せやさかい・279
いいニュースがあります。
校門を出てガードモードになったソフィーが呟いた。
校内に居るうちは、同級生モードなので「ねえ、食堂の値上げとかありえなくない?」と、決まってから連絡する担任に友だち言葉で憤っていたのが嘘みたい。
「え、なに?」
「今日の定時連絡はキャンセルになりました」
「え、うそ!?」
「本当です」
「なんで!?」
二回も聞き直したのは、定時連絡がキャンセルされることはめったにないから。
で、誰に対する定時連絡というかというと、お祖母ちゃんへの。
ヤマセンブルグ女王であるお祖母ちゃんは、わたしが日本国籍を捨てず、いまだに正式な王位継承者として名乗りを上げていないから、心配で仕方がない。
だから、週に二回、決まった時間にスカイプでの連絡を義務付けられている。
他にも、用事があっても無くっても、なにか気がかりとか思いついたとかで、しょっちゅうかかってくる。
なんせ、一国の女王陛下で、配下には国の諜報機関なんかも付いていて「ええ、なんでえ!?」ってことまで知っている。
「ヨリコ、二キロ増えたでしょ?」
なんて、自分でも気づかなかったことを指摘されることもある。
なんたって、横を歩いているソフィーが諜報部。そのボスがジョン・スミスで、領事館の警備責任者。
他にも領事館の内外に、そういうのが居て、そういうのが、いろんなルートでわたしのことを報告している。
ま、いいんだけど。
わたし嫌がっているのは、ソフィーもジョン・スミスも知っていて、時々、こういうサービスをしてくれる。
まあ、諜報部員としてのマニュアルとか手練手管ではあるんだろうけど、根が17歳の女子高生だから、こういう気配りとかにはほだされてしまう。
いや、じっさい、ソフィーもジョン・スミスもいい人なんだけどね。
「で、なんでキャンセル?」
「ロシアがウクライナに侵攻しました」
「え、昨日は、ロシア軍の撤退が始まったとか言ってなかった?」
「あれはフェイクだったようです。東部だけでなく、南部と北部からも侵攻して、双方に犠牲者が出ています」
「そうなんだ……」
ヤマセンブルグは小国だけどNATOにも加盟している。いざとなったら他のNATO諸国と歩調を合わせて行動しなくてはならない。
きっと、今は、国を挙げて情報を収集して対策に大わらわだ。
君臨すれど統治せずなんて言ってはいられない。そりゃあ、わたしとの定時連絡どころではないよ。
「ちょっと、そこの公園で確認していいですか?」
「あ、うん。わたしも気になる」
駅への途中の公園で、スマホをチェック。
抜かりの無いソフィーは棒付きキャンディーをくれて、二人一緒に舐めながら画面をスクロール。
はた目には、聖真理愛学院の生徒がスマホで遊んでるようにしか見えないだろう。
「…………」
画面に映し出される光景は凄惨だ。
キエフの上空を飛び交うミサイル、着弾の爆炎、焼け焦げた軍用車両、破壊された移動式レーダー、幼稚園に飛び込んだミサイルの残骸、キエフから逃げ出す果てしない車列、シェルターで頭を抱えて震える少女、父親が死んだとグチャグチャになった車の前でしゃがみ込む小父さん、熱っぽく、その正当性を主張、あるいは糾弾する国の指導者たち……
「これはまだまだ序の口です……」
ざっと動画を見ると、信じられない速さでスマホを操作、英語やロシア語、それ以外の外国語のサイトや地図が矢継ぎ早に入れ替わる。
「ロシア軍がチェルノブイリを制圧した……」
「チェルノブイリ……」
名前ぐらいは知っている。旧ソ連の原発で、原子炉が爆発するという事故を起こし30年以上前に街ぐるみ捨てられたところで、立ち入りが制限されて、実質的に人は住んでいない。
そんなところを制圧してどうするんだろう?
「ここに核爆弾を落としたら、すごく効果的です。犠牲者は極少で済むし、その効果は絶大です」
「まさか……」
それには応えずに、ソフィーは、すごいスピードで画面を切り替えていく。
再び、動画に戻る。
気が付くと、目の前にジョン・スミスが立っている。
「人の気配に気が付かないところまで没頭してはいけない」
「あ……すみません」
「殿下、今日からしばらくは、領事館の車で登下校願います」
それだけ言うと、公園の前に停めた公用車まで、わたしをエスコートした。
天気予報では、換気も緩んで午後から暖かくなると言っていたけど、快晴の空の下、ゾクリとするような寒さに身が震えた。