rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

「薔薇の名前」とボルヘス

2013-09-23 16:35:27 | 映画
二十数年ぶりに「薔薇の名前」を観た。
あの堅牢な要塞のような建物が、いつまでも印象に残る。
初めて行ったイタリアの旅行で、なんとなく入ったデリカテッセンのショーケースにあってわからずに頼んだソーゼージがある、「ブーダン」だ。
ちょっとどす黒い色をして、切ると中はゼリー状のものが混じっていて、味に鉄っぽさを感じた。
そのときは、そのソーセージの正体がわからずじまい。
あとで見たなにかの本で、血入りソーセージとわかって驚愕したものだ。
そして、その作る始めの工程を見たのがこのい映画のワンシーン。
屋根のある土間の作業場で、生きた黒豚を吊るし、その咽喉下を掻き切って生き血を絞り出す。
ブーダンを作るには、栄養価の高い新鮮な豚の地が必要だから。
何にしてもショッキング。
修道院で、そのようなものを作ることも驚きだった。
だが、自分の無知さゆえで、本来修道院とは中世ヨーロッパにおいて最先端の技術を開発する頭脳と専門家の集まりで、ただ神に祈ることだけがその務めではない場所だっただけのこと。
ベルギーのビール醸造に長けていたのは、やはり修道院。
お菓子のマドレーヌは修道女が考案し、最近はやりのエッグ・ベネディクトはグルメだった修道士ベネディクトの名を冠しているではないか。
もちろん、薬を作ることや、古今東西の名著の翻訳や修復保管も重要な役目であった。
修道会の会派にもよろうが、王侯貴族に民衆の喜捨ばかりが収入源ではなく、こうしたさまざまに特化した技術を使って収入を上げていたのだ。

さて、この作品の重要なモチーフは「本」である。
知識の集約である「本」は、宗教にとってエデンの園にある「リンゴ」である。
従順な信仰の妨げになる、毒を含んだものだ。
舞台の修道院の盲目の長老ホルへ長老は、信仰の邪魔になる「本」を封印しようと必死なのだ。
特に機知の効いた本がもたらす「笑い」を嫌悪している。
人の持つ好奇心を刺激する「本」の存在が、ヘビの誘惑となって人々を巻き込んでゆく。

今のような印刷技術のない頃、本は手書きのために非常に貴重なものであった。
この修道院には、要塞のような文書館があり、多くの写本を収容している。
しかも、その文書館は、確か五角形の形をし、各頂点に当たるところが塔のような形で書庫になって、各塔をつなぐ階段が複雑に交錯し、まるで迷宮のようだ。
エッシャーの不思議な世界に迷い込んだかのような具合。
本好きで迷路好きの自分は、この場面だけずっと見ていたい誘惑に駆られる。
そこに追い詰められたホルへ長老の様子は、ある意味本に憑依された人のようである。
この様子に、なにかもやもやとしてはっきりしないがあるものを連想させたがっているよう感じていた。
あとでウィキペディアを見ると、ホルへ長老はホルヘ・ルイス・ボルヘスがモデルとある。
すとんと腑に落ちた。
なんと、結局のところ二十年の歳月を経てボルヘスに行きついた自分だが、すでにここで片鱗に触れていたのだ。
人の係わる世界の狭いこと。

映画を観た当時、フランシスコ会の修道士バスカヴィルのウィリアムに大いに共感できたけれど、今ではホルへ長老にも同じ気持ちを抱けるのだ。








9月19日中秋の名月は満月だった

2013-09-22 15:57:49 | 空・雲・星・太陽たち
9月19日の木曜日は、中秋の名月だった。
しかも満月でもあり、見事なくらいに空は晴れて、ほぼ日本中で美しい月を眺めることができた、またとない日であった。
この3日ほど前、台風18号が日本縦断して多くの被害をもたらしたけれど、大気に混じった塵と秋雨前線を掻っ攫っていってもくれた。
だから、台風が去って後の空はすっきりと冴えて、満月に向かい肥える月明かりが明るく照らす夜をくれた。

