大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・『魔法科高校の優等生・1』

2016-09-15 07:05:22 | ノベル
高校ライトノベル
『魔法科高校の優等生・1』
       

 放課後、中庭の木漏れ日の下を、隠せぬ憂い顔で魔岡レオが歩いている……。
 

 他の生徒や先生たちでさえ、このデビル魔法科高校の最優等生である魔岡レオの思索を邪魔することはできなかった。

 ふと藤棚の下のハーアイオニーと目があった。ハーアイオニーは、このデビル魔法科高校の優等生であると共に、最高の美少女と言われている。そのハーアイオニーにはレオの苦しみが分かっているつもりだった。

――そう、魔法を極めると、誰でも悩むのよ。誰のために、何のために魔法を学んでいるのかと――

 でも、そのハーアイオニーでさえ、レオに寄り添い、悩みを共にすることは憚られた。それほどに、最優等生のレオの悩みは深かった。

 ぼく達は、いったい何のために魔法を学んでいるんだろう? 
 こないだ、バカな人間をドテカボチャに変える魔法を習った。ためしに、この学校がある街の半グレ共を全員かぼちゃにしてやった。その手際の良さを、生徒達は驚嘆し、先生達は賞賛してくれた。市長からは感謝状さえもらった。
 でも、それが何になるんだろう。バカの数だけカボチャを増やしただけだ。

 その前は、街に落ちてくる爆弾を除ける魔法だった。アラブのある街で実習をやった。レオの魔法は完ぺきだった。その街には一発の爆弾も落ちなかった。
 でも、落ちなかった爆弾は、みんな他の街に落ちて犠牲者を出してしまった。先生達は「大したできだ! ハウル以来の天才だ!」と誉めてくれた。
 日本政府からは、専属の魔法使いになってくれないかと、非公式に依頼があった。自分の国さえ良ければいいという、日本人らしい考え方だった。
「あなたたちは、すでに日本国憲法という魔法を持っているじゃありませんか」ぼくは、そうシニカルに答えておいた。

 レオは、違うと思った。魔法とは、そんなマヤカシモノではなくて、もっと根本的に解決できる手段でなければならないと、一人孤独に悩んだ。
 この学校が、魔法そのものが、ひょっとしたら根本的に間違っているのかも知れないと悲観的にさえなった。

 で、その憂い顔が、とてもクールでイカシテいると評判になり、学校で一番の美少女ハーアイオニーさえ、振り向くようになってきた。

「レオ、ヘブンティーンが写真と、インタビューに来てるぞ」

 広報部の、インガソル先生が職員室の窓から呼んでいる。レオは、いまや、単なる優等生ではなく、この学校、この街のシンボル、いや、広告塔と言ってもいい存在だった。
 そして、そんな他愛ないマスコミの取材や撮影に、魔法では味わえない、自己解放の喜びを感じていた。

「分かりました、いま行きます」

 レオは、まるで歯磨きのCMのように白い歯をこぼれさせながら手を振った。女生徒達が、ネコジャラシを見るような目で見ている。

 その魔法科高校の最優等生であるレオの姿が、手を振ったまま姿が薄くなり、消えてしまった……。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・35『ストロベリーナイト/つやのよる』

2016-09-15 06:38:51 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・35
『ストロベリーナイト/つやのよる』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家 滝川浩一が個人的に仲間内に流している映画評ですが、もったいないので本人の了解を得て転載したものです。


