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何よりも自由を重んずる孤高の剣士で詩人、”シラノ・ド・ベルジュラック”

2012-08-13 22:40:30 | 映画
エドモンド・ロスタンが、17世紀のフランスに実在した剣豪・作家・理学者・哲学者であったサヴィニャン・ド・シラノ・ド・ベルジュラックをモデルにして書いた戯曲の映画”シラノ・ド・ベルジュラック”は、心にぐっとくる大好きな映画。
何度観ても飽きることはなく、初めて観た20年以上前とはまた違った良さも見出せて、なおのこと気に入ったのであった。
もちろん、映画ばかりではなく、日本語ではあるが原作も読み、それも気に入っている。

シラノの何者に頼ることなく、自分の自由のために自らの力のみ頼って生きる心意気に打たれる。
まさに、本物の自由人として。
自分の自由を守るため、自分の美意識にそわないものに対して、かなり過激に毒を吐いて攻撃をしたりするが、その後の面倒ごとも何のそのと分かっての仕業。
もっとも、やりすぎのきらいはあったにせよ、自分でまいた種は自分で刈り取るのが自由人の嗜み。
なんてカッコイイ生き方だろうか、心底憧れてしまう。

そして、シラノは、月を友にする者でもある。
実際のシラノも、”月世界旅行記”を記しているのだから、それに准じているのだが。
一般的西洋価値でいうと、月はあまりよいイメージで扱われない。
しかし、シラノは、月をマイナスで捉えはしない。
ロマンの向かうところとして月を見る。
繊細で美しい心。
粗野な素振りの下には、真綿のように白く細やかな心が隠れている。
その心が紡ぎだすのは、言葉の織物。
この振幅の広さが、彼に深い陰影と微妙な色合いを添えるのだ。

若き頃に憧れて、今なお憧れ続けているシラノ。
彼の対極の合わせ鏡ともいうべきロクサーヌは、言葉の糸によって彼の死の間際に彼と合間見え対を成すことができた。
自由を愛し自由に生きたシラノは、死して自由の牢獄から抜け出たのだ。
たとえ自由であろうとも、拘りすぎるとそれもまた不自由になる、なんとも皮肉なことではないか。
いや、凡人だからそう思うのかもしれない。
”自由”、なかなか奥の深いものである。

それでも、シラノ的人生を追い求める気持ちには変わりはないのだ。