大人ライトノベル
『私家版・父と暮らせば・2』
父は、2011年11月11日という、まことに覚えやすい日に逝った。
人交わりが極端に下手で、家族とさえ上手くいかなかった父は、認知症の始まった母といっしょに、七十代の後半から、介護付き老人ホームに入った。より正確には、姉と相談して入れた。
これだけ書くと、親不孝な息子と思われるかも知れない。
妄想癖の強い父には、若い頃から、幻聴や幻視があった。ちょっとした不幸があれば「誰かが呪っている」「悪魔がついている」と大声でいい、子供であった、わたしと姉は、狭い社宅の隅で小さくなっていた。わたしが、小学校一年生の時に左手を骨折したときなど、悪魔払いのつもりであろうか、長時間仏壇に向かい、怪しげな経文を唱えていた。
特に職場の特定の同僚や先輩のことを蛇蝎のように罵っていて、具合の悪いことに、一番嫌な先輩は社宅の隣である。安普請の社宅では声が筒抜けで、その根拠のない罵声は、当然のことながら御本人の耳にも入り、二度ほど穏やかに諭されに来られた。御本人を目の前にしては何も言えない父であった。小学生ながら不甲斐ないオッサンだと思った。
母には手が出た。今風に言えばDVである。
少しずつ進行していく母の認知症が父には理解できなかった。「また、訳のわからんこと言いやがって!」
と、拳を振り上げ、母を殴ろうとする。当時父も母も七十代の前半であったが、母が家事ができず、また骨折や脳内出血で入退院をくり返すので、わたしが、二年連続で介護休暇をとり、三年目には、当時ヘルパーをやっていた姉が引き取った。
そして、同じことがくり返された。ヘルパーをやっていた姉の職業的な目からも両親の在宅介護は限界であった。
ある日、同じように母の認知症に業を煮やした父は、母に打擲を加えた。姉は職業的な厳しさで父を叱った。そして、父が家出した。
「もう、こんな親不孝もんの家には居てられるか!」
一晩、姉は様子を見たが、大阪駅から「さようなら」と一声だけのメッセージを電話して、それが切れたところで、わたしのところに電話があった。
その足で姉の家に行き、親類中電話し、所在が掴めないので、ヤキモキした。
刑事をやっている甥もやってきた。
「服の裏に名前と住所書いたんねんやろ。保護されたり、なんかあったらネソ(曾根崎警察)あたりから連絡あるで、梅田は広い、捜しにいっても自己満足や、まず二十四時間。それ過ぎたら捜索願出そ」
そして、ほぼ二十四時間後に父はフラフラで帰ってきた。
姉は、この段階でケアマネさんと話して、介護付き老人ホームにいれることを決意した。
幸い、新築で、父の年金でまかなえる介護付き老人ホームが見つかったので、そこへの入居を決めた。両親を連れて下見もし、皆が納得の入所であった。
父の幻聴、幻視は、その後もつづいたが、ホ-ムのヘルパーさんなどが、うまく受け止めて下さっていた。
『私家版・父と暮らせば・2』
父は、2011年11月11日という、まことに覚えやすい日に逝った。
人交わりが極端に下手で、家族とさえ上手くいかなかった父は、認知症の始まった母といっしょに、七十代の後半から、介護付き老人ホームに入った。より正確には、姉と相談して入れた。
これだけ書くと、親不孝な息子と思われるかも知れない。
妄想癖の強い父には、若い頃から、幻聴や幻視があった。ちょっとした不幸があれば「誰かが呪っている」「悪魔がついている」と大声でいい、子供であった、わたしと姉は、狭い社宅の隅で小さくなっていた。わたしが、小学校一年生の時に左手を骨折したときなど、悪魔払いのつもりであろうか、長時間仏壇に向かい、怪しげな経文を唱えていた。
特に職場の特定の同僚や先輩のことを蛇蝎のように罵っていて、具合の悪いことに、一番嫌な先輩は社宅の隣である。安普請の社宅では声が筒抜けで、その根拠のない罵声は、当然のことながら御本人の耳にも入り、二度ほど穏やかに諭されに来られた。御本人を目の前にしては何も言えない父であった。小学生ながら不甲斐ないオッサンだと思った。
母には手が出た。今風に言えばDVである。
少しずつ進行していく母の認知症が父には理解できなかった。「また、訳のわからんこと言いやがって!」
と、拳を振り上げ、母を殴ろうとする。当時父も母も七十代の前半であったが、母が家事ができず、また骨折や脳内出血で入退院をくり返すので、わたしが、二年連続で介護休暇をとり、三年目には、当時ヘルパーをやっていた姉が引き取った。
そして、同じことがくり返された。ヘルパーをやっていた姉の職業的な目からも両親の在宅介護は限界であった。
ある日、同じように母の認知症に業を煮やした父は、母に打擲を加えた。姉は職業的な厳しさで父を叱った。そして、父が家出した。
「もう、こんな親不孝もんの家には居てられるか!」
一晩、姉は様子を見たが、大阪駅から「さようなら」と一声だけのメッセージを電話して、それが切れたところで、わたしのところに電話があった。
その足で姉の家に行き、親類中電話し、所在が掴めないので、ヤキモキした。
刑事をやっている甥もやってきた。
「服の裏に名前と住所書いたんねんやろ。保護されたり、なんかあったらネソ(曾根崎警察)あたりから連絡あるで、梅田は広い、捜しにいっても自己満足や、まず二十四時間。それ過ぎたら捜索願出そ」
そして、ほぼ二十四時間後に父はフラフラで帰ってきた。
姉は、この段階でケアマネさんと話して、介護付き老人ホームにいれることを決意した。
幸い、新築で、父の年金でまかなえる介護付き老人ホームが見つかったので、そこへの入居を決めた。両親を連れて下見もし、皆が納得の入所であった。
父の幻聴、幻視は、その後もつづいたが、ホ-ムのヘルパーさんなどが、うまく受け止めて下さっていた。