第11日 2004年11月23日(火) 快晴
<66番雲辺寺~69番観音寺>
=四国霊場の最高地へ上がり香川県へ=
5時30分起床、おむすび2つのお接待をいただき7時8分に
民宿岡田を出る。親父さんが、見えなくなるまで見送ってくれた。
濃いガスで視界は100mくらい。いよいよ四国霊場の最高地、
標高910mへの上りである。親父さんの話では、660m㍍まで
上れば、あとは車道だとのこと。徳島自動車道の下を抜け、山道
に入る。
広葉樹の落ち葉道は直線的な急登が続くので、ゆっくりと上がる。
後発した同宿者に抜かれ、後方を追うようになる。木の間越しに
雲の上に出たのが分かり、日が差し込んできた。
送電線の下を走る車道に出ると、南側の山並みに雲海が長く
たなびき、素晴らしい眺め。いつの間にか一緒になった同宿の
4人で感嘆しながら見る。
以後しばらく一緒に車道をゆっくり上がる。途中2度ほど車道沿い
のへんろ道も通過、4人は少しずつ分かれ、下から2時間ほどで
66番雲辺寺に着いた。
杉木立の並ぶ広い境内は、山上の聖地という雰囲気。高度もある
のでひんやりとした冷気(霊気?)を感じる。大師堂への道には石の
奉燈碑が並んでいる。次へ進むへんろ道では、五百羅漢がいろんな
表情で見送ってくれていた。
2つ並ぶマイクロ波のアンテナ塔の下を過ぎると下り道となる。下り
は、雲辺寺ロープウェイ横から萩原寺への道もあるのだが、稜線を
さらに進んで新池、岩鍋池経由の道を選んだ。
稜線上の歩きやすいへんろ道には県境の標識もなく、知らずの
うちに徳島県池田町から香川県観音寺市に入った。
他の人はどんどん先に下ってしまい、同宿の京都の女性とゆっくり
と下る。樹林が切れて北側の展望が開けたところにベンチがあった
ので休む。1時間半ほどでミカン畑のそばの車道に下った。
この辺りの田んぼに、大きなタマネギが土をかぶせずに植えてある。
作業中の家族が居たので聞いたら、京都の大手種苗業のタキイと
契約し、タマネギの種を取るために植え、収穫は来年7月とのこと。
あちこちで放置した休耕田が目につく中、休耕田を活用した新し
い収益源として感心した。
民宿青空の先で、京都の人は電話するというので先行する。番外
霊場白藤大師堂を通過、ひこばえの色づく田んぼを見下ろしながら
進む。今日もポカポカ暖かく、のどかな里歩き日和である。
奥谷辺りには丁石がよく残されており、花を供えたり屋根をかけ
たりしていて、地元の人々の厚い信仰がうかがえる。
水のない岩鍋池まで下ると前方の展望が開け、観音寺市街の東に
そびえる七宝山が島のように霞んで見える。大原自治会館前には、
元治元年(1864)銘の大きな常夜灯や石仏が並んでいた。
12時15分、白木の山門に古い仁王と大わらじの納まった67番
大興寺に入る。山門の奥、石段下に樹齢1200年という大カヤと
大ケヤキが立つている。同宿だった男女3人が出入りし、後から
京都の女性も着いた。
納経後、ベンチで昼食。また京都の女性だけとなり、一緒に出る。
一ノ谷池の南まで田んぼの間を進み、原町の住宅地に上がって
西に向かう。
池之尻町の心光院に集会所のような建物があったので、ぬれ縁
で休憩させてもらった。
高松自動車道の近くに、大多喜という手打ちうどんの店があっ
た。おむすび2つの昼食ではやや不足気味なので入ろうかと思っ
たが、この先、観音寺の納経に遅れてはと思い通過した。
自動車道の北には、大小のケーブルドラムを並べてテーブルと
いす代わりにした「お遍路さん休憩所」が2か所あった。京都の人
はスーパー・マルショーに寄るというので先行する。
観音寺市の中心街が近づく。JR予讃線を越えたところに元首相、
大平正芳記念館があった。市街に入りT字路を左折、すぐ先の
若松屋別館に15時半近くに着いた。
荷物を預けて68、69番を打つことにする。おかみさんから、「公園
の展望台に上がって銭形も見てきたら」と、地図をもらう。
