あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(後編)・愛媛その15

2006-12-15 18:40:47 | 初めての四国遍路
 第10日 2004年11月22日(月) 晴 <65番三角寺>
 =別格霊場・椿堂から徳島県へ=
 
 5時45分起床、6時20分朝食、7時7分に旅館つるやを出る。
 
 伊予三島駅の南に回り、国道11号バイパスにあるコンビニ・サー
クルKで昼食を買う。サークルKは何度目だろうか、同じメニュー
であきるが他にないので仕方ない。


 中曽根町からへんろ道に入る。松山自動車道の南に出て側道
を東へ、発電管理所の横で側道を離れた。

 水力発電所の先にあった戸川疎水記念公園で小休止。桜の下
に、遍路を供養した「文化の大乗妙典一石一字塔」や光明真言
二百万扁を記念した道しるべなどがある。


 車道を離れ簡易舗装の急坂を上がって行くと、背後に三島の
市街地が一望。製紙工場の煙突からまっすぐな煙が上がる。

 かなりの急坂が続くので折り畳み杖を出す。

 今朝、不要な荷物を宅配便で自宅に送り返したので、肩の負担
はいつもより軽く感じる。車道に出たら台風被害の崩落地があり、
車は通行止めになっていた。

 ほどなく65番三角寺。樹木の多い山の中腹にあり、落ち着いた
たたずまい。

 山門に下がる鐘を突いてから参拝、しかし、20数人の団体が
本堂、大師堂の参拝場所を占拠?し、ローソクや線香をあげる
のもはばかられ、待つ。

 あとから引率者が「待たせて済みません」と別のご夫婦に謝って
いたが、その気があるなら、他の参詣者の参拝できるスペースを
空けておくマナーが欲しい。

 境内に桜の古木があり、モミジの紅葉がよい彩り。若い寒桜も
咲いていた。女性、男性の歩き遍路もおり、前後して参拝、読経
する。

 下りの車道に入り、涼しい杉木立の間を抜けると、再び三島の
町並みと瀬戸内海の展望が広がる。


 平山集落の入口に、旅籠屋「島屋跡」の説明板、すぐ近くには
「土佐街道」の石碑と、へんろ道の標石、石仏などが並んでいた。

 下からの車道に合した下山田に、「ゆらぎ休憩所」という遍路休憩
所があったので休む。

 今夜同宿という女性遍路が先着していて先に出た。先方はるかに、
明日上がる雲辺寺の山並みが見えるが、あれを上るのはかなり
手強そうだ。


 稲を干すはさ掛けの並ぶ棚田の横を進む。横川の集会所のよう
な建物に、「万人幸福の栞十七か条」というのが掲げてあった。

 高知自動車道の法皇トンネル北側をくぐって古下田へ。この辺り
も棚田のひこばえが、収穫前のような黄金色の彩りを見せていた。
 
 のどかな里道。ポカポカとちょうどよい陽気が気持ちよい。

 別格14番霊場椿堂こと浄福寺に正午に着いた。弘法大師がこの
庵を訪れ、手にした杖をさして祈ったところ流行の熱病が去り、杖
から椿の芽が出て成長し、椿堂と呼ぶようになったという。

 先行の女性遍路がベンチで食事中。納経後、私も昼食をした。
途中で知り合ったらしい若い男性と中年男性の歩き遍路も来て先
に出る。いずれも今日同宿とのこと。

 国道192号に下り、車が高速で行き交う道を進む。歩道はある
のだが右、左と入れ代わりわずらわしい。ムクロジの実が黄色く
色づき始め、白い山茶花の咲く民家が多い。国道は金生川沿いに
進む。

 次第に上り道となり、両側の山並みは黄色系の色づきが始まっ
ている。七里バス停から南側のへんろ道に入った。

 細い車道の杉林を進むと、数戸だけの泉中集落に「峠口0.1㎞」
の表示がある。上がってみたら小さい祠があった。ここが愛媛・
徳島県境の境目峠らしい。東側は徳島県池田町である。

 一車線の車道を下って行くと、「中津山道」の古い石標が立つ。
境目トンネルを出た国道192号に下り、佐野の大宗谷バス停の
そばから左に入る。

 佐野小の先にあった今日の宿、民宿岡田に15時前に着いた。
宿のおやじさんに「早くて済みません」と言ったら、「もうみんな
着いていて、あんたが最後だよ」と言われた。

 申込みが遅かったのか部屋は裏手の三畳の間。でも、寝るには
十分なスペースだ。風呂も洗濯も一番最後になった。

 18時過ぎからの夕食には、いずれも初めてのひとり歩きの遍路、
男5人、女2人が集う。75歳と言うが、ご飯のお代わりを察して
サッと来てくれる身の軽い親父(岡田明)さんを中心に、この先の
宿や道筋の情報、おいしい讃岐うどんのことなど、賑やかな食卓。

 それぞれが持っている情報も出し合い、へんろ地図上に良い宿、
?の宿にマークしたりして、食事を挟んで一時間以上も話がはずみ、
大変楽しい夕食の席だった。

 男性は、犬山市の明治村で案内しているという人、同じ愛知県
の人、ひげをつけた広島の人、京都市内の31歳の若人、そして私、
女性は東京と京都の人である。

 部屋の壁には、宿泊した人たちからの写真がたくさん貼ってある。
その中に津軽三味線奏者・月岡祐紀子さんのものもあった。月岡
さんは、初めて泊まったときに、おかみさんから洗濯の仕方が悪い
と叱られたが、翌年来たらおかみさんは亡くなったと聞き泣いたと、
親父さんは話してくれた。

 結願後、日を改めてお礼参りしたいと考えていた高野山町石道
の地図があったので、1枚もらう。枚方市の大野さんが作成し、
置いて行かれたものである。

〈コースタイム〉旅館つるや7:07ースーパー・サークルK7:39~42
ー戸川疎水公園8:15~21ー65番三角寺9:25~10:00ー堀切峠へ
の三差路10:37ーゆらぎ休憩所10:58~11:20ー常福寺・椿堂(昼食)
12:01~56ー境目峠14:15ー民宿岡田14:57

(距離 20㎞、歩行地 四国中央市、徳島県池田町、地図 伊予
 三島、歩数 38,400)
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