今朝は、かなり冷え込んだ。何時もは着ないジャンパーも着て、7時20分に宿毛の岡本旅館を出発した。
市街の西北から遍路道に入る。家並の外れに、国史跡宿毛貝塚の説明板が立つ。縄文中期から後期のもので、四国最大規模だという。
山道になり、2つの集落も通過し、最後の大深浦へ。松尾坂口番所跡の説明があり、江戸時代、土佐の出入口として、1日200から300人が通過したとのこと。
木立下を次第に高度を上げ、標高300mの松尾峠に着いた。土佐の国、高知県と伊予宇和島藩の境、長かった高知から愛媛県に入った。
愛媛県側は、緩やかな下りが続き、道がよく整備されていて、歩きやすい遍路道。それもそのはず、この日、地元、一本松の方10数人が、伸びたウラジロなどを狩り払って下さっていた。
年2回、このような整備をしておられるとのこと。感謝して下った。
最初の集落、小山に、小山御番所井戸の説明板がある。そばの民家に残っている井戸で、今も花の水やりなどに使っているとのことだった。
曇りのままで風もあり、寒くてたまらないので、先を急ぐ。
愛南町の上大道集会所の軒下を借りて、震えながら昼食をしたが、少し先に、いっぶく堂という、風を避けて休める遍路休憩所があり、もう少し手前にあればと、残念だった。
ホタルの飛ぶという僧都川沿いをへて、旧御荘町に入り、40番観自在寺に入る。本堂はコンクリート造り。堂内はあかる、納経所め堂内にある。境内には、親カエルの上に2つのカエルが乗った、三かえるの石像があった。
西に1、5kmはどの民宿磯屋に15時35分に入った。おかみさんには、前回、大変お世話になり、1番思い出の残った宿。盛り沢山の夕食をいただきながら、その思い出や、今回の出会いなどを話しあった。
添付写真は、観自在寺の三かえる。
市街の西北から遍路道に入る。家並の外れに、国史跡宿毛貝塚の説明板が立つ。縄文中期から後期のもので、四国最大規模だという。
山道になり、2つの集落も通過し、最後の大深浦へ。松尾坂口番所跡の説明があり、江戸時代、土佐の出入口として、1日200から300人が通過したとのこと。
木立下を次第に高度を上げ、標高300mの松尾峠に着いた。土佐の国、高知県と伊予宇和島藩の境、長かった高知から愛媛県に入った。
愛媛県側は、緩やかな下りが続き、道がよく整備されていて、歩きやすい遍路道。それもそのはず、この日、地元、一本松の方10数人が、伸びたウラジロなどを狩り払って下さっていた。
年2回、このような整備をしておられるとのこと。感謝して下った。
最初の集落、小山に、小山御番所井戸の説明板がある。そばの民家に残っている井戸で、今も花の水やりなどに使っているとのことだった。
曇りのままで風もあり、寒くてたまらないので、先を急ぐ。
愛南町の上大道集会所の軒下を借りて、震えながら昼食をしたが、少し先に、いっぶく堂という、風を避けて休める遍路休憩所があり、もう少し手前にあればと、残念だった。
ホタルの飛ぶという僧都川沿いをへて、旧御荘町に入り、40番観自在寺に入る。本堂はコンクリート造り。堂内はあかる、納経所め堂内にある。境内には、親カエルの上に2つのカエルが乗った、三かえるの石像があった。
西に1、5kmはどの民宿磯屋に15時35分に入った。おかみさんには、前回、大変お世話になり、1番思い出の残った宿。盛り沢山の夕食をいただきながら、その思い出や、今回の出会いなどを話しあった。
添付写真は、観自在寺の三かえる。