大人ライトノベル
『私家版・父と暮らせば・5』
「まず、お墓開きをしていただきまして……」さりげなく三度目の圧力だあった。
「それは、いたしません」さりげなく、受付で三度目目のお断りをした。
納骨の打ち合わせの段階に、二度「お墓開き」を言われている。京都でも有名な屋内型の墓所で、父が三十年以上前に、分不相応に買ったものである。三十年前に買った墓地に、今さら「墓地開き」もあるまいと二度断った。担当のオネエチャンは、さも自然な流れのように「まず、お墓開き……」ときた。うっかり「うん」というと、これだけで一万円取られる。やることは想像がつく。僧侶が一人十五分ほどのお経を唱えて、それで終わりである。あまり無碍(ムゲ)にもできないと思い、納骨にさいしてのお経だけお願いした。
で、この坊主は仏教系大学の学生アルバイトである。このことは従兄弟の住職から聞いていた。現に従兄弟の息子が学生時代に、このアルバイトをやっている。失礼ではあるが、この宗旨の教義については、ハンパな学生よりも詳しいつもりである。
「オタク、A大学? B大学?」
若い僧侶は、完全なシカトで、これに応えた。
納骨檀を開けて驚いた。すでに人型の木に法名が書かれて収められていた。
愕然という言葉はめったに使わないが、愕然としか表現しようのない気持ちになった。
その法名は『釋○○』と言い、月足らずで生まれ、死産と届けられていた、わたしの兄のものであった。よく見れば過去帳も、その兄の忌日のページで開かれており、ちゃんと法名が書かれていた。
わたしの愕然には、二つの意味がある。
一つは、そこがもう墓としての存在意味を持っていることである。兄の人型があり、過去帳に載っていれば墓であろう。過去帳のきれいな字は父の手ではなかった。「お父さんの法名、なんやったら、こっちで五百何十円で書かせて頂きます」と受付のオネエサンが言ったところをみると、この墓所の担当者の手によるものであり、よく調べれば、ここがもう墓として俗世的にも機能しているということである。また、うちの宗派の宗祖は、墓について、そんなことは一切言ってはいない。
もう一つは、父が、水子として処理され戸籍にさえ載っていない兄に負い目を感じていたことである。空の墓であると思っていたのは、わたしたち姉弟、親類みなそうで、父と認知症になる前の母だけであった。
これを知ったことで、わたしの人生は兄の分だけ重さが増えた。
父の骨箱は、封筒で言うと定形最大で、三段になった一段分では収まりきれず、棚一段を外して、なんとか収めた。いわば1Kのアパートのようなもので、次ぎに同じサイズの骨箱が来れば、もう収めようがない。
この先、どうするんだろう……この疑問を受付のオネエチャンに聞いてみた。
「そう言うときは、古いお骨を分骨して頂いて、小さくします。そして新しいお骨を収めさせていただきます。はい」
「ああ、産業廃棄物ですものね」
「いいえ、他のお骨といっしょに祀らせていただきます」
エホバのニイチャンと「言葉は偶像である」というところで、話が中断したままなのだが、わたしは「言葉は偶像である」という自説が頭に浮かんだ。実態としては収納仕切れない骨の処分なのであるが、「お祀り」と言われると、なにかとても美しい言い回しに聞こえる……ほどウブではない。
外歩きに慣れないわたしは、しばらくリビングでひっくり返ってから、この駄文を書いている。
父のお骨が置いてあった祭壇は、まだそのままにしてある。明日にでも片づけなければカミサンに叱られそうなのであるが、少し抵抗がある。
一年五ヶ月、父の居場所であり。飽きるほど語り、ふと気づくと目がいった場所に、父はもういない。
敬虔な、他宗教の人たちには叱られるかもしれないが、その本箱前の場所は父の場所であり、聖地に似ている。ズボラからではなく、片づけるのには抵抗がある。なんだかんだ言いながら、カミサンの顔色が変わるまで、そのままにしておこうと思う。
今夜から天気が崩れるそうである。納骨の日取りについては、ザックリ連休と決めていたのだが、今日という日にしたのは、なんとなくである。生前お天気屋であった父らしい上天気ではあった……。
