国つ神の末裔 一言ヒトコ・4
『村主勲の憂鬱』
昔、雄略天皇が葛城山へ狩に行った時、山中で、自分たちと同じ身なりをした一行に出会った「何者だそなたたちは!?」そう尋ねると、天皇そっくりの者が、こう言った「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」
これは、その一言主の末裔の物語である。
衆議院議員・村主勲(すぐりいさお)は、滑るように走る新幹線の中、いささか憂鬱だった。
昨日は東京大空襲慰霊祭に参列して後ろめたい思いをした。
終戦当時国民学校の二年生であった勲は、早くから縁故疎開で福島のS町で過ごし、東京大空襲には遭わずに済んだ。
こういう後ろめたさは、疎開して命が助かった当時の子供ならば、多少なりと持っている感情である。自分たちより年少で、東京に残った子供たちの多くが死んだ。十万人の犠牲者の中でも、十歳までの幼児や子供の死亡率が一番高い。
そこに加えて、勲は伯父の家への縁故疎開で、食べ物に不自由することもなければ、空襲に遭ったこともない。父はボルネオで戦死し、母と幼い妹は、十日の大空襲で亡くなった。亡くなったと言っても遺体が見つかったわけではない。大勢の身元不明の遺体といっしょに焼かれたのだろう。終戦直前に死亡宣告がされた。
伯父の家の従兄弟二人は二十歳と十八歳で戦死、跡を継ぐものがいないので、勲は、そのまま伯父の養子になり、戦後つつがなく大学まで進学。その後福島で農協に勤めた後、地元の議員に目を掛けられ、彼の地盤を引き継ぐようにして県会議員になり、四十歳を超えて衆議院議員に当選、今日に至っている。
その伯父一族も、あの震災で逝ってしまった。
「さ、さっきはすんませんでした」
トイレに行く途中、学生風が気おされて、すれ違う前に謝った。
「ああ、分かればいいさ」
鷹揚に言ってはみたが、後ろめたい。昨日の気鬱と、これから福島でやらなければならないことを考えていた勲は、四人掛けのシートで騒いでいた若者たちを叱った。
若者たちは春休みの旅行に浮かれて、ちょっとはめをはずしていたが、あの叱り方はないと自分でも思っている。
「今日は大震災の日だ。被災地へ向かう人たちも多い、学割で乗っている身で騒ぐんじゃない」
勲は、議員として社会の裏も表も見てきた、熾烈な選挙戦も勝ち抜いてきた。議場では、いつもどすの利いた野次を飛ばすことでも有名だった。ほんの少し不機嫌そうに叱ったが、彼らにはよほど堪えたようである。
――居ても立っても居られない🎵――
孫娘が歌って耳にタコになった、AKBの一節が、文字通りヘビーローテーションしている。
列車の連結部に来た時、一瞬周囲が暗くなった。
「ウ……!?」
声にならなかった。自動ドアが開くと、そこは新幹線ではなかった。オハ35という戦時中の客車であった。座席と通路は旧日本陸軍の兵士で一杯だった。
兵士たちは、一瞬勲をみたが、そのあとは、勲など居ないかのように正面を見据えている。今風に言えばシカトである。
トイレは、その先なので、どうしても通らざるを得ない。混んではいたが水の中に混じった一滴の油のように、兵士たちと触れることもなく次の車両に……。
次の車両は、集団疎開の国民学校の児童でいっぱいだった。ここでも、みな一瞥はくれるがシカトをきめられた。
居たたまれない気持ちで車両を通り抜け、デッキに出ると、小さな女の子がいた。
「さ……幸子か」
「兄ちゃん、怖がらなくてもいいよ……選挙対策でもいいよ……後ろめたいのは、兄ちゃんに、済まないという気持ちがあるから。幸子たちのことをかわいそうに思ってくれる気持ちがあるからだよ。世の中気持ち全部で申し訳ないと思える人なんかいないよ。ね、元気出して勲兄ちゃん。泣いちゃだめ、幸子たち悲しいままで、行くところにも行けない。涙拭いて……」
小さな手を差し上げるようにして、幸子がハンカチを渡してくれた。
涙を拭くと、幸子の姿は、もうなかった。そして、そこは新幹線のトイレの前だった。
――これで、あのお爺ちゃん、少しは楽になったかな――
三百キロ近い速度で流れていく景色を見ながら、ヒトコは思った。