あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行・JR武蔵野線新座駅

2006-12-17 21:26:15 | カタツムリ歩行
 四国遍路から帰ってすぐ、風邪に押されて市外には出かけていな
かったのですが、ほぼ回復したので10日ぶりに出かけました。

 行き先は、JR武蔵野線沿線を歩いている「カタムリ歩行」の第160
回例会です。歩き始めて15年、今年の最終回です。

 集合地は、JR武蔵野線新座(にいざ)駅。埼玉県新座市です。駅前
に大きな水車が回っていました。そばのモミジも見ごろです。


 駅の南側、国道254号(川越街道)を歩道橋で越えたところに、新座
野火止郵便局がありました。建物は郵便局らしからぬ塗色です。


 野火止小学校の西側を入ると、クヌギ林が残っていました。野火止
小学校の児童が育てているシイタケが、りっぱに育っています。


 林の中は落ち葉がいっぱい。渋い彩りですが、クヌギのの紅葉が、
武蔵野の面影を感じさせてくれます。


 レンガ造りの建物もある、十文字学園女子大前を北西に進みます。
大学構内のコブシの芽はもう、かなり大きくふくらんでいました。
 
 近くの稲荷神社に行ってみました。小さい社の前に、住民の手作り
と思われるほっそりとした狐さんが並んでいます。


 境内に「恵山玄忠二百年記念碑」など、恵山という人ゆかりの石碑
が幾つか建っています。恵山という人はこの地の有力者だったようで、
十文字学園前の通りは、「恵山通り」と呼ばれています。

 マユミに似た実がありましたが、葉が違うようです。何の実でしょうか。


 ニンジン畑や枯れたウド畑の横を進んで、新座変電所の正門前から
真っ直ぐに伸びる道を南東に進むと、野火止用水沿いに出ます。

 野火止用水は、江戸の水道の水源となった玉川上水から分流した
流れで、およそ350年前、この地の新田開発をした人々の飲料水
確保のため、川越城主・松平伊豆守信綱が命じて造られたものです。


 用水沿いのモミジが数本、見ごろでした。

 
 用水の南側一帯は、関東地方でも名高い古寺、平林寺(へいりんじ)
の広大な平地林が広がっています。

 平林寺は最初、永和元年(1375)に現在のさいたま市岩槻区に建て
られ、天正18年(1590)には徳川家康も鷹狩りの時、戦火で焼け残っ
た塔頭(たっちゅう)で休み、再興を約束し、天正20年に再興されました。

 その後、寛文3年(1663)、川越城主松平伊豆守信綱の子、輝綱に
よりこの地、野火止に移されたとのことです。

 平林寺北側の農家の広い庭先にも、大きな水車が回っていました。


 ゴールの予定時刻12時が迫ったので、変電所に向かう道を戻り、
ゴールの若宮八幡宮に定刻少し過ぎて着きました。


 社殿の周囲で昼食をした後、事務局の土井さんから、年間10回の
完歩者3名に「観歩証」が授与され、たくさん用意された賞品のなか
から、各々が希望の賞品を選んでいただきました。

 以下、参加回数に応じた観歩証と賞品を全員がいただきました。
 ちなみに、私の今年の参加回数は5回(通算17回)でした。

 午後は解散となり、まだ平林寺を訪ねたことのない人は、平林寺
参観に回り、私は、JR武蔵野線と埼京線で大宮に向かいました。

 目的は、武蔵一の宮・氷川神社近くの、カフェギャラリーで開催中
の、Hさん(さいたま市岩槻在住)の水彩画展の鑑賞です。

 Hさんは、埼玉のカントリーウオークグループのもとのメンバーで、
以前から水彩画を描かれており、個展の案内をいただいたからです。

 風景、静物、女性画など、幅広い対照を描かれた水彩の優しい彩り
の作品を鑑賞し、Hさんの最近の多彩なご活動の様子や、ウオーク
グループメンバーの近況報告などを、交歓し合いました。


 帰途、氷川神社にも参拝し、今年1年元気に歩けたことに感謝し、
来年も健康で歩けるよう祈念して来ました。


 
 



 
 


 


 

 

 

 

 

  
コメント (2)
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