大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

ライトノベルベスト『その人が通る』

2021-06-14 06:48:15 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト

『その人が通る』 

 




 午前四時に起きてその人を待った。もう、これが最後になるから……。

 午前五時に、その人が起動したサインがした。この日この時のために選んだAKB結成五十周年記念の曲『MAM』だ。お祖母ちゃんが好きだった『SO LONG』でもいいかなと思ったんだけど、やっぱ、最後の日ぐらいは自分の趣味を通したかった。

 その人が、三つ向こうの角を曲がったことを、スマホのナビが教えてくれた。

 ここから駆け出せば、ちょうど三つ目の角で出くわし、上手くいけば公園のベンチに座って話ぐらいできるかもしれない。

 不自然にならないように、最初の角までは全力疾走した。角を曲がったら適度に汗が噴き出し、心臓もドキドキしてきた。

「こんにちは」

 で、躓いてしまった……て、こけたわけじゃない。予定では「おはようございます」のはずだった。

 でも、その人は「こんにちは」と返してくれた。少し動揺したけど、ジョギングの息の乱れでごまかせた。

「まだ、ジョギング始めて間がないんでしょ?」

「え、ええ、やっと三日目。ちょっと、その公園で休んでいきます」

 脇腹を抱えて、わたしはベンチに腰掛けた。

「わたしも……始発電車には間があるから」

 その人が横に座った。
 

 まぶしくて、悲しくて、まともには見られなかった。汗拭くふりしてチラ見するのがやっとだった。

 とても若くて、きれいだった。

 そっとスマホをアナライザーモードにして、ナニゲにみたら「推定年齢22歳、身長158……」から始まっていろいろ出てくる。

 グッと胸がせきあがってくるばかりなので、すぐに切った。

「オネエサンは、この町の人?」

「職業柄言えないの。でも好きよ、この町」

「な、名前聞いていいですか?」

「友香。渡辺友香。あなたは?」

「杉本アヤ。名前は片仮名」

「そう、素敵ね。片仮名だったら、大人になっていろんな意味が載せられるわね」

「言葉の綾とか怪しいのアヤとか」

「まあ、アハハハ」

「「アハハハ……」」

 いっしょに笑えるとは思わなかった。最後に笑えた、いっしょに笑えた。

 それで満足だった。たとえ渡辺友香が、次の仕事に就くまでの仮名だとしても、満足……。

 ううん、満足なんかじゃない。でも、これが、わたしの限界だった。でもいい、夕べは笑えなかったんだから。

「さあ、じゃ、そろそろ行くわ。ジョギングがんばってね」

「うん、ありがとう、友香さん!」

「じゃ、アヤちゃん!」

 その人のドットは、駅の改札前で消えた。正確には消した。

 怪しい発信機の付いたアンドロイドは、駅でチェックされる。で、いろいろ調べられてアンドロイドだと分かれば物扱いで、リース会社に送り返され、わたしが送信機を付けたことも分かってしまう。

 あの人は、12年間わたしを育ててくれた、わたしのお母さん。

 わたしが13歳になる前日までの契約だったんだ。

 わたしが生まれたとき、生んだお母さんは23歳だった。まだ仕事一本で行きたかったお母さんは、代理母のアンドロイドを雇い、この歳まで、ほったらかしておいた。

 気づいたのは8歳の時。

 生んだお母さんが妹を妊娠した。その間だけ生んだお母さんが戻ってきた。

 あたしは、なんとなく違和感があった。

 お父さんが点けっぱなしにしていたPCで、みんな分かっちゃった。でも、わたしは知らんふりした。

 だって、わたしにとってお母さんは、例えアンドロイドでも、あの人だから。

 アンドロイドのお母さん、中身は機械だけど、皮膚は生体組織で、雇い主の年齢に合わせて歳もとっていく。夕べまでの、あの人は35歳だった。今は、次の契約者に合わせて22歳になった。そして今までのお母さんとしての記憶は消去されてしまった。

 そのときスマホが鳴った。

 瞬間、
訳も分からない期待が突き上げてきた。

 奇跡がおこったんじゃないかって!

 少しは当たっていた。5歳の妹がオネエサンぽい言い方で言った。

『お姉ちゃん、どこ行ってるのよさ。早く帰ってこないと、お父さんもお母さんも起きちゃうよ!』

「分かった、すぐ帰る……」

 声で分かった。

 妹は発育促進処理されて、10歳程度に飛躍させられている。法律で定められた限界を超えている。もともとザル法だけど。あの人を雇い続けるよりは安くつく。

「急いで帰らなくっちゃ」

 わたしは、家に帰るまで、その人がお母さんとして戻ってきてくれる幻想を持ちながら……走った。


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