中秋の名月は必ずしも満月に限らなく、2010年から3年間満月という好期であった。
しかし、今後7年間は満月にならず、2021年を待たなくてはならない。
そこでメディアなどもこぞって今回の中秋の名月をとりあげていた。
月光マニアにとってもちょっとしたイベントなので、友人たちに名月鑑賞のお誘いメールをする。
ある情報で、真の満月になるのは19日の夜8時13分だとかで、その時間に同時に空を見上げようというもの。
もちろん月が輝き始めたときからしばしば空を見上げる我々だけれど、決まった時間にそれぞれの場所で月を見るというのはロマンチックではないか。
私はカメラを携えてその時間にスタンバイし、シャッターを切りながら月を眺めた。
眩しいくらいに輝く月は、神々しくあり、心を癒してくれた。
さて、写真はというと、まだニコワンと仲良くなりきれていない不真面目さゆえ、真円に写ってこそいてもコントラストが激しくて白抜けするお粗末さ。
それでも、月を愛でることはできたので、好い時を過ごせたのであった。

次の満月になる中秋の名月を、自分は見られるであろうか。
先のことは、誰にもわからない。
もし、運良くそのときが来たのなら、今回のように友人に声をかけてともに月を見上げたいと思っている。




ああ!ナポリ、イタリアの古都

2013-09-21 16:31:56 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」古代ギリシャ人によって拓かれた紀元前からある街、ナポリ。
地中海に面したイタリア南部にあり、ヴェスヴィオ火山を東南にひかえている。
ヴェスヴィオ火山の噴火で街全体が厚い火山灰で覆われてしまったポンペイは、さらにに東南にある。

港町ナポリは、やはりシーフードがいい。
目の前の海で獲れる多くの魚介の中でも、特にタコ好きなナポリ人。
「リストランテ・ウンベルト」では、そのソウルフードが楽しめる。
タコのマリネもいいけれど、一番はタコのトマト煮込み。
熱したたっぷりのオリーブオイルにタコを入れ、ざくぎりトマトとともにじっくり煮込むと、タコにトマトの味が染み渡ってタコの旨味を引き立て、こう書いているだけでもう・・・
あと、ナポリといったらピッツァ。
しかもナポリがピッツァ発祥の地。
「アンティーカ・ピッツァリア・ボルタヴァ」は1738年パン屋として創業し、1830年にパンにトマトとモッァレラチーズをのせて焼いたのが始まり。
”ピッツァ・ドック”は、ふわふわな生地にトマトとモッァレラチーズをのせて焼き、その当時のものを再現している。

伝統的スウィーツ”ババ”は、パンケーキにたっぷりのシロップを含ませたとても甘いもの。
150年の伝統を誇る「グラン・カフェ・カンブリーヌ」では、もちろんこの”ババ”も食べることができるが、”ババ”をサックとしたパイ生地で覆いアレンジした”ヴェスヴィオ”も、食感の違いが楽しめるスウィーツになっている。

イタリアは、年季の入ったすばらしい職人が多い国というイメージがある。
「マリオ・タラリーコ」は、4代続く手作り傘の専門店。
4代目にして81歳のマリオ・タラリーコは、バリバリの現役。
店には手作り一点物の傘が並び、世界のセレブにも愛用され、ローマ法王にも献上されているらしい。
甥が5代目を継いでくれるというので、職人国イタリアは安泰と見える。
「エルネスト・エスポーズト」は、2003年創業のカラフルで個性的な靴専門店。
有名アーティストなどが多く利用しているらしい。
「フランチェスカ・フランテ」は、2009年より店を構えているナポリ女子注目の店。
華やかで上品をモットーに、仕事着でもパーティーでも使える服を作って売っている。
職人がもの作りを楽しみ、しかも独創的なものを受け入れる購買層がいるということが、イタリアの価値を高めている。
生きることが楽しめる基本ではないだろうか。


ナポリも世界遺産「ナポリ歴史地区」になっているが、ここから車で1時間30分のところにあるアマルフィも世界遺産に登録されている。
中世には海洋国家として栄えたアマルフィは、急斜面に建物がへばりつくように立ち並び、迷路のような路地が張り巡らされている。
狭く急勾配という立地のせいばかりではなく、外敵の侵入を防ぐ意味合いが大きかった。
路地マニアには、垂涎の地だ。
地中海性気候で、燦燦と太陽の日が降り注ぐアマルフィは、レモンの産地でもある。
”デリツィア・アル・リモーネ”は、レモンアイスでレモンクリームを包んだパン生地をおおったもので、甘すぎず爽やかなレモンの香りと酸味が大人の味にしているスウィーツ。
アマルフィは、中国からイスラムを経由して初めて製紙技術が伝わった地で、13世紀ごろから手漉きの紙が作られてきた。
その紙は、非常に品質が高く、100年以上持つといわれている。
重要な本に使われたり、またモーツァルトも愛用していたのだとか。
「ラ スクデリア デル ドゥーカ」は、当時の製法で作られているアマルフィ紙を扱っている。
中には、紙に植物を漉き込んだ美しいものもあり、紙愛好家の自分としては、この紙のためにアマルフィを訪れたくなった。

