第16日 2004年11月28日(日) 晴
<84番屋島寺~86番志度寺>
=壇ノ浦を挟んで=
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6時25分起床、7時朝食。今日は個々に歩くことにして、
Kさん、Iさんと別れ、7時55分に東横インを出る。昨日より
暖かい感じだ。
琴平電鉄琴平線と長尾線の踏切を越え、多賀神社前を東に
進んで御坊川を渡る。千代橋のたもとに浜街道の由緒が記さ
れていた。
国道11号に出て詰田川にかかると、行く手に屋島が全容を
見せた。日曜日なので、いつも多い国道の車が少ないので助
かる。
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新川大橋先の交差点を左折、琴電潟本駅の横から遍照院前
を過ぎると、簡易舗装の急坂となる。享保11年(1726)の丁石
の並ぶ坂道は、ハゼ、クヌギ、モミジなどの紅葉の彩りがよい。
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「弘法大師加持水」と「食わずの梨」(写真)の間に台風による
土砂崩壊地があり、簡易舗装は埋もれ、細い土道が急造され
ていた。
山頂へ早朝ウオーキングに上がった地元の人たちが、次々に
下りて来て挨拶を交わす。木の間越しに高松市街の展望が広が
ってきた。大きな岩盤の露出する畳岩を過ぎ、ジグザグに上がっ
て84番屋島寺に着いた。
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玉砂利の敷かれた広い境内、本堂、大師堂ほか幾つもの堂塔
が並び、近代的で新しい宝物館もあった。車で来た参拝者も多い。
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可正桜と呼ぶ、寛文6年(1665)に植えたという桜の古木が
境内の一隅にあった。紅葉も色鮮やか。
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先着のTさん、後着のIさんと一緒に、東側のホテル甚五郎の
ところに出た。源平合戦の地、壇ノ浦を隔てて、次の八栗寺の
ある八栗山の特徴ある山容が一望。ちょうどマウンテンバイク
で上がってきた地元の男性が、源平合戦の場所などを説明して
くれた。
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少し南から、木の階段などの急坂が始まった。足を踏み外さ
ぬよう注意しながらドンドン下る。一度車道を横断、さらに下る
と、源義経の家臣で屋島の合戦で死んだ佐藤継信の墓があった。
さらに下の車道に出て南に向かう。安徳天皇社を過ぎ、県道
150号に入る。上から見えたこの東側一帯の住宅地は、以前
は塩田だった場所だと、先ほどマウンテンバイクの人から聞い
ていた。
やはり義経の家臣だった菊王丸の墓に寄り、1㎞北で壇ノ浦
に注ぐ相引川の高橋を渡る。満潮で水が一杯の流れにウミウが
泳いでいた。
すぐ先に、マルナカという大きなスーパーがあったので昼食を
調達し、近くの小公園で食べた。
東側の須崎寺には、四国八十八か所の案内記を作ったり、
へんろ道の整備するなど、「遍路の父」と仰がれた真念の墓が
ある。土塀に、屋島合戦図など近辺の名所の説明板も掲げ
られていた。
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本堂のさいせん箱には、昭和19年度疎開児童が寄付した
ことが記されており、第2次大戦の歴史の一端が残されていた。
境内の大イチョウがよい彩りである。
牟礼北小横から団体客で賑わう「うどんの山田屋」にかけ、
へんろ道はくねくねと出入りしている。
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八栗ケーブルの駅横から鳥居をくぐると簡易舗装の急坂が
始まった。弘法大師像ほか、たくさんの石像の並ぶ弘法大師
加持水を過ぎ、さらにひと上りで八栗山の中腹にある85番
八栗寺に着いた。
「歓喜天」の掲額がある鳥居の先に山門があり、背後に大岩
を抱えた山寺。本堂の右手先方に大師堂と多宝塔が並ぶ。
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朱塗りの多宝塔のそばにあるモミジの紅葉が素晴らしい。
香川県の保存樹木「八栗寺のイチョウ」も、鮮やかな黄葉を
見せていた。
この先もTさんが先行し、Iさんがすぐ後になり、南に向かって
車道を下る。講習中で、騒がしい音を響かすマウンテンバイク
場の横を過ぎる。この辺りの沿道もモミジやハゼの黄葉が見
ごろ。
今日も暖かくなり、南風が汗ばむ体に気持ちよい。池の真ん
中から噴水が上がる2つ池親水公園を過ぎ、県道145五号
に出る。志度の町並みや志度湾が見えてきた。県道は車が少
ないので歩きやすい。
両側の田んぼはかなり早く刈り入れが住んだのか、ひこばえ
が固い粒をたくさんつけ、2度目の黄金色を見せている。
琴電志度線の讃岐牟礼駅付近で再び国道11号に出たが、
日曜の午後で車は少ない。「うどん商人つづみ屋」の看板が
あったので寄り、冷たいぶっかけうどんを食べた。
