軽井沢の雲場池は、私にって忘れられない思い出の池。
今回は行かれなかったので、写真は観光用のをお借りしました。
15年前に軽井沢に行った時に真っ先に案内していただき
あまりに変わった風景に驚きました。
昭和23年に女子大の軽井沢の寮で夏期講習がありました。
当時は食糧事情の悪かった終戦後のためお米を持参、
お菓子は全く売っていないので、自宅でメリケン粉でビスケットを作ったり、
かるめ焼きを作り持参するしかありません。
それでも平和な生活に感謝して、純粋な心で講義などを聴き
軽井沢の澄み切った空気に生命を吹き込まれるような気がしたものです。
雲場の池の前の道以外、池の方には日本人は入ることは禁止され
ホテルや立派な別荘は進駐軍が入っていたのです。
今では池の周辺を散策できるようになり、観光の目玉にもなっているそうです。
私がイーゼルを立てて描いた雲場の池の油絵が未だありますが、
絵の具がはげて色も鈍っています。(カメラで撮ってパソコンに入れてあったので
もしかしたらブログのはじめの頃に載せたかもしれません)
下の油絵は64年前の雲場池ですから、池の周囲の木々は大きくなり
見た目がだいぶん違います。
池の水面に雲がきれいに写っています。
昭和20年に終戦になり、戦時中より食糧難の時代です。
前年の22年に、若い山口判事は、闇米犯を裁く人間が
闇米を食べるわけにはいかないと、飢えて亡くなりました。