「ナポリを見てから死ね」という言葉があるように、風光明媚で知られた街として有名だが、最近増え続けるごみの処理が追いつかず街にごみが溢れかえる事態に陥っている。
「ナポリが死なないうちに見ておけ」と揶揄されるくらいだから、かなり深刻なのだろう。
少し前なにかの記事で、ナポリにネズミとゴキブリが大発生とあった。
観光にマイナスイメージだ。
ナポリには、カフェ・ソスペーゾというすばらしい習慣がある。
いいことのあった人が、幸福のおすそ分けとして何杯分かのコーヒー代を余分に払っていく。
カフェに来た客は、店主に「コーヒーをただで飲むことができる?」と聞き、ストックがあれば無料で飲むことができるというものだ。
気前がいいのは大いに結構。
しかし、ごみを盛大に出すのはいかがなものか。
ごみ処理が間に合わなければ、ごみを減らす工夫、消費活動の見直しを市民が協力する必要もあろう。
人口過密も原因だろうが、豊かさの浪費は何につけいいことではないと思われる。
ぜひとも、ナポリを殺さないで欲しい。



リアーヌ・フォリー"Au Fur et à Mesure"

2013-09-19 11:57:23 | 音楽たちーいろいろ

Liane Foly - Doucement (En Acoustique)


"Au Fur et à Mesure" par Liane Foly et Kad Merad

本当ならば、"Au Fur et à Mesure"のオリジナルを聴きたい。
リアーヌ・フォリー自身のものは、ライブ版しか見つからない。
あるとしたら、「KARAOKE]仕様か一般人が自分で歌ったものを動画にあげているくらいだ。
しかも、人気があると思われる。

この曲が収録されているアルバムの”REVE ORANGE”は、テープで買った当時、ヘビーローテーションでかけ流していた。
安定感のある彼女の声で、たゆたうように歌うこの歌が大好きだった。
そのあとにもう一枚アルバムを買ったけれど、"Au Fur et à Mesure"を超えるものはなかった。
でも、紛れもなく自分にとって青春の一時期を代表する曲であることには変わりはなく、この曲を聴くたびに若かりし頃のことどもを思い出すのだろう。
肝心なのは、いい音源のこのアルバムを手に入れなくてはならないということだ。





Liane Foly - Laisse Pleurer les Nuages

はらぺこねこ

2013-09-18 21:42:50 | ねこ

ねこの通り道 18/9/2013


ピンクの舌 18/9/2013



夕方、玄関を開けて外に出ると、その一直線上にねこが待ち構えていた。
目と目が合う。
「ねこ!」とこちらが叫ぶと、ねこはいつもの引きつったような「っあっ」と鳴きながらすたすた向かって駆けて来る。
でも、私は旧母屋の玄関にある据え置き電話に出なければならない。
ねこを振り切り電話に出る。
話をしている間中、足元でうろうろしながら「わをなを、ごあん、おああああん」としゃべり続けているではないか。
用件が終わって、ようやくねこの要求に応えられるようになった。
「ごはんなのね、ごはんがほしいのね」と話しかけながらエサ置き場に向かう。
ふと見ると、ねこの茶碗はまだ食べ終えたばかりを示す唾液で濡れている。
先に誰かがねこにエサをあげたようだが、どうやらちょっと足りなかったらしい。
五口分くらいパラパラとエサを入れると、ねこは待ってましたとばかりに食らいつく。
だいぶはらぺこだったようだ。
確か日中は、あちこち場所を変えながら、ずっと寝ていたはずなのに。
まあいい、ともかく、おなかが空くということは、元気の証拠。
一心不乱に食べるねこの姿は、いつ見ても気持ちいい。
明日もまた、はらぺこねこは、私に突進してくるだろう。
いいさ、いつでもおいでよ、受けて立とう。


うとうとねこ 18/9/2013