一昨日とはうって変わり、真冬並みの寒さとなり、首都圏も1日
冷たい風が吹き荒れました。
今年もあと2日余り、気温の変化が激しいので、お互い、風邪
などに注意しましょう。
==========================
==高野山へ四国遍路のお礼参り==
2004年11月29日、四国遍路を88番大窪寺に結願、12月
1日、1番霊山寺に戻り、四国一周の輪を結んだのだが、高野
山へのお礼参りはせずに帰宅した。
そこで、「四国遍路道ある記(後編)」もまとまった2005年3月
末、あらためて高野山詣でをすることにした。
この時期にしたのは、JRの「青春18きっぷ」が利用できるか
ら。新幹線ひかりで行くと東京~大阪間17,500円(ジパング
でも9,610)になるが、青春18きっぷなら2,300円で済む。
2005年3月27日(日) 晴
=青春18きっぷで大阪へ=
6時40分に自宅を出る。連絡も良く、予定より早いJR東京駅
8時3分発熱海行きに乗れた。
小田原駅近くで、箱根連山の上に真っ白な富士山の頭だけが
見えた。富士駅~富士川駅付近からは富士山の展望がよいはず
だが、うつらうつらしてしまい見逃した。
静岡、大垣と普通電車を乗り継ぐ。沿線のナノハナや桃、梅など
が春の色を見せている。
米原からは新快速電車。柏原駅付近から伊吹山が見えてきた
が、近くの山を含めまだかなりの雪が残っていた。17時14分、
大阪駅に着く。
今日の宿は難波駅の近く。市営地下鉄で行けば早いのだが、
JRでも行けると分かったので、大阪環状線で今宮まで行き、大和
路線に乗り換えJR難波下車、18時ころ東横イン大阪なんばに
入った。
明朝、まごつかないようにと思い、何十年ぶりかの南海難波駅
を確認に行き、ホテル近くの大衆食堂で夕食をして戻る。
2005年3月28日(月) 曇後雨
=町石道を上がって高野山上へ=
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6時起床、外を見ると雨。6時55分、サービスのおにぎりとみそ
汁の朝食を済ませ、7時35分ころ傘を差して宿を出る。
天気予報では、降雨確率午前90%、午後40%くらいなので、
少なくとも午前中は雨を覚悟する。
南海難波駅で、今日案内して下さる大和郡山市の、竜馬16さん
と落ち合う。竜馬さんには後半の遍路で、私の携帯メールでの報告
を、ご自分のHPの一隅に「□□さんの四国八十八か所 巡拝メー
ルDe日記」としてアップしていただいた。
お会いするのは初めて。前々日、前日には和歌山県の果無山脈
への山行もされており、お疲れのところお出でいただき恐縮する。
難波駅7時51分発橋本行きにて終点で乗換、9時1分に九度山
(くどやま)駅下車。車中から雲が明るくなっていたが、下りたら
幸運にも雨は止んでいた。
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駅を出て、丹生川の真田橋(標高82m)と永代橋を渡り九度山
集落へ。右手に「九和楽 柿の葉すし」の看板が出ていた。
竜馬さんは階段を上がって上の店でその柿の葉すしを求める。
ここの名物のようだ。
すぐ先にあった真田庵にお参りする。正しくは善名称院といい、
戦国時代最後の武将、真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡だと
いう。山門には六文銭の紋が記され、境内には本堂や開山堂、
宝物資料館、天保8年(1837)銘の千度石などがあった。
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次の丹生橋からは、川向こうの高野口町の家並みの背後に広
がる山すそから、雲が上がるのが見える。
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橋を渡ると、りっぱな瓦屋根の家並みが続く入郷の里。梅、スイ
セン、レンギョウ、アセビなどが咲く道を進むと慈尊院がある。
弘仁7年(816)、弘法大師が高野山開創に際し、表玄関として
開創、承和元年(834)大師の御母が我が子を訪ね来て翌年没し、
母公廟が造られて以来、女人結縁の寺として「女人高野」と称され
ているとのこと。
最初の建物、弥勒堂には、安産や子授け、育児を祈願した布製
の乳型がいくつも奉納されている。
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境内の新しい弘法大師像の横には、本にもなっている高野山の
