あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(後編)・愛媛その11

2006-12-11 19:26:02 | 初めての四国遍路
 同じ県内、さいたま市内で6日に投函された郵便物が、5日目の今日、
着きました。一方、愛媛県大洲市からは、7日投函のものが届きました。

 郵政省の時代には、県内ならほぼ翌日には着いていました。郵政公社
になってから、普通郵便物の所要日数が、かなり増えたように思います。
 
 民営化される来年以降はどうなるのでしょうか。JRでは普通列車が
減り、新幹線や特急列車で行かないと不便になったように、郵便物も、
「急ぎなら速達郵便で」ということになりそうです。

 愛媛県大洲市からの郵便は、今回の遍路で最終日に泊まった宿から
です。ときわ旅館の若いご主人とおかみさん直筆で、遍路の結願を祈る
ものでした。暖かいお心づかいに感謝しながら読ませていただきました。

 以下のレポートは前回のもの。市町村名などは当時のままです。

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 第6日 2004年11月18日(木) 曇後雨
 <54番延命寺~59番国分寺>
 =雨のへんろ道を行く=
 
 6時10起床、7時朝食、7時20分宿を出る。そばのT字路際の空き地
に、太いクスノキが立つ。近くでゴミの分別中の方に聞くと、「役場の跡で、
その前は庄屋があったところ」だという。木はその頃からのものらしい。

 T字路から東に向かう道は、国道196号から入ってくる車が切れ目無い。
狭いのに国道のバイパスとして使うのだろうか。

 その国道に出たら、やはり松山方面への車が途切れない。1㎞くらい先
の宅間交差点で旧道に入る。黒服の逆打ち女性遍路が、そばのガソリン
スタンドに入っていった。

 今日の初打ちは54番延命寺。寺の手前で、背の高い逆打ちの男性遍
路と行き交う。山門が2つあり、2つ目は旧今治城の山門を移設したのだ
という。

 境内に越智孫兵衛の墓がある。元禄時代の庄屋で、松山藩の重税を、
翁の尽力で下げてもらうなど、郷土の発展、福利増進に努めた人とか。
境内の遍路用品店で、女性遍路が白衣を盛んに勧められていた。

 へんろ道は北から東へ向かう。墓地の間を上がると南方の展望が開け
る。「越智孫兵衛顕彰碑」と刻まれたりっぱな石碑があった。

 西瀬戸自動車道の手前、北側の山すそで大規模な造成工事中。近く
の人に聞くと、市の住宅団地の造成中だという。「こんなところに来る人
はいないよ」と批判、私が見ても場違いの感じだった。

 坂を上がり、霊園の間を回ってから下り、北日吉町で国道196号に
出る。左手高台に見える城のような大きな建物はなんだろう?。

 JR予讃線のガードをくぐって南光坊に向かうが、西側にりっぱな社殿
が見えたので先に寄ることにした。

 大山祗神社で、和銅年間(708~)の勧請という古社。檜皮葺の古い
社殿は天正3年(1575)再建という。北側の別の神社の社殿横には、
樹高17m、樹齢300年以上という見事なクスノキが立っていた。

 東側の55番南光坊の山門は北側にあり、国道317号から入る。山門
には、金色の新しい仁王像が立つ。

 本堂、大師堂のほか、金刀比羅宮、薬師堂などがあり、市街地の真ん
中にあるが広い。

 南に向かい、今治駅東口に出て、駅前の通りをまっすぐ2㎞余り進む。
途中の明徳高と今治西高の間で雨となった。民家の広い屋根下を借りて
雨具を着けた。

 国道196号との交差点にあったコンビニ、サークルKで昼食を買う。

 間もなく56番泰山寺。白い土塀に囲まれているが、山門はない。

 本堂と大師堂の間に新しい宿坊があった。


 参拝を終わり東へ、田んぼの中のへんろ道を進む。国道196号を越え
て蒼社川に出る手前に、へんろ無縁墓地があった。10数基の古い墓が
並び、沢山のマリーゴールドが慰めるように咲いていた。

 蒼社川の山手橋を渡る。川底は赤っぽい砂、次の川も同様だった。
へんろ道は、八幡山の山すそと田んぼの間の気持ちよい草道を進み、
左に入って57番永福寺に着く。

 ここも山門はない。本堂には鶴の彫刻、大師堂はさらに精巧な龍の
彫刻が目についた。


 南に向かい、大塚池の東を上がる。池のほとりに立つ数本の古いクス
が、この池の歴史を感じさせてくれる。


 車道に下ってミカン畑の間を進み、再び上り坂となる。


 58番仙遊寺は、山門を入って9分ほど、くねくねした急な石段の上り
で、大汗をかく。山上の本堂前に、白とピンクの山茶花が咲いていた。
境内のモミジも色づき始めている。

 東屋の所まで戻り、右手(西側)の山間をたどるへんろ道に入る。
下り道は、一昨日、山下さんが仙遊寺での修行で作業したと聞いて
いたが、ササ、ウラジロ、松の枝などが刈り払ってあり、お陰で濡れず
に下れた。

 谷集落を抜け、吉祥禅寺の下を進んで右からの車道と合し、2㎞ほど
住宅地を北東に進む。JR予讃線伊予富田駅の東で踏切を越え、県道
156号に出た。

 予讃線に平行して進んで頓田川を渡る。「従是西今治領」の標石の先
に59番国分寺があった。

 ここも山門が無い。本堂と大師堂は直角に立つ。境内に、等身大の
修行大師握手像がある。大師と握手してお願いをするとかなうというが、
「お大師様も忙しいので、お願いは一つだけに…」と書いてあった。

 大師堂の屋根は修理中。

 16時過ぎ、今日の予定を打ち終え、再び県道156号に出る。暗く
ならないうちにと先を急ぐが、疲れが出てスピードは上がらない。靴も
濡れてきた。

 右からの国道196号に合すると、歩道が広くなり安心して歩ける。
今治湯ノ浦ICに近い、道の駅今治湯ノ浦温泉の所を左折。りっぱな
ホテル群の奥に、宿泊先の今治湯ノ浦ハイツがあった。

 17時17分着。濡れた衣類をコインらインドリーで洗濯中に温泉に
入る。20~30人は入れる大浴場だが一人だけでもったいない。
雨に濡れた体と疲れを温泉に浸かって回復させる。


 夕食は大食堂で。今日の宿泊客は私のほか、2人×4組と4人の
グループのみ。これでは公共の宿の経営も苦しそう。しかも私は遍路
特別料金で割安。申し訳ない気もするが、たまには良いかとも思う。

 夕食後、連れ合いに初めての電話をする。歩行メモを整理していた
ら23時半になった。

〈コースタイム〉あさひ旅館7:20ー大池7:40ー54番延命寺8:10~35ー
大山祗神社9:35~39ー55番南光坊9:40~10:05ー今治西高10:36ー
56番泰山寺11:04~20ー57番栄福寺(昼食)12:10~53ー58番仙遊寺
13:30~14:16ー伊予富田駅南の右折地15:15ー59番国分寺15:40~
16:07ー今治湯ノ浦ハイツ17:17

(距離 27㎞、歩行地 大西町、今治市、玉川町、地図 今治東部、
 西条、歩数47,800)


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