タキさんの押しつけ映画評
『東京家族』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので、本人の了解を得て転載したものです。
今年は小津安二郎生誕110周年、「東京物語」が60周年(私と同い年…どうでもよろし)
山田洋次がこれをリメイクすると発表したのは2009年か10年だったと思う。11年4月クランクインを目指していたが、3月11日東日本大震災で製作が延期、台本も書き直された。奇しくも12年8月、英国映画協会が10年ごとに“世界映画50選”を発表する中で、 「東京物語」が1位を獲得した。
小津安二郎、東京物語、現代の巨匠・山田洋次と揃えば こりゃあ誰も抗えない。パンフレットも立派なら、その内容は讃辞に満ちている。映画関係者で意義を唱える人は皆無だろう。
映画館は60~70代の観客で7割の入り、一番大きな部屋で八尾の小屋という条件からすれば上々のスタートだろう。
今後の口コミ次第だが、若年層に訴求する所までは行かないだろう。 映画は「東京物語」のリメイクというよりも、その骨格をトレースしながら、戦後の日本の家族を描いた小津作品に対して、3・11以後の日本の家族を描こうとしている。山田洋次らしい秀作と言えるが、万雷の拍手……と言えるのか?
まず、ハッキリと断言するが台本が不出来だ、意あって届かず……空回りしている。
妻夫木と蒼井以外(正蔵は埒外)の役者はほぼ全員「東京物語」を意識しすぎて極めて退屈な演技、特に中嶋朋子は考え過ぎて迷路にはまったんじゃないかとさえ思える。
妻夫木、蒼井は その点捕らわれる事なく自然な演技で好感できる。この二人と早くから接点のある 母役・吉行和子がまず目覚め、次いで橋爪功が浮上してくる。空回りで退屈な前半と打って変わって、後半は人物に血が通い始める。
台本からすれば「世紀の大凡作」で終わるはずの作品が 一番若い二人によって救われたと言える。
小津の「東京物語」においても、父・笠智衆と 戦死した次男の妻・原節子のエピソードが最重要ポイントであり、ここを生かすための前半であるともいえる。
そう! あまりにも皆が絶賛するので誰も口に出来ないが「東京物語」だって前半は退屈なのだ。東京での生活に汲々としている長男、長女に自らを見いだしながらも 彼らには共感したくないという心理が働くのかもしれない。
私見を言わせて貰うならば、「東京物語」は戦後の日本だからこそ意味を持った、「東京家族」はそれを3・11以後の日本に重ねたが そこに錯覚があった。恐らく山田洋次は東北を丹念に見て回った事であろう、直に接する悲惨は彼の中に大きな傷をつけたであろう事は間違いない。
あえて こんな言い方をすれば「お前は日本人じゃない」としかられそうだが……第二次大戦は日本人全てに拭えぬ傷を負わせた。それからすれば、あの超規模の大震災であろうとも一地方の災害に過ぎない。そんな感覚であってはいけないのは明白……なら、それを喚起するための作品はもっと別な姿を取るだろう。少なくとも本作にその力は無い。監督の想いは空回りしているとしか言えない。
実は、もっと非道い感想を持っているが、これは書かんときます、自分でもそこまでの悪意は口にしたくありません。
あえて、ここまで3・11に踏み込まなければ、もっと評価できたかもしれないが、それにしても小津安二郎に対するリスペクトと同量以上の山田洋次オリジナルが提示されなければ、今度は「単なるコピー」と評価しただろう。
もう一つ、私見を言うならば……小津安二郎はヨーロッパでまず認められ、日本人の彼に対する評価はそれに引きずられている。 小津タッチといわれる独特の技法・語り口は見事ではあるが、映画のエンタメ性を否定した所に立脚している。趣味の問題もあるのだが、そうまでして求められる「リアル」を積極的に認める気にはならない。
何度も書いているが、私は「私小説」なるものが あまり好きではない。人生のすれ違い、残酷、悲惨、愚かしさ…全部 自前か周囲にあるものでたりている、読みたければドキュメンタリーを読む。映画についても同じように言える。元々こういった作品に興味が無いとだけはおことわりしておきます。
『東京家族』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので、本人の了解を得て転載したものです。
今年は小津安二郎生誕110周年、「東京物語」が60周年(私と同い年…どうでもよろし)
山田洋次がこれをリメイクすると発表したのは2009年か10年だったと思う。11年4月クランクインを目指していたが、3月11日東日本大震災で製作が延期、台本も書き直された。奇しくも12年8月、英国映画協会が10年ごとに“世界映画50選”を発表する中で、 「東京物語」が1位を獲得した。
小津安二郎、東京物語、現代の巨匠・山田洋次と揃えば こりゃあ誰も抗えない。パンフレットも立派なら、その内容は讃辞に満ちている。映画関係者で意義を唱える人は皆無だろう。
映画館は60~70代の観客で7割の入り、一番大きな部屋で八尾の小屋という条件からすれば上々のスタートだろう。
今後の口コミ次第だが、若年層に訴求する所までは行かないだろう。 映画は「東京物語」のリメイクというよりも、その骨格をトレースしながら、戦後の日本の家族を描いた小津作品に対して、3・11以後の日本の家族を描こうとしている。山田洋次らしい秀作と言えるが、万雷の拍手……と言えるのか?
