昨日夕方帰宅しました。今日は1日冷たい雨、四国遍路ではあまり
感じなかった、寒さが気になります。
1か月余り中断していた、2年前の四国遍路後半のレポート続きを
再開します。今年ではありませんので、お間違えの無いよう。
============================
第4日 2004年11月16日(火) 晴
〈47番八坂寺~52番太山寺〉
=松山市内を抜ける=
5時40分起床。6時朝食、坊さんのいる団体はもう終えていた。
6時45分に出発。宿の前、昨日参拝した46番浄瑠璃寺は一礼して
西に抜ける。
へんろ道を0.9㎞で47番八坂寺へ。鐘を突いてから参拝、読経。
本堂はコンクリート造り。カシの古木が何本かあるが、開放的な境内だ。
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ちょっと変わった山門の天井に、天使が描かれていた。
北に向かい池の角を進む。市街地には陽が差しているが、ここはまだ
なので寒い。畑に50㎝くらいも茎の伸びたキャベツのような野菜が
ある。
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春にもどこかで見た記憶があるが、何だったろうか。
恵原町に、別格霊場9番の文殊院があったので参拝して読経。四国
霊場を開祖した河野衛門三郎の菩提所で、衛門三郎の新しいと石像が
立つ。
納経所で熱いお茶のお接待をいただいた。
恵原町の住宅街は、狭い道路沿いに精巧な鬼瓦をあげた家が多く、
落ち着いた雰囲気の町並み。次の今市には、大宮八幡の先に札始大師
堂があり、「お大師様お泊まり所」と記されていた。
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川幅500mくらいある重信川の久谷大橋を渡り、車がめったに通ら
ぬ松山自動車道の下を進む。南高井町の交差点先にも、小さい大師堂
があった。
すぐ北が48番西林寺。門前にきれいな川が流れている。その上を
石橋で渡って山門をくぐる。
納経所前の庭は、松やモミジがよく手入れされていた。
西に抜け、高井公園前の内川沿いに進む。滋賀神社前の流れには細長
い貝が多く、ハヤだろうか、小さい魚も沢山泳いでいた。
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松山リハビリテーション病院横を北に、小野川の遍路橋を渡る。久米
小の横を抜けて伊予鉄道久米駅の東を進むと、突き当たりが49番浄土
寺である。
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本堂は室町時代の代表的建造物で国重要文化財。納経所へ行く古い
土塀が傾き、今にも倒れそう。楠の下に子規の句碑があった。
この先、市内各所の寺に句碑があり、松山市が俳句の町だということ
を実感する。
西北にある日尾八幡神社にも参拝する。日本3大八幡のひとつとか。
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天平勝宝4年(752)、大分の宇佐八幡から勧請し、孝謙天皇の勅願
所となったという古社。
145段の石段、背のザックが重い。太いしめ縄のあがったりっぱな
社殿に、剣道スポーツ少年団の掲額が幾つも奉納されていた。
次の繁多寺に向かう道、車が多いのに歩道が無い。墓地の間を進む
へんろ道に入ってホッとする。
ミカン畑の横を抜けて、50番繁多寺に上がる。高台にあり、境内の
広場からは松山市街の展望がよい。背後の森は、広葉樹や杉がうっそう
と茂っている。
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山すそを西に向かう。桑原八幡の先は道路工事中でちょっと分かりに
くい。
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畑寺から東野の住宅地を北に進み、石手川の遍路橋を渡り、51番
石手寺に着いた。
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10月28日から11月20日まで菊花灌頂中とあり、本堂の前など
がきれいな菊で彩られ、各お堂には、五色の幕が下がっている。
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灌頂とは、仏教の儀式で頭に水を注ぐことらしい。広い境内は参詣客
が多い。
期間中、大師堂のお大師様と参拝者は、三色のひもで縁を結ばれる
ようになっている。また、この期間、本堂内も拝観できるとのこと。
大師堂から入り、手まりの絵が並ぶ絵馬堂を経て本堂内を一周する。
本堂内、仏様の回りも菊で飾られていた。
正午を過ぎたので、門前にあったみよし食堂に入り昼食とし、名物、
梅こんぶうどんを食べた。
山すその道を西に向かう。道後温泉街の手前にある伊左爾波神社に
135段の石段を上がって参拝。檜皮葺の本殿や回廊は、鮮やかな朱
塗り。回廊には、りっぱな御輿が保管されていた。
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道後温泉の旅館街からアーケード街を西に抜け、御幸寺山のふもとを
進む。護国寺の先、御幸寺の前に一草庵というのがあった。昭和15年