財田川の新琴弾橋を渡り、琴弾八幡宮の東を進んで、68番神恵院、
69番観音寺へ。同じ境内に2つの霊場があるのはここだけである。
神恵院の本堂は四角いコンクリート造りの新しい建物(上の写真)。
観音寺の大師堂前には太いクスノキがあり、大きく枝を広げていた。
後方に上がり自動車道を回って、赤松の多い琴弾公園の最上部に
ある展望台に行く。
眼下の有明浜に、寛永通宝を砂で形どった大きな銭形が見下ろせる。
寛永10年(1633)、丸亀藩主歓迎のため一夜にして作ったと伝え
られ、「この銭形を見た人は、健康で長生きできてお金に不自由しな
くなる」といわれているとか。長生きはともかく、あとはそうあって欲しい。
大きさは東西122m、南北90mの楕円形のようだが、展望台から
は丸く見える。
ちょうど夕日がその左手に落ちようとしており、海面が金色に輝く。
自動車道をぐるりと回って琴弾八幡宮前に下り、橋を渡ろうとした
とき、太陽が沈んだ。
16時57分、若松屋別館に戻り、古いががっちりした建物の3階の
間に荷を下ろす。前夜同宿の愛知の男性と京都の女性も一緒。無料
の洗濯機を借り洗濯をする。
入浴が遅れ、18時からの夕食が、18時半過ぎとなり、食堂に行っ
たら4人の宿泊者はすでに食べ終えていた。感じの良いおかみさん
で、夕食もおいしかった。
〈コースタイム〉民宿岡田7:08ー稜線の車道へ8:19~21ーへんろ道入口
の三差路8:47ー66番雲辺寺9:03~35ー下り道のベンチ10:30~40ー
ミカン畑の車道へ11:02ー番外白藤大師堂11:30ー67番大興寺(昼食)
12:25~13:17ー大通寺14:15~22ー高松自動車道下14:35ー若松屋別館
15:26~30ー68番神恵院・69番観音寺15:40~16:23ー琴弾公園ー若松屋
別館16:57
(距離 25㎞、歩行地 池田町、香川県観音寺市、地図(1/5万) 伊予
三島、 観音寺、歩数 47,900)
<66番雲辺寺~69番観音寺>
=四国霊場の最高地へ上がり香川県へ=
5時30分起床、おむすび2つのお接待をいただき7時8分に
民宿岡田を出る。親父さんが、見えなくなるまで見送ってくれた。
濃いガスで視界は100mくらい。いよいよ四国霊場の最高地、
標高910mへの上りである。親父さんの話では、660m㍍まで
上れば、あとは車道だとのこと。徳島自動車道の下を抜け、山道
に入る。
広葉樹の落ち葉道は直線的な急登が続くので、ゆっくりと上がる。
後発した同宿者に抜かれ、後方を追うようになる。木の間越しに
雲の上に出たのが分かり、日が差し込んできた。
送電線の下を走る車道に出ると、南側の山並みに雲海が長く
たなびき、素晴らしい眺め。いつの間にか一緒になった同宿の
4人で感嘆しながら見る。
以後しばらく一緒に車道をゆっくり上がる。途中2度ほど車道沿い
のへんろ道も通過、4人は少しずつ分かれ、下から2時間ほどで
66番雲辺寺に着いた。
杉木立の並ぶ広い境内は、山上の聖地という雰囲気。高度もある
のでひんやりとした冷気(霊気?)を感じる。大師堂への道には石の
奉燈碑が並んでいる。次へ進むへんろ道では、五百羅漢がいろんな
表情で見送ってくれていた。
2つ並ぶマイクロ波のアンテナ塔の下を過ぎると下り道となる。下り
は、雲辺寺ロープウェイ横から萩原寺への道もあるのだが、稜線を
さらに進んで新池、岩鍋池経由の道を選んだ。
稜線上の歩きやすいへんろ道には県境の標識もなく、知らずの
うちに徳島県池田町から香川県観音寺市に入った。
他の人はどんどん先に下ってしまい、同宿の京都の女性とゆっくり
と下る。樹林が切れて北側の展望が開けたところにベンチがあった
ので休む。1時間半ほどでミカン畑のそばの車道に下った。
この辺りの田んぼに、大きなタマネギが土をかぶせずに植えてある。
作業中の家族が居たので聞いたら、京都の大手種苗業のタキイと
