第18日 2004年11月30日(火) 晴
=総奥の院與田寺へ=
5時45分に起床、6時30分朝食。7時20分ころ八十窪を出
て大窪寺門前の店で土産を購入する。バスで下るというUさん
に見送られて、Iさんと7時35分に出発した。
Iさんは、同じコースの途中にある眺洋館を予約したとのこと
なので、その近くまで一緒に行くことにした。
国道377号を東に向かって下る。八十窪の白い犬が一緒に
ついて来た。追い返そうとするが帰らない。2㎞以上先、隣の
払川集落まで来たら、その集落の犬が居たのであきらめて引き
返した。
国道とはいえ、1車線だけの狭い区間も多い。周辺の山々の
緑と紅葉の混じった彩りがよい。けさも風がちょっと冷たい。
長野の変則四差路をまっすぐに進んで、すぐ五名トンネルへ。
一車線もありそうな広い歩道と明るい照明、車も少ないので安心
して通過できる。トンネルの先のT字路を右折して南に向かう。
境目集落のT字路の横に、徳島県天然記念物「境目のイチョ
ウ」が立つ。
幹回り7.8m、高さ16m、樹齢600年という大木だ。下だけ
鮮やかな黄葉が残っていた。
その角を左折して香川県に入る。1車線の旧道で車はほとん
ど通らず、中尾峠まで緩やかに上る。
峠を下った黒川集落に、白鳥温泉、黒川温泉、市営の自然
休養センター白鳥温泉の3つの温泉施設があった。休養セン
ターでトイレを借りて小休止する。
さらに湊川沿いの谷間を進み、国道377号を越えてすぐ先の
三宝寺に寄る。香川県最大というボダイジュと県の保存樹木
チシャの木があった。
北へ向かう県道132号に入る。こちらも車が少なくて安心。
「お遍路さん休憩所」があったが寄らずに通過、すぐに星越
峠(110m)を越えて下りになる。
台風によるがけ崩壊か所が多く、かなりの広さで田んぼが
土砂に埋まっており、その惨状に目を奪われる。
その先、大内ダムにも大量の土砂が流入し、水辺の公園も
荒れ果てていた。途中で昼食を買うつもりだったが商店などは
無い。境目にあった小さな店で買った菓子パンと草餅を公園の
近くで食べ、昼食代わりとする。
昼食は淋しかったが、Iさんと街道歩きのこと、遺跡や史跡
めぐりのこと、地図のことなど、いろいろ話しながら行くので、
足取りは軽く進める。
県道129号に出ると、水主神社があった。延喜式内社で、
空海、最澄もゆかりがあるという古社。
彫刻や源義経愛馬の鞍など国重文を6点所蔵していると
いう。いのり松と呼ぶ大きな松があった。
県道はやや車が増える。この辺りも周辺の山の紅葉がよい
彩り。県道に沿った与田川も、何か所か台風による崩壊地が
見られた。
高松自動車道の手前で県道に分かれて高速道下をくぐり、
四国霊場総奥の院・與田寺に詣でる。
近くの三本松港が関西への窓口として栄えたころ、與田寺
は四国霊場お礼参りの寺として多くの遍路が訪れ、以来、
「四国霊場総奥の院」と称されているという。
寺は、天平年間(729~)、行基菩薩の開創。弘法大師ほか
著名な僧ゆかりの寺、嵯峨天皇の時に勅願所となり、国重文
の仏像や図絵なども多いという。
仁王門の横に高さ40m、樹齢600年という県の天然記念
物、椋の木が立ち、境内にはりっぱな松が多い。仁王門の奥
に個性的な門がもう一つある。鮮やかな朱塗りの新しい多宝
塔もあった。
参拝・読経を終えて南東に向かい、近くの誉水郵便局で
最後の資金補充をする。与田川左岸沿いを進んで国道11号
に入ると、やはり車が多く、うるさい。
すぐ先にあった「手打ちうどん大浜」に入り、ぶっかけうどん
を食べる。ここの讃岐うどんも、やはり腰が強くてうまかった。
三本松の町並みを抜け、湊川の橋を渡ったところで、Iさん
は海に近い眺洋館に向かうという。Iさんとは8間同宿し、ずい
ぶん一緒に歩いてお世話になった。感謝して分かれる。
橋の先で、南に平行する旧道に入る。こちらは車が少なく
て歩きよい。大きめの池にカモが数10羽浮かんでいた。
JR高徳線が近づいた辺りに、大ワラジが奉納された森権平
庵というのがあり、少し先には森権平愛馬の墓もあった。
いったいどんな人なのだろう…。