10月に没した放浪の俳人、種田山頭火終焉の地で、山頭火の句など、
資料を展示している。
ちょうど帰ってきた管理人の方から、「寄って行きませんか」と言わ
れたが、先の予定もあり、外の句碑を見ただけで失礼する。
松山大のグランドやキャンパスの間を抜け、国道56号に出る。市街
地だが、国道沿いの流れもきれいで、ハヤと思われる小魚が沢山泳いで
いた。
山越1丁目の歩道橋を越え、少し戻って西に向かい、久万ノ台まで
まっすぐに進む。
松山西高と池の間に出るつもりが、手前で右に入ってしまい、少し
回り道して高校の北側から池のそばに出た。夏ミカン畑の先、少年鑑別
院や松山学院前を過ぎ、JR三津浜駅を跨線橋で越える。
駅西側の、新しくて広い県道19号から、松ノ木で県道183号に入
り北に向かう。坂を上がり、ゴルフ場の西からはへんろ道へ。ミカン畑
の間を下り、52番大山寺一の門の門前を進む。
この寺は参道が長く、仁王門から納経所前を経て、本堂まで570m
ある。17時の納経締め切り時刻に間に合わせねはと急ぐが、上り坂で
ザックが肩に重い。
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古い様式の本堂は国宝。仁王門も国重文で、ほかの建物もみな古い。
朝早く宿を出た坊さんグループの一行が後からやってきた。どうやら
44番、45番もまわってきたようだ。それにしても、歩いてきた私と
一緒になるとは…。
納経も間に合い、車の多い県道183号を北東に急ぎ、17時17分、
JR伊予和気駅に着いた。
17時34分発松山行き予讃線に乗り、18時過ぎ、松山駅に近い松山
東映ホテルに入る。
事前に連絡をとっていたFさんが18時半に来た。Fさんとは、20年
前、職場が一緒だった。近くの和食料理店で21時過ぎまで夕食を食べ
ながら懇談する。
今日は涼しく、納経を急いだ大山寺以外は汗もかかず、遅いこともあり、
洗濯は無しとする。それでも就床は23時近かった。
〈コースタイム〉民宿長珍屋6:45ー47番八坂寺7:00~20ー文殊院7:34ー
札始大師堂8:17~25ー48番西林寺8:52~9:15ー49番浄土寺10:05~35
ー日尾八幡社10:39~49ー50番繁多寺11:08~33ー51番石手寺12:11~55
ーみよし食堂(昼食)13:00~20ー一草庵14:10~13ー松山学院先の小公園
15:19~28ー52番太山寺16:15~47ーJR伊予和気駅17:17~34=松山駅
17:42ー松山東映ホテル18:05頃
(距離 27㎞、地図 松山南部、松山北部、三津浜、歩行地 松山市、
歩数 48,800)
感じなかった、寒さが気になります。
1か月余り中断していた、2年前の四国遍路後半のレポート続きを
再開します。今年ではありませんので、お間違えの無いよう。
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第4日 2004年11月16日(火) 晴
〈47番八坂寺~52番太山寺〉
=松山市内を抜ける=
5時40分起床。6時朝食、坊さんのいる団体はもう終えていた。
6時45分に出発。宿の前、昨日参拝した46番浄瑠璃寺は一礼して
西に抜ける。
へんろ道を0.9㎞で47番八坂寺へ。鐘を突いてから参拝、読経。
本堂はコンクリート造り。カシの古木が何本かあるが、開放的な境内だ。
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ちょっと変わった山門の天井に、天使が描かれていた。
北に向かい池の角を進む。市街地には陽が差しているが、ここはまだ
なので寒い。畑に50㎝くらいも茎の伸びたキャベツのような野菜が
ある。
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春にもどこかで見た記憶があるが、何だったろうか。
恵原町に、別格霊場9番の文殊院があったので参拝して読経。四国
霊場を開祖した河野衛門三郎の菩提所で、衛門三郎の新しいと石像が
立つ。
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納経所で熱いお茶のお接待をいただいた。
恵原町の住宅街は、狭い道路沿いに精巧な鬼瓦をあげた家が多く、
落ち着いた雰囲気の町並み。次の今市には、大宮八幡の先に札始大師
堂があり、「お大師様お泊まり所」と記されていた。
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川幅500mくらいある重信川の久谷大橋を渡り、車がめったに通ら
ぬ松山自動車道の下を進む。南高井町の交差点先にも、小さい大師堂
があった。
すぐ北が48番西林寺。門前にきれいな川が流れている。その上を
石橋で渡って山門をくぐる。
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納経所前の庭は、松やモミジがよく手入れされていた。
西に抜け、高井公園前の内川沿いに進む。滋賀神社前の流れには細長
い貝が多く、ハヤだろうか、小さい魚も沢山泳いでいた。
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松山リハビリテーション病院横を北に、小野川の遍路橋を渡る。久米
小の横を抜けて伊予鉄道久米駅の東を進むと、突き当たりが49番浄土
寺である。
