イスカ 真説邪気眼電波伝・06
幻想神殿のプレイヤーなら頭の上にIDバーが必ずある。
ゲームのアカウントをとる時に付けるIDだ。三十字以内の平仮名・片仮名・漢字・アルファベット。
オレはNANSHIだ。ネットのハンドルネームはデルス・ウザーラだけど、表立っては名乗っていない。
本当はNANASHIなんだけど、登録するときにAを一つ忘れてしまいNANSHIになってしまっている。
A一つの事なんだけど、ローマ字読みするとナンシとナナシの違いになる。
オレは目立つことが嫌いなんで「名無し」にしたんだ。アルファベットにすることによって「名無し」の印象は薄まる。
デルス・ウザーラだと、映画オタクとかオッサンのプレイヤーなら分かってしまうしな。
それにアルファベットだと、人が読むのに少し時間がかかる。
たとえゲームの中であろうが目立つのはいやなんだ。
たまに行くバザールのオヤジなどは「ナン氏」と呼んでくれる。ナンシ氏じゃ発音しにくいもんな。
網から抜け出したそいつは、ザンバラの髪と服装を整えているが、頭の上にIDバーががない。
「おまえ、NPCか?」
言って自分でもおかしいと思う。NPC、つまりゲーム内にデフォルトで設定されているキャラなら、設定された場所からは移動しない。店のオヤジなら店から外には出てこない、ホテルのフロント係ならフロントの中、洗濯女なら日がな一日川で洗濯している。兵士とか巡査なら動き回るが、決められた街や任地の外に出ることは有りえない。
じゃ、この森のNPC? 森の中ならドワーフかエルフ……こいつのミテクレは町娘だ。森に町娘、有りえない。
それに所属のあるNPCなら名前と役割のIDが付いている[ハンス・店主]とかな。
IDが無いのは単なる通行人だ。その他大勢のモブならいちいちIDが付くことは無い。
だが、通行人ならこんなに喋ったりはしない。むろん単なるモブに話しかけたことなんかないけでさ。
「ボサっとしてないで謝ったらどうなのよ! こんな森の真ん中に罠を仕掛けて、ひとをひどい目に合わせてさ!」
「おまえの方こそおかしいだろ! ひとが仕掛けた罠をメチャクチャにしやがって、もう、おまえの臭いとかが染みついて、ピーボアも寄り付きゃしないだろが! っていうか、おまえ何者なんだよ?」
「あんたを叱りにきたのよ、ナンシー!」
「ナ、ナンシー!? 伸ばすな、オレはNANSHIだ!」
「ダメ、ナンシーで覚えちゃったんだからナンシーよ!」
「いや、だから、オレのIDは……」
めんどくさいが、オレはIDの由来を穏やかに説明してやった。世の中めんどうを回避するためには忍耐が必要だ。予測されるめんどうを回避するためなら、少々の我慢はできる男なんだ。
「ハ! 軟弱な! 説教しに来て正解だったわね」
「おまえなーー!」
「いい若いもんが、森に引きこもっちゃって、有りえないじじむささじゃん。男だったらさ、スキル磨いて攻略目指しなさいよ! きちんとギルドに入って社交性にも磨き掛けなきゃ、イザって時に救けを呼ぶこともできないわよ」
「うっさい! オレは、こういうマッタリ生きるのが好きなんだよ!」
「ゲームの中に入ってまで引き籠るな!」
「引き籠りじゃねー、ライフスタイルだ! ロビンフッドだってシャーウッドの森で似たような暮らししてんじゃないか」
「ハ! ロビンフッドはやがては悪辣な王様やっつけるじゃん。ぜんぜん違うわよ。あんたはナンシー、軟弱な死にかけ野郎よ!」
「グヌヌ、人のことをメチャクチャ言いやがって、そういうお前は何者なんだ?」
「メレンブルクの娘よ」
「で、名前は?」
「ンなもん無いわよ」
「名前とかIDが無いのは、ただの通行人だぞ」
「そうよ、あたしはガラクタ通り三丁目のミス通行人よ、文句ある!?」
こんな偉そうな通行人は見たことが無いぞ!