まず、ハッキリと断言するが台本が不出来だ、意あって届かず……空回りしている。
妻夫木と蒼井以外(正蔵は埒外)の役者はほぼ全員「東京物語」を意識しすぎて極めて退屈な演技、特に中嶋朋子は考え過ぎて迷路にはまったんじゃないかとさえ思える。
妻夫木、蒼井は その点捕らわれる事なく自然な演技で好感できる。この二人と早くから接点のある 母役・吉行和子がまず目覚め、次いで橋爪功が浮上してくる。空回りで退屈な前半と打って変わって、後半は人物に血が通い始める。
台本からすれば「世紀の大凡作」で終わるはずの作品が 一番若い二人によって救われたと言える。
小津の「東京物語」においても、父・笠智衆と 戦死した次男の妻・原節子のエピソードが最重要ポイントであり、ここを生かすための前半であるともいえる。
そう! あまりにも皆が絶賛するので誰も口に出来ないが「東京物語」だって前半は退屈なのだ。東京での生活に汲々としている長男、長女に自らを見いだしながらも 彼らには共感したくないという心理が働くのかもしれない。
私見を言わせて貰うならば、「東京物語」は戦後の日本だからこそ意味を持った、「東京家族」はそれを3・11以後の日本に重ねたが そこに錯覚があった。恐らく山田洋次は東北を丹念に見て回った事であろう、直に接する悲惨は彼の中に大きな傷をつけたであろう事は間違いない。
あえて こんな言い方をすれば「お前は日本人じゃない」としかられそうだが……第二次大戦は日本人全てに拭えぬ傷を負わせた。それからすれば、あの超規模の大震災であろうとも一地方の災害に過ぎない。そんな感覚であってはいけないのは明白……なら、それを喚起するための作品はもっと別な姿を取るだろう。少なくとも本作にその力は無い。監督の想いは空回りしているとしか言えない。
実は、もっと非道い感想を持っているが、これは書かんときます、自分でもそこまでの悪意は口にしたくありません。
あえて、ここまで3・11に踏み込まなければ、もっと評価できたかもしれないが、それにしても小津安二郎に対するリスペクトと同量以上の山田洋次オリジナルが提示されなければ、今度は「単なるコピー」と評価しただろう。
もう一つ、私見を言うならば……小津安二郎はヨーロッパでまず認められ、日本人の彼に対する評価はそれに引きずられている。 小津タッチといわれる独特の技法・語り口は見事ではあるが、映画のエンタメ性を否定した所に立脚している。趣味の問題もあるのだが、そうまでして求められる「リアル」を積極的に認める気にはならない。
何度も書いているが、私は「私小説」なるものが あまり好きではない。人生のすれ違い、残酷、悲惨、愚かしさ…全部 自前か周囲にあるものでたりている、読みたければドキュメンタリーを読む。映画についても同じように言える。元々こういった作品に興味が無いとだけはおことわりしておきます。