むとき、心がすっきりした喜びに満たされる。
大好きだ、五月。

花の色いろいろ、香りそれぞれに

2012-05-13 22:23:00 | 植物たち

フリージア三色


名の知らぬ花

フリージアが咲いている。
白、黄色、パープル。
フリージアは、香りのある花。
どの色も甘い香りかと思いきや、甘い香りは黄色だけ。
パープルは、ほぼ無臭。
白は、スパーシーなコショウの香り。

花の匂いに香辛料の香りがあるなんて、とても驚いた。
香水には、花の甘い香りや柑橘系の爽やかな香り、麝香系のエキゾチックな香りなどに、スパイシーさを加えたものがあるけれど、様々な香りを人が調合するのだからいかようにも操作できる。
しかし、コショウの実がなるはずのないフリージアの花が、まさにコショウの香りを漂わせることに、心底驚いたのだ。
人が長年品種改良してきたバラには、花の形・色・香をそれぞれ違えたりしているけれど、他の花で、色の違いが香りの違いになるのは他に知らない。

知らないことは、身の回りに驚くほど転がっている。
いつからあるのかそれも知らないのだが、春の庭に咲く白く可憐な花で5種類ほどあるなかの一つ、この花の名を知らない。
名を知らぬのは、花に失礼と思いながらも、毎年咲き出てくれる姿を心待ちにしていることで、勘弁願おう。

もし、フリージアの白に出会うことがあれば、どうぞそのスパーシーな香りを楽しんでいただきたい。
本当に、驚きなコショウの香りですぞ。


”早起きは三文の徳”というけれど

2012-05-12 23:08:47 | 空・雲・星・太陽たち

朝5時のピンク色の朝焼け 12/5/2012

今朝は、4時に起きた。
中くらいの人が、部活の遠征試合のためにお弁当を作ったり、食事の世話をするために。
窓から空を覗いてみると、ピンク色に空が染まってきている。
一通り世話が終わり、カメラ片手に外へ飛び出す。
冷やりとした朝の空気、ハトの鳴き声、キジの叫び、そして起伏ある畑の上に漂う朝もや。
穏やかな朝の美しさに、心がときめく。
ありふれた朝、ありふれた風景、それなのになぜこうも心が震えるのか。
いつもはまだ寝ている時間だけれど、早起きしてみる、ただそれだけで出会える感動がある。

外へ飛び出そうとする玄関ドアのすぐ脇に、ねこが待ち構えていた。
カメラを持って走る後をついてくる。
これも、気持ちがほっこり温まる贈り物。
こんな朝早くに、きびきびと動き回る私が珍しかったのか。
そののち、井戸端で靴下を洗っているときも、ねこは少し離れた芝生の上にちょこんと座ってこちらを見ていた。

水周りの掃除など、いっきに片付けたまではよかった。
ちょっと休もうと横になった途端、9時過ぎまで寝てしまうとは・・・”早起きは三文の徳”と朝焼けとねこの幸運を喜んだだけで、いつものぐうたらな生活に戻ったのであった。



きりのない掃除

2012-05-11 22:53:17 | つぶやき&ぼやき
このところ、掃除に精を出している。
床の雑巾がけに始まり、台所の換気扇とレンジ周り、玄関、窓拭き・・・
田舎の贅沢、広い敷地にたくさんの建物。
少々の汚れや散らかりに目を瞑らなくては、掃除するだけで毎日が過ぎてしまう。
それでも、やっぱり見過ごせなくなり、絞った雑巾を数枚用意して掃除に取り掛かる。
きれいにすればするだけ、掃除していないところが目立ち、何処までやればいいのかと強迫観念に苛まれる。
しかし、一日めいいっぱい動くと、腰が痛くなって強制的にブレーキがかかる。

埃で死ぬわけではないにしても、さっぱりときれいに掃除された部屋で過ごすのは気持ちがよく、雑草が取り除かれきれいに剪定された庭はすがすがしい。
完璧を求めて掃除をするのは、難しい。
もししたいのなら、物がない暮らしをするに限る。
”断捨離”の考え方や生活スタイルもいい、だが、一見無用と思える物たちに囲まれて暮らすのもゆるみがあってよいものだ。
なんでも効率第一では、息が詰まるというもの。

広い敷地に様々な草木、何棟もある建物、掃除するには手がまわりきらないが、なんという贅沢。
これから先、年をとって体を思うよう動かせなくなると、この環境が負担となるだろうが、それなりにやっていこう。
自分の敷地内で散歩ができる、田舎の贅沢を楽しみながら。