☆ストロベリーナイト

 テレビシリーズの映画化は、前作を見とかんとツライでっせと……まぁ、言わずもがなな事をいつも書く訳ですが。本作は大丈夫だっせ。
 いやいや、細かい設定や人間関係の機微はテレビシリーズか原作シリーズを知らないと判らんのですが。一番重要な「姫川玲子」の心の闇は 全シリーズを見ていても解らないんで、結局一緒なんです。
 誉田哲也の原作シリーズは今の所 6冊…まだ 続いて行くみたいです。原作には書かれているのかもしれませんが、“姫川玲子”は高校生の時にレイプされてそれがトラウマになっている捜査一課の敏腕刑事という設定。しかし、彼女の抱えている心の闇は本当にそれだけなのか?ってのがテレビシリーズからずっと続いている疑問で、本作にも解答はありません。
 映画の構造は、これまでのシリーズに必要以上に寄りかからず、一本の独立したストーリーに成っていて、これは原作の優れた所なのか 監督(「キサラギ」の佐藤祐市ですけぇ)の手柄なのかは判りませんが、わかりやすい構造になっています。まぁ、結子ちゃんが巧いから……ダハハハハ、西島君他姫川班のチームワークも良いし、他の皆さんもキャラがたっとります。
 今作では大沢たかおが儲け役、可哀想なのは菊田君(西島)、 シリーズ最終回で玲子ちゃんとええ雰囲気やったのに 大沢たかおに引導渡されちまいました。なんぼなんでも涙無くして(特に男は…)見られないシーンがございます。 まぁ、大見得切った大沢君でもあかんのは見えとりますがね、玲子の抱えている“闇”の全貌がみえないと 近づく男はみんな抹殺です。いますよねぇ こんな女性 コエェヨ~。
 ストーリーは細部に渡って穴のないように組み上がっています。そういう意味でも あまりストレスはありません。オススメであると申し上げます。ただ、全編 雨が降りっぱなし“インビジブル・レイン”が原作タイトルなので その“インビジブル”をどう解釈するかで雨の意味が変わるんですが……ですがぁ……何ちいますか~ ただ、淡々と降ってるだけなんだよなぁ。
 アタシャ勝手に D・フィンチャーの“7”の雨を意識してるんだと決め込んでたんどすが…う~ん、違うんかなぁ。“7”の雨は「悪意」「毒」「隠れ蓑」……ってな意味合い、本作の雨からは何も感じない。さて、誰の責任? 竹内結子の責任でない事だけは確かですが…テレビで「アフター・インウ゛ィジブルレイン」ってのをやっとりましたが、原作はどない続いていくんでしょうねぇ。読んでいる人の感想によると 姫川玲子は全く竹内結子のイメージじゃないそうで…それじゃ意味ねぇじゃんってんで 今んとこ読む気無しであります。アハハ……。

☆つやのよる

 なんか、日本の映画のストーリーじゃねぇなぁって感じです。
 しかし、邦画でしか有り得ない雰囲気でもある。設定はフランス映画なんかによくある形なんですが、ひとつひとつのエピソードが どうしょうもなく日本的なんです。
 伊豆大島に病気で死にかけている「艶」という女がいる。なかなか女の顔が出て来ないのだが、性的に奔放な女であったらしく、死の直前まで男を追いかけまわしていたらしい……さて、彼女には夫(阿部寛)がいる。彼は この女に散々振り回され 人生をグチャグチャにされた筈なのに 何故か献身的に看護している(相当歪んではおりますが)、彼は これまでに妻が関係した男達に「艶はもうすぐ死ぬ」と連絡する。さて、連絡を受けた男達はどうするのか、そして 現在 その男共の横にいる女達にも余波が及んでいく……ってなお話。
 ザックリ 切り捨てるなら、出来の悪い短編私小説を一人の女を中心に据えて振り回した物語。なんで私小説大嫌いオヤジの私がこんな映画を見んといかんかったのか……編集部Y美! ええ加減にせえ!
 まぁ、J・ロバーツの「飲んで食って恋して」??覚えてない、あの中年女の ええ年しての自分探し物語ほどには頭には来んかったですけどね。阿部寛の劇的に痩せてやつれた姿と、とうとう妻が死んで その通夜……棺桶の妻に向かって「ざまぁみろ!○×△□◇#&@☆!!」と叫ぶ姿に感銘受けちまいました。  
 登場人物達が それぞれ状況に差はあるものの基本的に泥まみれに成っている中、この夫だけが なんだか小さな幸せを掴めそうな結末には笑っちまいました。
 まぁ、一番の失敗は私に無理やりこの映画を見させた編集部方針にある…とだけは申しておきます。こんなん好きな方もおらしゃりますでっしゃろから 全否定はいたしませんが…アタシャもうお断りでありま。聞いとるか? Y美ちゃん

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