rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

不便さの先に、ベトナムの古都ホイアン

2012-08-23 12:04:51 | 街たち
「世界びっくり旅行社 江口トラベル」ベトナムの中ほどに位置する古都ホイアン。
古くからの港町として栄え、400年前には交易のためにポルトガル・スペイン・中国そして日本人が居留していた国際都市でもあった。
ここは、ベトナム戦争の戦火を免れて16世紀からの建物が、良い状態で残っていた。
1999年に世界遺産に”ホイアンの古い町並み”として登録された。
世界遺産に登録されると、維持のためにさまざまな制約が課される。
ホイアンでは、地区内でのバイク通行が時間限定となり、もちろん自動車は進入できない。
建物の補修は、規定内で行い、壁は漆喰で色は黄色やブルー系、ドアは木製、商家のシャッターに当たるものは、木の板をはめ込み式で色がこげ茶にするなど、細かく定められている。
この地区の建物は、奥行き30メートルもの細長い造り。
京都などの町屋のようで、通気と採光のために中庭が設えてあるなども似ている。
その家の用途も、道に面した表は店舗に、奥は住居と倉庫など。
そのさまざまな制約のおかげで、ホイアンの古い町並みは、統一感があり、自動車などで道路が荒らされない分、ゆったりと往時の面影を今なお湛えている。
たしかに、不便なことはたくさんあるだろう。
しかし、利便性をとれば、失うこともたくさんある。
400年来のホイアン固有の街並み、人々の誇り、伝統文化。
ホイアンの人々は、不便さの先にあるものを選び取ったのだ。

毎月旧暦の14日、ホイアンでは色とりどりのランタンの明かりが浮かび上がるランタン祭りが開かれる。
街の明かりはすべて消え、闇に浮かぶランタンの鮮やかな光。
ホイアンの街と同じく、このランタンの明かりもこの先ずっと残っていくのだろう。







楽しく軽やかで涼やかな、シューベルト”ます”

2012-08-21 22:23:14 | 音楽たちークラシック
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残暑といってもあまりにも暑過ぎるこの頃。
シューベルトの”ます”を聴いて、気持ちの涼をとっている。
明るく流れるバイオリンのせせらぎに、気持ちよく泳ぐピアノのます。
自分も渓流の魚になった気分を味わっている。
洗濯物を乾しながら、部屋の掃除をしながら、痛い陽射しと熱い空気の中を、渓流を泳ぐますのようにすいすいと軽やかにこなしていくのだ。
せめて気分だけでも涼やかに。
こんな風に聴くものがいるなんて、シューベルトはがっかりするだろうか。

地デジ電波の異変

2012-08-20 23:38:07 | 雑記または覚書
夜8時ごろ、なんとなくテレビをつけてチャンネルを回していた。
TBS放送になったとき、画面が乱れ、モザイク上からついには受信不能になり、電波は安定しなかった。
もしやと思い、いつもなら受信しない福島放送にチャンネルを向けてみる。
福島テレビ1がやや映り、福島放送1は完全に映った。
その後、茨城県南部を震源とするM5.1の地震が発生。

先ほど10時30分頃、日本テレビとTBSが受信不能。
福島放送3局は、完全受信。

現在11時、通常の受信状態になる。

もっとも、関東の秘境のやや過疎地であるこの辺りは、平らで障害物はなくとも、電波状態が良好とはいえない。
地デジになってから、受信状態が安定しない映らないで、テレビを見る機会が減ったとしばしば耳にする。
もちろん、我が家もその例に漏れず。
以前の安定したアナログ放送がよかったと、大方の意見。

さて、地デジ放送の受信の良し悪しが、地震に関係するとは言い切れないが、頭のスミに置いて心構えをするのはいいだろう。
FM放送も、以前FMFUJIをかなり感度良く受信したときがある。
震災前だったかどうか、忘れてしまったが。

11時30分の今、日本テレビとTBSは受信不良で、福島放送1は受信良好。

備え有れば憂い無し・・・の気持ちで、防災アンテナを張り巡らす日々であるよ。

晩夏のような雲の塊が浮かぶ日、筑波山

2012-08-19 23:57:22 | 旅先から

玉をくわえた龍の如き筑波山神社の社殿 19/8/2012

筑波山神社へお参りに出かけた。
中くらいの人たちのあまりの怪我の多さに、6人ほど引き連れて神様のご加護をお願いに行ったのだ。
ジリジリと照りつける太陽の陽射しは、相変わらず痛いほどで、しかし空に浮かぶ雲の様子は、確実に変化していた。

