イスカ 真説邪気眼電波伝・23
『中庭の藤棚』
ビクリとして振り返った佐伯さんは無防備だった。
無防備に驚いていても佐伯さんは美人だ。ひそめた眉に日ごろ見せない可愛ささえ滲ませていて、その下の目はうっすらと涙があふれている。
その美しさと可愛さと涙に狼狽えて、佐伯さん以上に狼狽えてしまった。
あ……。
手にしたキーホルダーに気づいて小さく声を上げ、招き猫みたく顔の横でおいでおいでをし、教科書を腋に挟んだままの左手で出口を指さした。
ここじゃまずいから、外に出て話そうというジェスチャーだ。
「拾ってくれたのね、ありがとう」
藤棚まで行くと、渡す前にお礼を言われる。
「あ、はい、これ……」
「やっぱ緊張してたのね、荷物持ちかえた時に落としたんだ」
「えと、あ、じゃ……」
「待って」
「え……?」
振り返ると、佐伯さんはベンチに座って、自分の横をホタホタと叩いた。
「え、あ……うん」
佐伯さんのすぐ横に座るなんて初めてだ、自分でも分かるくらいにドキドキする。
「わたしね、三宅先生に質問に行ったの」
「え? あ、ああ」
「あ、ひょっとして三宅先生の名前知らなかった?」
「え、あ、うん」
半年以上も習っているのに、ちょっと恥ずかしい。オレって、どんだけ学校に気が向いてねーんだ。
「ハハ、やっぱ影の薄い先生だもんね、薄いままにしときゃいいのに……ついこだわっちゃうのよね」
「なにかこだわったの?」
「板書と説明が間違ってるんで、質問しにいったの」
「え、あ、すごい」
オレは質問どころかロクに聞いてさえいない。イスカに躾けられてノートは取るようになったけど、まるで古代文字を写してる感じで、中身なんか気にも留めていない。
「巣鴨でA級戦犯が処刑された日が間違ってたのよ、先生は12月24日って書いたけど、実際は23日」
「え?」
不用意に反応してしまった。そんな細かいことって思っちまったんだ。
「そうよね、細かいことよ。テストにも出ないでしょうし……先生はね『日本人へのクリスマスプレゼントのつもりだったんだ』って言ったのよ」
「23日だったら?」
「23日は天皇誕生日。クリスマスプレゼントどころか、えげつない当てこすり。たぶん先生は間違えて覚えてしまったのよね、それを気の利いた話のつもりで、ま、余談の範疇の話だから、わざわざ質問に行くことも無かったのにね」
「そんなことないよ、間違いは間違いなんだから先生も素直に認めなきゃ、あんな逆切れは……」
「あ、やっぱ、聞いてた?」
「あ、あ、それは……」
「ううん、仕方ないわよ。キーホルダー返そうとして戻ってきてくれたんだから……それよりも、わたしの話わかってくれてありがとう。でも、つまらない話だから、もう、これで忘れてね……って、自分から話しておいて可笑しいわよね」
「え、あ、ううん。そんなことないよ、誰でも人にぶちまけたいことってあるよ!」
「でも、これでせいせいした!」
佐伯さんの明るさに、つい笑ってしまう。佐伯さんもアハハと笑って、二人の笑い声が中庭に響いた。
おまえらあああああ……なにが可笑しいいいいいいいいいいい!!
ビックリして目をやると、中庭の入り口に鬼の形相で三宅先生が立っていたではないか!!