『私家版・父と暮らせば・5』
「まず、お墓開きをしていただきまして……」さりげなく三度目の圧力だあった。
「それは、いたしません」さりげなく、受付で三度目目のお断りをした。
納骨の打ち合わせの段階に、二度「お墓開き」を言われている。京都でも有名な屋内型の墓所で、父が三十年以上前に、分不相応に買ったものである。三十年前に買った墓地に、今さら「墓地開き」もあるまいと二度断った。担当のオネエチャンは、さも自然な流れのように「まず、お墓開き……」ときた。うっかり「うん」というと、これだけで一万円取られる。やることは想像がつく。僧侶が一人十五分ほどのお経を唱えて、それで終わりである。あまり無碍(ムゲ)にもできないと思い、納骨にさいしてのお経だけお願いした。
で、この坊主は仏教系大学の学生アルバイトである。このことは従兄弟の住職から聞いていた。現に従兄弟の息子が学生時代に、このアルバイトをやっている。失礼ではあるが、この宗旨の教義については、ハンパな学生よりも詳しいつもりである。
「オタク、A大学? B大学?」
若い僧侶は、完全なシカトで、これに応えた。
納骨檀を開けて驚いた。すでに人型の木に法名が書かれて収められていた。
愕然という言葉はめったに使わないが、愕然としか表現しようのない気持ちになった。
その法名は『釋○○』と言い、月足らずで生まれ、死産と届けられていた、わたしの兄のものであった。よく見れば過去帳も、その兄の忌日のページで開かれており、ちゃんと法名が書かれていた。
わたしの愕然には、二つの意味がある。
一つは、そこがもう墓としての存在意味を持っていることである。兄の人型があり、過去帳に載っていれば墓であろう。過去帳のきれいな字は父の手ではなかった。「お父さんの法名、なんやったら、こっちで五百何十円で書かせて頂きます」と受付のオネエサンが言ったところをみると、この墓所の担当者の手によるものであり、よく調べれば、ここがもう墓として俗世的にも機能しているということである。また、うちの宗派の宗祖は、墓について、そんなことは一切言ってはいない。
もう一つは、父が、水子として処理され戸籍にさえ載っていない兄に負い目を感じていたことである。空の墓であると思っていたのは、わたしたち姉弟、親類みなそうで、父と認知症になる前の母だけであった。
これを知ったことで、わたしの人生は兄の分だけ重さが増えた。
父の骨箱は、封筒で言うと定形最大で、三段になった一段分では収まりきれず、棚一段を外して、なんとか収めた。いわば1Kのアパートのようなもので、次ぎに同じサイズの骨箱が来れば、もう収めようがない。
この先、どうするんだろう……この疑問を受付のオネエチャンに聞いてみた。
「そう言うときは、古いお骨を分骨して頂いて、小さくします。そして新しいお骨を収めさせていただきます。はい」
「ああ、産業廃棄物ですものね」
「いいえ、他のお骨といっしょに祀らせていただきます」
エホバのニイチャンと「言葉は偶像である」というところで、話が中断したままなのだが、わたしは「言葉は偶像である」という自説が頭に浮かんだ。実態としては収納仕切れない骨の処分なのであるが、「お祀り」と言われると、なにかとても美しい言い回しに聞こえる……ほどウブではない。
外歩きに慣れないわたしは、しばらくリビングでひっくり返ってから、この駄文を書いている。
父のお骨が置いてあった祭壇は、まだそのままにしてある。明日にでも片づけなければカミサンに叱られそうなのであるが、少し抵抗がある。
一年五ヶ月、父の居場所であり。飽きるほど語り、ふと気づくと目がいった場所に、父はもういない。
敬虔な、他宗教の人たちには叱られるかもしれないが、その本箱前の場所は父の場所であり、聖地に似ている。ズボラからではなく、片づけるのには抵抗がある。なんだかんだ言いながら、カミサンの顔色が変わるまで、そのままにしておこうと思う。
今夜から天気が崩れるそうである。納骨の日取りについては、ザックリ連休と決めていたのだが、今日という日にしたのは、なんとなくである。生前お天気屋であった父らしい上天気ではあった……。