ショートファンタジーⅤ
『フライングゲット』
横丁をまがったところで、足が止まってしまった。
――お母さんになんて言おう……。
言葉は、いろいろ電車の中で考えた。三つほど考えた中でコレってやつも決めた。
でも、横丁をまがって、我が家が見えたところで、そんなものはふっとんでしまった。
――今度は、少し長かったもんな……よし、やっぱ、持つべきモノは友だち。由美に間に入ってもらおう。
そう決心して、携帯を出したところで声をかけられた。
「遅いじゃないのよ、里奈」
「……お母さん」
「うちは母子家庭みたいなもんなんだからさ、母子で協力しなくっちゃ。ほら、これ持って」
お母さんは、お気楽に白菜なんかが入った重いレジ袋を、ドサっと投げるように渡した。
「た……ただいま」
やっと出た一言は、あまりにも日常的だった。お母さんも拍子抜けがするほど日常的にわたしの前を、さっさと歩いていく。
ペスが一瞬「あれ?」って顔をした。
でも、すぐに尻尾がちぎれそうなくらいに振り、わたしに飛びつき、顔をペロペロ舐める。
「だめよね、安売りだと思って白菜丸ごと買ってしまった。しばらく白菜続くけど、レシピ工夫するから。えーと、冷蔵庫の中は……」
「お母さん……」
「え、なに。お土産でも買ってきてくれたの?」
「ううん、そうじゃなくって……」
「なんだ、お土産じゃないんだ……ちょっと外に出たんなら、少しくらい気を遣いなさいよ……とりあえず今夜はキムチ鍋にでもしとくか」
お気楽そうだが、やっぱり皮肉がこもっている……今度は、ちょっと長かったもんな……よし、直球でいこう。
「お母さん、ゴメン! ゴメンナサイ! 申し訳ありませんでした!」
「なによ、あらたまっちゃって」
なんという平静さ……相当怒ってる。あとの揺り返しが怖い。先手を取ろう、先手を。
「修学旅行に行くって言って、そのまま家出しちゃって。反省してます。この通り!」
「……なによ、変なこと言って」
「やっぱさ、こういうことはきちんとケジメつけてからでなきゃって。そう思って」
「トンチンカンなこと言わないでよ。それより、わたし今から自治会の会合だから、お鍋の用意しといてね。ペスにもゴハンあげといてね、キャンキャンうるさいから。あ、マフラーとってくれる。集会所、節電で暖房きかないのよね」
「あ、うん……えと、マフラー……無いよ」
「クロ-ゼットじゃないわよ。リビングのフック。クロ-ゼットいっぱいだって、先週里奈が替えたんじゃないよ」
「え……あ、あった、あった。これ、オマケのカイロ」
「ありがとう、じゃ、あとよろしく」
そう言うと、お母さんは出かけていった。
わたしは、つんのめった気持ちのまま、窓から見えるお母さんの後ろ姿を見送った。
わたしは、四年前、修学旅行を利用して家出をした。
理由はいろいろだけど、直接の原因はクラブのコンクール。
わたしは絶滅危惧種の演劇部だった。二年になって先輩が卒業して、部員は三人に減ってしまった。三人で演れる芝居って、そうそうは無い。
演目に困っていたら、F先輩が「すみれの花さくころ」という本を紹介してくれた。
この芝居、道具がいらないし、照明も大きな変化はない。つまり、その気になれば役者三人で演れないこともない。わたしたちは軽音からあぶれた指原という子に声をかけ、アコステとボ-カルの一部も手伝ってもらって、四人の歌芝居にした。
意外に出来も評判もよく、地区大会で二十年ぶりの最優秀。地区代表の先生も我が事のように喜んでくださった。なんたって中央大会で優勝すれば、地区はシード地区になり、明くる年は代表を二校出せる。
これはイケルと思って中央大会で唯一の既成作品として出場。観客の反応も上々で大ラスでは、満場の大拍手になった。
「これは、地方大会出場間違いなし!」
だれもが、そう思った。しかし、結果は選外だった。
講評で、審査員に言われた言葉……。
「作品に血が通っていない。行動原理、思考回路が高校生のそれとは思えない。世界が主役二人のためにしか存在しないような窮屈さ」