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ここも腰の強いめんに、ゴマやカボス汁をかけて250円の
小玉だったが、おいしかった。
その間に抜かれたIさんに追いつき、幡羅八幡宮の先で、国
道11号に平行する海側の旧道へ。志度町に、私が遍路用品
を通販で買った「表装の詠智会」の店があったが、日曜休業
なのか人がいないので、寄らずに先へ向かう。
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次のY字路に、りっぱな石灯籠と平賀源内の説明板があっ
た。石灯籠は船の目印にしたという。平賀源内はこの地の
出身、近くの平賀源内邸は遺品館になっていた。
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すぐ先の地蔵寺には、りっぱな夫婦柏がある。志度寺十一
面観音を刻んだ残り木を埋めた跡地から芽生えたという霊木
で、樹齢は千年以上になるという。
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今日の宿、いしや旅館にザックを預け、さらに進んだ突き当
たりの86番志度寺に入る。1万㎡あるという広い境内。山門
脇の五重塔が、傾いた夕日にライトアップされたように輝いて
いた。
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藤原不比等の子と行基とが伽藍を築いたという古寺。本堂
は国重文である。境内には幼稚園や老人福祉施設もあった。
16時半過ぎ、いしや旅館に戻った。この宿も、道路側と中間
の建物は明治初期の建物とかで、最近選定された文部省の
登録有形文化財認定証が玄関内に掲示してあった。
中の間と廊下を経て、昭和の建築という南側の部屋に案内
された。入浴後、家庭用の洗濯機を借りて洗濯をする。
今日の宿泊は私とIさんのみ。久しぶり早めの夕食は魚介類
が中心でおいしい。落ち着けるよい宿だ。夕食後、2日分の
レポートを整理する。
〈コースタイム〉東横イン高松7:55ー新川大橋9:00ー池のそば
のベンチ9:15~20ー屋島御加持水9:35ー84番屋島寺10:03~
50ー佐藤継信の墓11:33ースーパーマルナカ11:58~12:11ー
小公園(昼食)12:14~40ー番外洲崎寺12:42~46ー八栗登山口
駅横13:08ー85番八栗寺13:30~14:05ーうどん商人つづみ屋
14:50~15:06ー86番志度寺15:57~16:25ーいしや旅館16:30
(距離 23㎞、歩行地 高松市、牟礼町、さぬき市、地図、高松
南部、高松、歩数 38,000)
<84番屋島寺~86番志度寺>
=壇ノ浦を挟んで=
6時25分起床、7時朝食。今日は個々に歩くことにして、
Kさん、Iさんと別れ、7時55分に東横インを出る。昨日より
暖かい感じだ。
琴平電鉄琴平線と長尾線の踏切を越え、多賀神社前を東に
進んで御坊川を渡る。千代橋のたもとに浜街道の由緒が記さ
れていた。
国道11号に出て詰田川にかかると、行く手に屋島が全容を
見せた。日曜日なので、いつも多い国道の車が少ないので助
かる。
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新川大橋先の交差点を左折、琴電潟本駅の横から遍照院前
を過ぎると、簡易舗装の急坂となる。享保11年(1726)の丁石
の並ぶ坂道は、ハゼ、クヌギ、モミジなどの紅葉の彩りがよい。
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「弘法大師加持水」と「食わずの梨」(写真)の間に台風による
土砂崩壊地があり、簡易舗装は埋もれ、細い土道が急造され
ていた。
山頂へ早朝ウオーキングに上がった地元の人たちが、次々に
下りて来て挨拶を交わす。木の間越しに高松市街の展望が広が
ってきた。大きな岩盤の露出する畳岩を過ぎ、ジグザグに上がっ
て84番屋島寺に着いた。
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玉砂利の敷かれた広い境内、本堂、大師堂ほか幾つもの堂塔
が並び、近代的で新しい宝物館もあった。車で来た参拝者も多い。
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可正桜と呼ぶ、寛文6年(1665)に植えたという桜の古木が
境内の一隅にあった。紅葉も色鮮やか。
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先着のTさん、後着のIさんと一緒に、東側のホテル甚五郎の
ところに出た。源平合戦の地、壇ノ浦を隔てて、次の八栗寺の
ある八栗山の特徴ある山容が一望。ちょうどマウンテンバイク
で上がってきた地元の男性が、源平合戦の場所などを説明して
くれた。
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少し南から、木の階段などの急坂が始まった。足を踏み外さ
ぬよう注意しながらドンドン下る。一度車道を横断、さらに下る
と、源義経の家臣で屋島の合戦で死んだ佐藤継信の墓があった。