再び国道11号に出て、色づく山々の影を映す中山池を過ぎ
る。小海川の引田橋を渡り、川沿いに進んで引田(ひけた)の
町に入る。「風の港」と呼ばれる古い町並みが残っていると、
黒川温泉でもらった東かがわ市の観光パンフレットにあった
ので、探したが見あたらない。
ちょうど歩いてきた奥さんに聞いて分かり、少し戻った通り
に、酒・醤油業の旧井筒屋など、2階のひさしが低い土蔵
造りのような旧家が数戸残っていた。
馬宿川を渡って相生の町並みへ。源義経ゆかりの東海寺
に寄るつもりだったが、これも分かりにくい。町の人に聞いて
その方向に進んだら、別の大きな寺の先だった。
日本最初の塩田開発者・久米通賢の菩提寺で、もと東大
総長・南原繁ゆかりの寺でもあるという。義経鞍掛の松
(2代目)があった。
日が落ちて冷えてきた。国道11号は海岸沿いとなり、海風
がちょっと冷たい。海の向こうに遠くの明かりも見えてきた。
相生郵便局で不要荷物をゆうパックで自宅に発送し先を
急ぎ、17時21分、徳島県境に近いホテルひけたに着いた。
八十窪のおかみの言った通り、ピンクのへいをめぐらした
モーテルだった。でも、部屋もベッド(ダブル)も風呂もみな
広く、暖房もよく利き、ビジネス価格4千円はありがたい。
近くの中華料理店で夕食を食べ、そばの海鮮物店でささ
やかな土産を求め、ホテルに戻って入浴してさっぱりした。
〈コースタイム〉八十窪7:35ー長野の三差路8:35ー県境の
三差路(天然記念物いちょうさん)8:56~9:05ー白鳥温泉
10:10~15ー三宝寺10:45~51ー水主神社11:20~29ー大内
ダム北(昼食)11:35~55ー高松自動車道南の火の見12:38ー
総奥の院與田寺12:55~13:28ーうどん大浜13:52~14:09ー
湊川の橋14:33ー森権平庵15:13ー旧井筒屋16:10ー番外
東海寺16:36~41ーホテルひけた17:21
(距離 30㎞、歩行地 さぬき市、東かがわ市、徳島県市場
町(少し)、地図高松南部、三本松、歩数 54,600)
=総奥の院與田寺へ=
5時45分に起床、6時30分朝食。7時20分ころ八十窪を出
て大窪寺門前の店で土産を購入する。バスで下るというUさん
に見送られて、Iさんと7時35分に出発した。
Iさんは、同じコースの途中にある眺洋館を予約したとのこと
なので、その近くまで一緒に行くことにした。
国道377号を東に向かって下る。八十窪の白い犬が一緒に
ついて来た。追い返そうとするが帰らない。2㎞以上先、隣の
払川集落まで来たら、その集落の犬が居たのであきらめて引き
返した。
国道とはいえ、1車線だけの狭い区間も多い。周辺の山々の
緑と紅葉の混じった彩りがよい。けさも風がちょっと冷たい。
長野の変則四差路をまっすぐに進んで、すぐ五名トンネルへ。
一車線もありそうな広い歩道と明るい照明、車も少ないので安心
して通過できる。トンネルの先のT字路を右折して南に向かう。
境目集落のT字路の横に、徳島県天然記念物「境目のイチョ
ウ」が立つ。
幹回り7.8m、高さ16m、樹齢600年という大木だ。下だけ
鮮やかな黄葉が残っていた。
その角を左折して香川県に入る。1車線の旧道で車はほとん
ど通らず、中尾峠まで緩やかに上る。
峠を下った黒川集落に、白鳥温泉、黒川温泉、市営の自然
休養センター白鳥温泉の3つの温泉施設があった。休養セン
ターでトイレを借りて小休止する。
さらに湊川沿いの谷間を進み、国道377号を越えてすぐ先の
三宝寺に寄る。香川県最大というボダイジュと県の保存樹木
チシャの木があった。
北へ向かう県道132号に入る。こちらも車が少なくて安心。
「お遍路さん休憩所」があったが寄らずに通過、すぐに星越
峠(110m)を越えて下りになる。
台風によるがけ崩壊か所が多く、かなりの広さで田んぼが
土砂に埋まっており、その惨状に目を奪われる。
その先、大内ダムにも大量の土砂が流入し、水辺の公園も
荒れ果てていた。途中で昼食を買うつもりだったが商店などは
無い。境目にあった小さな店で買った菓子パンと草餅を公園の