そう、切って捨てられた。
その時は、ただ呆然として何も言えなかった。家に帰ってから怒りがたぎりはじめた。
その審査員は、ネットで審査の内容をブログに書いていた。わたしは署名入りでトラックバックして質問し、二度ほどメールの遣り取りをした。
後日、クリスマスの頃に合評会があった。そこでもらったレジメを見て、わたしの怒りは沸点に達した。
その審査員は、審査の講評内容をガラリと替えていた。ばかりか、こんなことまで書いていた。
「帰りの電車の中で、Y高(わたしたちの学校)にも、なんらかの賞をやるべきだったと、感じた」
クラっと目眩がして、気がついたら、わたしは手を上げて全て喋りまくった。
「審査をやり直してください!」
わたしは、そこまで言ってしまったようだ。
それから、クラブのサイトには、わたしと、わたしのクラブを非難する書き込みで炎上してしまった。どこで調べたのか、会社の仕事で単身赴任してるお父さんのブログにまで書き込みがされるようになった。
この芝居を紹介してくれたF先輩が心配してくれ、わたしはF先輩に急接近していった。
そして、わたしは修学旅行の日、先輩と駆け落ち同然に家出してしまった。三日前に先輩のお父さんがやってきて、二人の逃避行は終わった。
思えば浅はかなことをしたと思った。お母さんの心配と怒りはわたしの想像を超えているようだ。あの平静さはただごとではない。
そんな四年間のあれこれをポワポワと思い出しながら、わたしは、お鍋の用意をしていた。
ややあって、玄関に気配。お母さんが帰ってきた……。
「あ……」
それは、お母さんではなかった。
リビングにコ-トを脱ぎながらやってきたのは、わたし自身であった……。
まるで鏡を見ているような時間が流れた。電話の音で二人のわたしは我に返った。
――寄り合いで、町会長の牧野さんが倒れたの。多分脳内出血……今、救命措置やってるとこ、お母さん救急車に乗って病院まで行ってくるから、夕食は先に食べておいて。
「うん、分かった。お母さんも気をつけて」
お母さんは、娘の声がステレオになっていることにも気づかずに電話を切った。
外は、いつのまにか雪になっていた。
二人のわたしは、鍋をつつきながら少しずつ話した。
もう一人のわたしは、合評会のとき発言はしていなかった。頭に来たところまでは同じなんだけど、もう一人のわたしはF先輩に止められれていた。
「出てしまった審査結果に文句を言っても傷つくのは里奈の方だぜ」
その一言で、もう一人のわたしは思いとどまり、クラブも引退。受験に専念して無事に程よい大学に進学し、大学で新しいカレもできて、今日はゼミの旅行から帰ってきたところ。
わたしは思い出した。あの合評会の日、F先輩は信号機の故障で電車が遅れ、合評会に遅刻して、わたしの爆弾発言には間に合わなかった。
お母さんは、元ナースってこともあって、町会長さんの世話や、ご家族への対応、ドクターへの説明に追われ、帰ってきたのは深夜だった。
二人のわたしは、互いに、それからの自分を語り合い。いっしょにお風呂に入った。
「ホクロの場所までいっしょだね」
と、バカなことを言って、揃いのパジャマを着てリビングで話しをした。
「風邪ひくわよ。パジャマのまま寝込んだりして……」
「え……ああ……あれ?」
「どうかした?」
「え、いや……ううん」
わたしには解らなくなっていた、わたしがどっちのわたしなのか……わたしの頭の中には二人分のわたしの記憶がある。
どちらから、どちらを見てもフライングゲットのように思える。
「この雪は積もりそうね……すごいわよ。わたしの足跡が、もう雪で消えてしまってる」
窓から雪景色を見ながら、お母さんが誰に言うともなく呟いた。
参考作品『すみれの花さくころ』
blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/e/8eb8530990bcbd678212a49e98a7cb44