さらに下の車道に出て南に向かう。安徳天皇社を過ぎ、県道
150号に入る。上から見えたこの東側一帯の住宅地は、以前
は塩田だった場所だと、先ほどマウンテンバイクの人から聞い
ていた。
やはり義経の家臣だった菊王丸の墓に寄り、1㎞北で壇ノ浦
に注ぐ相引川の高橋を渡る。満潮で水が一杯の流れにウミウが
泳いでいた。
すぐ先に、マルナカという大きなスーパーがあったので昼食を
調達し、近くの小公園で食べた。
東側の須崎寺には、四国八十八か所の案内記を作ったり、
へんろ道の整備するなど、「遍路の父」と仰がれた真念の墓が
ある。土塀に、屋島合戦図など近辺の名所の説明板も掲げ
られていた。
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本堂のさいせん箱には、昭和19年度疎開児童が寄付した
ことが記されており、第2次大戦の歴史の一端が残されていた。
境内の大イチョウがよい彩りである。
牟礼北小横から団体客で賑わう「うどんの山田屋」にかけ、
へんろ道はくねくねと出入りしている。
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八栗ケーブルの駅横から鳥居をくぐると簡易舗装の急坂が
始まった。弘法大師像ほか、たくさんの石像の並ぶ弘法大師
加持水を過ぎ、さらにひと上りで八栗山の中腹にある85番
八栗寺に着いた。
「歓喜天」の掲額がある鳥居の先に山門があり、背後に大岩
を抱えた山寺。本堂の右手先方に大師堂と多宝塔が並ぶ。
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朱塗りの多宝塔のそばにあるモミジの紅葉が素晴らしい。
香川県の保存樹木「八栗寺のイチョウ」も、鮮やかな黄葉を
見せていた。
この先もTさんが先行し、Iさんがすぐ後になり、南に向かって
車道を下る。講習中で、騒がしい音を響かすマウンテンバイク
場の横を過ぎる。この辺りの沿道もモミジやハゼの黄葉が見
ごろ。
今日も暖かくなり、南風が汗ばむ体に気持ちよい。池の真ん
中から噴水が上がる2つ池親水公園を過ぎ、県道145五号
に出る。志度の町並みや志度湾が見えてきた。県道は車が少
ないので歩きやすい。
両側の田んぼはかなり早く刈り入れが住んだのか、ひこばえ
が固い粒をたくさんつけ、2度目の黄金色を見せている。
琴電志度線の讃岐牟礼駅付近で再び国道11号に出たが、
日曜の午後で車は少ない。「うどん商人つづみ屋」の看板が
あったので寄り、冷たいぶっかけうどんを食べた。
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ここも腰の強いめんに、ゴマやカボス汁をかけて250円の
小玉だったが、おいしかった。
その間に抜かれたIさんに追いつき、幡羅八幡宮の先で、国
道11号に平行する海側の旧道へ。志度町に、私が遍路用品
を通販で買った「表装の詠智会」の店があったが、日曜休業
なのか人がいないので、寄らずに先へ向かう。
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次のY字路に、りっぱな石灯籠と平賀源内の説明板があっ
た。石灯籠は船の目印にしたという。平賀源内はこの地の
出身、近くの平賀源内邸は遺品館になっていた。
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すぐ先の地蔵寺には、りっぱな夫婦柏がある。志度寺十一
面観音を刻んだ残り木を埋めた跡地から芽生えたという霊木
で、樹齢は千年以上になるという。
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今日の宿、いしや旅館にザックを預け、さらに進んだ突き当
たりの86番志度寺に入る。1万㎡あるという広い境内。山門
脇の五重塔が、傾いた夕日にライトアップされたように輝いて
いた。
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藤原不比等の子と行基とが伽藍を築いたという古寺。本堂
は国重文である。境内には幼稚園や老人福祉施設もあった。
16時半過ぎ、いしや旅館に戻った。この宿も、道路側と中間
の建物は明治初期の建物とかで、最近選定された文部省の
登録有形文化財認定証が玄関内に掲示してあった。
中の間と廊下を経て、昭和の建築という南側の部屋に案内
された。入浴後、家庭用の洗濯機を借りて洗濯をする。
今日の宿泊は私とIさんのみ。久しぶり早めの夕食は魚介類
が中心でおいしい。落ち着けるよい宿だ。夕食後、2日分の
レポートを整理する。
〈コースタイム〉東横イン高松7:55ー新川大橋9:00ー池のそば
のベンチ9:15~20ー屋島御加持水9:35ー84番屋島寺10:03~
50ー佐藤継信の墓11:33ースーパーマルナカ11:58~12:11ー
小公園(昼食)12:14~40ー番外洲崎寺12:42~46ー八栗登山口
駅横13:08ー85番八栗寺13:30~14:05ーうどん商人つづみ屋
14:50~15:06ー86番志度寺15:57~16:25ーいしや旅館16:30
(距離 23㎞、歩行地 高松市、牟礼町、さぬき市、地図、高松
南部、高松、歩数 38,000)