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本堂は室町時代の代表的建造物で国重要文化財。納経所へ行く古い
土塀が傾き、今にも倒れそう。楠の下に子規の句碑があった。
この先、市内各所の寺に句碑があり、松山市が俳句の町だということ
を実感する。
西北にある日尾八幡神社にも参拝する。日本3大八幡のひとつとか。
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天平勝宝4年(752)、大分の宇佐八幡から勧請し、孝謙天皇の勅願
所となったという古社。
145段の石段、背のザックが重い。太いしめ縄のあがったりっぱな
社殿に、剣道スポーツ少年団の掲額が幾つも奉納されていた。
次の繁多寺に向かう道、車が多いのに歩道が無い。墓地の間を進む
へんろ道に入ってホッとする。
ミカン畑の横を抜けて、50番繁多寺に上がる。高台にあり、境内の
広場からは松山市街の展望がよい。背後の森は、広葉樹や杉がうっそう
と茂っている。
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山すそを西に向かう。桑原八幡の先は道路工事中でちょっと分かりに
くい。
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畑寺から東野の住宅地を北に進み、石手川の遍路橋を渡り、51番
石手寺に着いた。
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10月28日から11月20日まで菊花灌頂中とあり、本堂の前など
がきれいな菊で彩られ、各お堂には、五色の幕が下がっている。
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灌頂とは、仏教の儀式で頭に水を注ぐことらしい。広い境内は参詣客
が多い。
期間中、大師堂のお大師様と参拝者は、三色のひもで縁を結ばれる
ようになっている。また、この期間、本堂内も拝観できるとのこと。
大師堂から入り、手まりの絵が並ぶ絵馬堂を経て本堂内を一周する。
本堂内、仏様の回りも菊で飾られていた。
正午を過ぎたので、門前にあったみよし食堂に入り昼食とし、名物、
梅こんぶうどんを食べた。
山すその道を西に向かう。道後温泉街の手前にある伊左爾波神社に
135段の石段を上がって参拝。檜皮葺の本殿や回廊は、鮮やかな朱
塗り。回廊には、りっぱな御輿が保管されていた。
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道後温泉の旅館街からアーケード街を西に抜け、御幸寺山のふもとを
進む。護国寺の先、御幸寺の前に一草庵というのがあった。昭和15年
10月に没した放浪の俳人、種田山頭火終焉の地で、山頭火の句など、
資料を展示している。
ちょうど帰ってきた管理人の方から、「寄って行きませんか」と言わ
れたが、先の予定もあり、外の句碑を見ただけで失礼する。
松山大のグランドやキャンパスの間を抜け、国道56号に出る。市街
地だが、国道沿いの流れもきれいで、ハヤと思われる小魚が沢山泳いで
いた。
山越1丁目の歩道橋を越え、少し戻って西に向かい、久万ノ台まで
まっすぐに進む。
松山西高と池の間に出るつもりが、手前で右に入ってしまい、少し
回り道して高校の北側から池のそばに出た。夏ミカン畑の先、少年鑑別
院や松山学院前を過ぎ、JR三津浜駅を跨線橋で越える。
駅西側の、新しくて広い県道19号から、松ノ木で県道183号に入
り北に向かう。坂を上がり、ゴルフ場の西からはへんろ道へ。ミカン畑
の間を下り、52番大山寺一の門の門前を進む。
この寺は参道が長く、仁王門から納経所前を経て、本堂まで570m
ある。17時の納経締め切り時刻に間に合わせねはと急ぐが、上り坂で
ザックが肩に重い。
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古い様式の本堂は国宝。仁王門も国重文で、ほかの建物もみな古い。
朝早く宿を出た坊さんグループの一行が後からやってきた。どうやら
44番、45番もまわってきたようだ。それにしても、歩いてきた私と
一緒になるとは…。
納経も間に合い、車の多い県道183号を北東に急ぎ、17時17分、
JR伊予和気駅に着いた。
17時34分発松山行き予讃線に乗り、18時過ぎ、松山駅に近い松山
東映ホテルに入る。
事前に連絡をとっていたFさんが18時半に来た。Fさんとは、20年
前、職場が一緒だった。近くの和食料理店で21時過ぎまで夕食を食べ
ながら懇談する。
今日は涼しく、納経を急いだ大山寺以外は汗もかかず、遅いこともあり、
洗濯は無しとする。それでも就床は23時近かった。
〈コースタイム〉民宿長珍屋6:45ー47番八坂寺7:00~20ー文殊院7:34ー
札始大師堂8:17~25ー48番西林寺8:52~9:15ー49番浄土寺10:05~35
ー日尾八幡社10:39~49ー50番繁多寺11:08~33ー51番石手寺12:11~55
ーみよし食堂(昼食)13:00~20ー一草庵14:10~13ー松山学院先の小公園
15:19~28ー52番太山寺16:15~47ーJR伊予和気駅17:17~34=松山駅
17:42ー松山東映ホテル18:05頃
(距離 27㎞、地図 松山南部、松山北部、三津浜、歩行地 松山市、
歩数 48,800)