近くで食べ、昼食代わりとする。
昼食は淋しかったが、Iさんと街道歩きのこと、遺跡や史跡
めぐりのこと、地図のことなど、いろいろ話しながら行くので、
足取りは軽く進める。
県道129号に出ると、水主神社があった。延喜式内社で、
空海、最澄もゆかりがあるという古社。
彫刻や源義経愛馬の鞍など国重文を6点所蔵していると
いう。いのり松と呼ぶ大きな松があった。
県道はやや車が増える。この辺りも周辺の山の紅葉がよい
彩り。県道に沿った与田川も、何か所か台風による崩壊地が
見られた。
高松自動車道の手前で県道に分かれて高速道下をくぐり、
四国霊場総奥の院・與田寺に詣でる。
近くの三本松港が関西への窓口として栄えたころ、與田寺
は四国霊場お礼参りの寺として多くの遍路が訪れ、以来、
「四国霊場総奥の院」と称されているという。
寺は、天平年間(729~)、行基菩薩の開創。弘法大師ほか
著名な僧ゆかりの寺、嵯峨天皇の時に勅願所となり、国重文
の仏像や図絵なども多いという。
仁王門の横に高さ40m、樹齢600年という県の天然記念
物、椋の木が立ち、境内にはりっぱな松が多い。仁王門の奥
に個性的な門がもう一つある。鮮やかな朱塗りの新しい多宝
塔もあった。
参拝・読経を終えて南東に向かい、近くの誉水郵便局で
最後の資金補充をする。与田川左岸沿いを進んで国道11号
に入ると、やはり車が多く、うるさい。
すぐ先にあった「手打ちうどん大浜」に入り、ぶっかけうどん
を食べる。ここの讃岐うどんも、やはり腰が強くてうまかった。
三本松の町並みを抜け、湊川の橋を渡ったところで、Iさん
は海に近い眺洋館に向かうという。Iさんとは8間同宿し、ずい
ぶん一緒に歩いてお世話になった。感謝して分かれる。
橋の先で、南に平行する旧道に入る。こちらは車が少なく
て歩きよい。大きめの池にカモが数10羽浮かんでいた。
JR高徳線が近づいた辺りに、大ワラジが奉納された森権平
庵というのがあり、少し先には森権平愛馬の墓もあった。
いったいどんな人なのだろう…。
再び国道11号に出て、色づく山々の影を映す中山池を過ぎ
る。小海川の引田橋を渡り、川沿いに進んで引田(ひけた)の
町に入る。「風の港」と呼ばれる古い町並みが残っていると、
黒川温泉でもらった東かがわ市の観光パンフレットにあった
ので、探したが見あたらない。
ちょうど歩いてきた奥さんに聞いて分かり、少し戻った通り
に、酒・醤油業の旧井筒屋など、2階のひさしが低い土蔵
造りのような旧家が数戸残っていた。
馬宿川を渡って相生の町並みへ。源義経ゆかりの東海寺
に寄るつもりだったが、これも分かりにくい。町の人に聞いて
その方向に進んだら、別の大きな寺の先だった。
日本最初の塩田開発者・久米通賢の菩提寺で、もと東大
総長・南原繁ゆかりの寺でもあるという。義経鞍掛の松
(2代目)があった。
日が落ちて冷えてきた。国道11号は海岸沿いとなり、海風
がちょっと冷たい。海の向こうに遠くの明かりも見えてきた。
相生郵便局で不要荷物をゆうパックで自宅に発送し先を
急ぎ、17時21分、徳島県境に近いホテルひけたに着いた。
八十窪のおかみの言った通り、ピンクのへいをめぐらした
モーテルだった。でも、部屋もベッド(ダブル)も風呂もみな
広く、暖房もよく利き、ビジネス価格4千円はありがたい。
近くの中華料理店で夕食を食べ、そばの海鮮物店でささ
やかな土産を求め、ホテルに戻って入浴してさっぱりした。
〈コースタイム〉八十窪7:35ー長野の三差路8:35ー県境の
三差路(天然記念物いちょうさん)8:56~9:05ー白鳥温泉
10:10~15ー三宝寺10:45~51ー水主神社11:20~29ー大内
ダム北(昼食)11:35~55ー高松自動車道南の火の見12:38ー
総奥の院與田寺12:55~13:28ーうどん大浜13:52~14:09ー
湊川の橋14:33ー森権平庵15:13ー旧井筒屋16:10ー番外
東海寺16:36~41ーホテルひけた17:21
(距離 30㎞、歩行地 さぬき市、東かがわ市、徳島県市場
町(少し)、地図高松南部、三本松、歩数 54,600)