契約し、タマネギの種を取るために植え、収穫は来年7月とのこと。
あちこちで放置した休耕田が目につく中、休耕田を活用した新し
い収益源として感心した。
民宿青空の先で、京都の人は電話するというので先行する。番外
霊場白藤大師堂を通過、ひこばえの色づく田んぼを見下ろしながら
進む。今日もポカポカ暖かく、のどかな里歩き日和である。
奥谷辺りには丁石がよく残されており、花を供えたり屋根をかけ
たりしていて、地元の人々の厚い信仰がうかがえる。
水のない岩鍋池まで下ると前方の展望が開け、観音寺市街の東に
そびえる七宝山が島のように霞んで見える。大原自治会館前には、
元治元年(1864)銘の大きな常夜灯や石仏が並んでいた。
12時15分、白木の山門に古い仁王と大わらじの納まった67番
大興寺に入る。山門の奥、石段下に樹齢1200年という大カヤと
大ケヤキが立つている。同宿だった男女3人が出入りし、後から
京都の女性も着いた。
納経後、ベンチで昼食。また京都の女性だけとなり、一緒に出る。
一ノ谷池の南まで田んぼの間を進み、原町の住宅地に上がって
西に向かう。
池之尻町の心光院に集会所のような建物があったので、ぬれ縁
で休憩させてもらった。
高松自動車道の近くに、大多喜という手打ちうどんの店があっ
た。おむすび2つの昼食ではやや不足気味なので入ろうかと思っ
たが、この先、観音寺の納経に遅れてはと思い通過した。
自動車道の北には、大小のケーブルドラムを並べてテーブルと
いす代わりにした「お遍路さん休憩所」が2か所あった。京都の人
はスーパー・マルショーに寄るというので先行する。
観音寺市の中心街が近づく。JR予讃線を越えたところに元首相、
大平正芳記念館があった。市街に入りT字路を左折、すぐ先の
若松屋別館に15時半近くに着いた。
荷物を預けて68、69番を打つことにする。おかみさんから、「公園
の展望台に上がって銭形も見てきたら」と、地図をもらう。
財田川の新琴弾橋を渡り、琴弾八幡宮の東を進んで、68番神恵院、
69番観音寺へ。同じ境内に2つの霊場があるのはここだけである。
神恵院の本堂は四角いコンクリート造りの新しい建物(上の写真)。
観音寺の大師堂前には太いクスノキがあり、大きく枝を広げていた。
後方に上がり自動車道を回って、赤松の多い琴弾公園の最上部に
ある展望台に行く。
眼下の有明浜に、寛永通宝を砂で形どった大きな銭形が見下ろせる。
寛永10年(1633)、丸亀藩主歓迎のため一夜にして作ったと伝え
られ、「この銭形を見た人は、健康で長生きできてお金に不自由しな
くなる」といわれているとか。長生きはともかく、あとはそうあって欲しい。
大きさは東西122m、南北90mの楕円形のようだが、展望台から
は丸く見える。
ちょうど夕日がその左手に落ちようとしており、海面が金色に輝く。
自動車道をぐるりと回って琴弾八幡宮前に下り、橋を渡ろうとした
とき、太陽が沈んだ。
16時57分、若松屋別館に戻り、古いががっちりした建物の3階の
間に荷を下ろす。前夜同宿の愛知の男性と京都の女性も一緒。無料
の洗濯機を借り洗濯をする。
入浴が遅れ、18時からの夕食が、18時半過ぎとなり、食堂に行っ
たら4人の宿泊者はすでに食べ終えていた。感じの良いおかみさん
で、夕食もおいしかった。
〈コースタイム〉民宿岡田7:08ー稜線の車道へ8:19~21ーへんろ道入口
の三差路8:47ー66番雲辺寺9:03~35ー下り道のベンチ10:30~40ー
ミカン畑の車道へ11:02ー番外白藤大師堂11:30ー67番大興寺(昼食)
12:25~13:17ー大通寺14:15~22ー高松自動車道下14:35ー若松屋別館
15:26~30ー68番神恵院・69番観音寺15:40~16:23ー琴弾公園ー若松屋
別館16:57
(距離 25㎞、歩行地 池田町、香川県観音寺市、地図(1/5万) 伊予
三島、 観音寺、歩数 47,900)