『フライングゲット』

横丁をまがったところで、足が止まってしまった。
――お母さんになんて言おう……。
言葉は、いろいろ電車の中で考えた。三つほど考えた中でコレってやつも決めた。
でも、横丁をまがって、我が家が見えたところで、そんなものはふっとんでしまった。
――今度は、少し長かったもんな……よし、やっぱ、持つべきモノは友だち。由美に間に入ってもらおう。
そう決心して、携帯を出したところで声をかけられた。
「遅いじゃないのよ、里奈」
「……お母さん」
「うちは母子家庭みたいなもんなんだからさ、母子で協力しなくっちゃ。ほら、これ持って」
お母さんは、お気楽に白菜なんかが入った重いレジ袋を、ドサっと投げるように渡した。
「た……ただいま」
やっと出た一言は、あまりにも日常的だった。お母さんも拍子抜けがするほど日常的にわたしの前を、さっさと歩いていく。
ペスが一瞬「あれ?」って顔をした。
でも、すぐに尻尾がちぎれそうなくらいに振り、わたしに飛びつき、顔をペロペロ舐める。
「だめよね、安売りだと思って白菜丸ごと買ってしまった。しばらく白菜続くけど、レシピ工夫するから。えーと、冷蔵庫の中は……」
「お母さん……」
「え、なに。お土産でも買ってきてくれたの?」
「ううん、そうじゃなくって……」
「なんだ、お土産じゃないんだ……ちょっと外に出たんなら、少しくらい気を遣いなさいよ……とりあえず今夜はキムチ鍋にでもしとくか」
お気楽そうだが、やっぱり皮肉がこもっている……今度は、ちょっと長かったもんな……よし、直球でいこう。
「お母さん、ゴメン! ゴメンナサイ! 申し訳ありませんでした!」
「なによ、あらたまっちゃって」
なんという平静さ……相当怒ってる。あとの揺り返しが怖い。先手を取ろう、先手を。
「修学旅行に行くって言って、そのまま家出しちゃって。反省してます。この通り!」
「……なによ、変なこと言って」
「やっぱさ、こういうことはきちんとケジメつけてからでなきゃって。そう思って」
「トンチンカンなこと言わないでよ。それより、わたし今から自治会の会合だから、お鍋の用意しといてね。ペスにもゴハンあげといてね、キャンキャンうるさいから。あ、マフラーとってくれる。集会所、節電で暖房きかないのよね」
「あ、うん……えと、マフラー……無いよ」
「クロ-ゼットじゃないわよ。リビングのフック。クロ-ゼットいっぱいだって、先週里奈が替えたんじゃないよ」
「え……あ、あった、あった。これ、オマケのカイロ」
「ありがとう、じゃ、あとよろしく」
そう言うと、お母さんは出かけていった。
わたしは、つんのめった気持ちのまま、窓から見えるお母さんの後ろ姿を見送った。
わたしは、四年前、修学旅行を利用して家出をした。
理由はいろいろだけど、直接の原因はクラブのコンクール。
わたしは絶滅危惧種の演劇部だった。二年になって先輩が卒業して、部員は三人に減ってしまった。三人で演れる芝居って、そうそうは無い。
演目に困っていたら、F先輩が「すみれの花さくころ」という本を紹介してくれた。
この芝居、道具がいらないし、照明も大きな変化はない。つまり、その気になれば役者三人で演れないこともない。わたしたちは軽音からあぶれた指原という子に声をかけ、アコステとボ-カルの一部も手伝ってもらって、四人の歌芝居にした。
意外に出来も評判もよく、地区大会で二十年ぶりの最優秀。地区代表の先生も我が事のように喜んでくださった。なんたって中央大会で優勝すれば、地区はシード地区になり、明くる年は代表を二校出せる。
これはイケルと思って中央大会で唯一の既成作品として出場。観客の反応も上々で大ラスでは、満場の大拍手になった。
「これは、地方大会出場間違いなし!」
だれもが、そう思った。しかし、結果は選外だった。
講評で、審査員に言われた言葉……。
「作品に血が通っていない。行動原理、思考回路が高校生のそれとは思えない。世界が主役二人のためにしか存在しないような窮屈さ」
