rock_et_nothing

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光と影の狭間に浮かぶ危うい存在感、スルバラン”静物”

2012-08-16 16:23:39 | アート

静物


静物(レモン、オレンジ、バラ)

17世紀のスペイン絵画黄金期の画家、フランシスコ・デ・スルバラン。
その硬質で堅苦しい画面は、独特の雰囲気を持っている。
それは、当時流行しだしたムリリョのような甘く華やかで柔らかな雰囲気の絵と対照的であった。
当然、流行おくれとみなされ、失意の晩年を送ることになったスルバラン。
しかし、特に静物画においては、超時代的で、宇宙の闇に浮かぶ惑星のごとくSF的でもある。
人物画や宗教画も、リアルに描いてあるのに何かしらその存在感は希薄なのだ。
カシャカシャした紙風船の質感とでも言おうか。
光のコントラストを強くつけたものは、なおさら存在感が危うさを増す。
それが、奇妙な雰囲気を絵に与えるのだ。

スペインのセビーリャの、からからに乾燥し光が強く照りつける風土に根ざしたものなのか、はっきりとわからずとも、きっとそのせいなのだと一人合点をする。
緩和剤となる水分のとても少ない空気を突っ切ってくる、太陽があまりにも強すぎるせいで、モノの存在は、それが作る影のみで証明される世界。
でも、強烈な明暗のコントラストは、非現実的作用を醸し出し、すべてが頼りなくあいまいにさせる効果もある。
もはや時代に照らし出されることのなくなったスルバランは、影さえも失って現実にも非現実にも属することができなくなったのだ。
おそらく、そんな気配を察してか、影を持っていたときからすでに、存在の危うさをひしひしと感じていたのだ。

今は、スポットライトが散漫な時代だ。
時代は、どこを照射していいのか考えあぐねている、。
特にはっきりとした光源を持たない我々は、どこに身の置き所を探せばいいのだろうか。
濃い靄の中を浮かんで歩く人のように、前も後ろも上も下もわからない、そんな不安な時代を生きている。

一度でも光を浴び、影を持ったスルバランは、「オレのほうがなんぼか良かったんだな」と、一人ごちているかもしれない。


無原罪の御宿り