さすがにこの暑さでは、参拝客も少ないだろうと思っていたが、割合人の出は多かった。
手水舎でお清めをして、楼門をくぐり、拝殿で参拝する。
中くらいの人たちは、おみくじを引いたり、境内を散策してくつろいでいた。
私は、家人と拝殿近くのベンチに一休み。
山を吹き上げてくる風に、涼を楽しむ。
そのとき家人が、ポツリとつぶやいた。
「筑波神社の造りは、随分とダイナミックだな。
 まるで龍の面構えのようにも見える。」
うむ、そういわれてみれば、賽銭箱の置いてある拝殿の場の屋根は、龍の鼻から口にかけて、その奥の合掌の屋根は龍の目と眉間、一番高い屋根の両端のところは龍の角に見える。
口に当たるところに、大きな銅金色に光る大鈴があって、金の玉をくわえているみたいだ。
筑波の山の中腹に龍の頭が鎮座して、日本の首都を睨んでいるとはなんと面白い。

そうだ、車を止めた駐車場からは、スカイツリーや副都心の高層ビル群などが一望できた。
いや、関東一円といっても言い過ぎではないかもしれない。
風水の北の要を担っているのだろう、この筑波山。
筑波山は、江戸に政治の中心が移ってからその存在を増し、明治になってからは筑波山神社の拝殿が建立された。
ここは、地味で目立たないけれども、何かしらの重要な場であると思わずにはいられない気がする。

未来を担う中くらいの人たちの、まだあどけなさの残る笑顔を見ていると、今日の筑波詣で、良かったと思えたのであった。

ジャズ発祥の地、アメリカ南部のニューオリンズ

2012-08-18 21:26:46 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」は、アメリカ:ルイジアナ州最大の都市ニューオリンズ。
大きく蛇行するミシシッピ川沿いにあり、18世紀からフランスの植民地として栄えた。
今でも、フランス植民地時代の名残りを残す街並みもあるという。
街中には、170年以上前に開通した路面電車が走り続けている。
また、ジャズ発祥の地としても有名だ。
バーボン・ストリートには、ジャズバーなどが軒を連ね、生演奏が繰り広げられている。
この街から輩出されたジャズミュージシャンは、そうそうたる者で、ルイ・アームストロング、ハリー・ハンコック・Jr、ジュヴナイルなど大勢だ。

ニューオリンズあたりには、ミシシッピ川がもたらした豊かな自然がある。
街から車で1時間半のところに、スワンプという湿地帯が広がっている。
そこには、バイユーという流れのゆるい川が湿地帯の中をながれ、様々な動植物が生息する。
番組では、人懐こいアリゲーターがボートに寄ってくるといっていたけれど、迂闊に近づいてはいけないだろうな。
そのミシシッピ川、水深60メートルもある深い川で、大型蒸気船が航行できるので、ヨーロッパからの物流に便利だったのだ。
今もその名残りの”ナチェス号”は、観光船として大きな船体を川に浮かべている。

では、グルメ。
郷土料理「ガンボ」は、肉に野菜、魚介類と何でも加えて作ったミックス・スープ。
小麦粉を炒めて作るルーのスープで、西アフリカ・スペイン・フランスのテイストで仕上げた、スパイシーなスープなのだとか。
「ジャンバラヤ」は、スペインのパエリアを唐辛子でアレンジしたものだとか。
クロウフィッシュというザリガニは、ニューオリンズではポピュラーな食材。
「エトゥフェ」は、クロウフィッシュをトマトで煮込んだもの。
「ポー・ボーイ」は、ナマズやカキのフライをフランスパンに挟んだサンドイッチ。
ミシシッピ川で獲れるこれらの安価な食材で、腹を満たす工夫をしたのが始まり。
どれも皆、庶民の美味しくおなかを満たす知恵が溢れている。

スイーツでは、「ベニエ」。
穴のない四角いドーナツで、ふわっと軽い食感。
粉砂糖をたっぷり振り掛けて食べるのだ。
実にシンプル。
濃い目のコーヒーが、良く合いそうだ。

いまや世界中に出回っているであろう調味料、タバスコの発祥の地でもある。
なんと、タバスコアイスがあるらしく、甘くのど越しは辛いのだとか。

ニューオリンズ、南部の気質は今なお色濃く残っているのだろうか。
ハリケーン・カトリーナの災害から、7年が経とうとしている。
画面上では、復興はされているようだった。
人々は、たくましく生き抜いている。
命は、しぶといのだ。