そう、切って捨てられた。
その時は、ただ呆然として何も言えなかった。家に帰ってから怒りがたぎりはじめた。
その審査員は、ネットで審査の内容をブログに書いていた。わたしは署名入りでトラックバックして質問し、二度ほどメールの遣り取りをした。
後日、クリスマスの頃に合評会があった。そこでもらったレジメを見て、わたしの怒りは沸点に達した。
その審査員は、審査の講評内容をガラリと替えていた。ばかりか、こんなことまで書いていた。
「帰りの電車の中で、Y高(わたしたちの学校)にも、なんらかの賞をやるべきだったと、感じた」
クラっと目眩がして、気がついたら、わたしは手を上げて全て喋りまくった。
「審査をやり直してください!」
わたしは、そこまで言ってしまったようだ。
それから、クラブのサイトには、わたしと、わたしのクラブを非難する書き込みで炎上してしまった。どこで調べたのか、会社の仕事で単身赴任してるお父さんのブログにまで書き込みがされるようになった。
この芝居を紹介してくれたF先輩が心配してくれ、わたしはF先輩に急接近していった。
そして、わたしは修学旅行の日、先輩と駆け落ち同然に家出してしまった。三日前に先輩のお父さんがやってきて、二人の逃避行は終わった。
思えば浅はかなことをしたと思った。お母さんの心配と怒りはわたしの想像を超えているようだ。あの平静さはただごとではない。
そんな四年間のあれこれをポワポワと思い出しながら、わたしは、お鍋の用意をしていた。
ややあって、玄関に気配。お母さんが帰ってきた……。
「あ……」
それは、お母さんではなかった。
リビングにコ-トを脱ぎながらやってきたのは、わたし自身であった……。
まるで鏡を見ているような時間が流れた。電話の音で二人のわたしは我に返った。
――寄り合いで、町会長の牧野さんが倒れたの。多分脳内出血……今、救命措置やってるとこ、お母さん救急車に乗って病院まで行ってくるから、夕食は先に食べておいて。
「うん、分かった。お母さんも気をつけて」
お母さんは、娘の声がステレオになっていることにも気づかずに電話を切った。
外は、いつのまにか雪になっていた。
二人のわたしは、鍋をつつきながら少しずつ話した。
もう一人のわたしは、合評会のとき発言はしていなかった。頭に来たところまでは同じなんだけど、もう一人のわたしはF先輩に止められれていた。
「出てしまった審査結果に文句を言っても傷つくのは里奈の方だぜ」
その一言で、もう一人のわたしは思いとどまり、クラブも引退。受験に専念して無事に程よい大学に進学し、大学で新しいカレもできて、今日はゼミの旅行から帰ってきたところ。
わたしは思い出した。あの合評会の日、F先輩は信号機の故障で電車が遅れ、合評会に遅刻して、わたしの爆弾発言には間に合わなかった。
お母さんは、元ナースってこともあって、町会長さんの世話や、ご家族への対応、ドクターへの説明に追われ、帰ってきたのは深夜だった。
二人のわたしは、互いに、それからの自分を語り合い。いっしょにお風呂に入った。
「ホクロの場所までいっしょだね」
と、バカなことを言って、揃いのパジャマを着てリビングで話しをした。
「風邪ひくわよ。パジャマのまま寝込んだりして……」
「え……ああ……あれ?」
「どうかした?」
「え、いや……ううん」
わたしには解らなくなっていた、わたしがどっちのわたしなのか……わたしの頭の中には二人分のわたしの記憶がある。
どちらから、どちらを見てもフライングゲットのように思える。
「この雪は積もりそうね……すごいわよ。わたしの足跡が、もう雪で消えてしまってる」
窓から雪景色を見ながら、お母さんが誰に言うともなく呟いた。
参考作品『すみれの花さくころ』
blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/e/8eb8530990bcbd678212a49e98a7cb44