案内犬「ゴンの碑」がある。
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多宝塔横の紅梅が鮮やかな花を見せていた。
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多宝塔横の石段を上がって、丹生官省符神社にもお参りする。
弘法大師が慈尊院を開くとき、その鎮守として建立したところと
いう。
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石段の横に180町の町石(ちょういし)が立ち、ここから大門に
向かう約20㎞の高野山町石道が始まる。
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町石道は、高野山を開山のおり弘法大師空海が、木製の卒塔
婆を建てて道しるべとした道。鎌倉時代に、朽ちた木製の代わり
に20年の歳月をかけ、石造五輪塔形の町石が1町(109m)ごと
に建てられ、それが今も残っている。
土の上り道が続き、西側の斜面は低く枝を広げた柿畑が、見上
げる山上まで広がっている。
九度山は柿の町で、明治43年(1910)に始まった1本が大正
初期から増え続け、いまや九度山の柿は京阪神を中心に関東に
も出荷されているという。ため池のそばに、「柿の町 九度山町」
の大きな表示があった。
179町石の先で県道を横切る。ナノハナやヒメオドリコソウが
雨上がりにしっとりとした色合い。向こうの斜面でキジが鳴いた。
高圧線下を過ぎ、170町石付近まで上がると、紀ノ川や高野口、
北方の山々などの展望がよい。
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さらに柿畑の間を166町石の先まで上がると展望台の東屋が
あり、北方の展望が広がる。周辺の柿の木には、関東ではあま
り見ない赤肌の木もある。161町石辺りで簡易歩道が終わった。
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158町石付近でいったん杉林に入り、抜けた先からは、紀ノ川
沿いの南方の展望が開けてきた。
さらにひとしきり上って、154町石先で雨引山分岐を過ぎる。
稜線上となり、杉落ち葉がたっぷりの道は歩きやすい。
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気持ちよい尾根道はやがて平坦になり、144町石と並ぶ一里
石を通過し、さらに杉林を上がって136町石のある六本杉の
三差路へ。右に、天野の丹生都比売神社への道を分け、左手の
林に入る。真っ直ぐに伸びた杉木立の間を上がると古峠である。
左手に、急な下り道という上古沢駅への道を分け、すぐ近くの
120町石のある2つ鳥居に着いた。石の鳥居が2つ並んでいる。
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弘法大師が建立した木製の鳥居を、慶安2年(1649)に今の
鳥居に変えたと記され、高さ約5.6m、広さ約4.7mの花崗岩
製。丹生大神を祭る丹生都比売神社の鳥居とか。国の史跡で
ある。
そばにある展望台の東屋で昼食とする。竜馬さんから、おいし
い柿の葉すしのおすそわけをごちそうになる。午前は雨を覚悟
したのに降られず、これもお大師様のご加護かと感謝する。

展望台からは眼下に、周囲を低い山に囲まれた天野の里が
見下ろせる。静かなたたずまいで、いつかは歩いてみたい。〈続く〉
冷たい風が吹き荒れました。
今年もあと2日余り、気温の変化が激しいので、お互い、風邪
などに注意しましょう。
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==高野山へ四国遍路のお礼参り==
2004年11月29日、四国遍路を88番大窪寺に結願、12月
1日、1番霊山寺に戻り、四国一周の輪を結んだのだが、高野
山へのお礼参りはせずに帰宅した。
そこで、「四国遍路道ある記(後編)」もまとまった2005年3月
末、あらためて高野山詣でをすることにした。
この時期にしたのは、JRの「青春18きっぷ」が利用できるか
ら。新幹線ひかりで行くと東京~大阪間17,500円(ジパング
でも9,610)になるが、青春18きっぷなら2,300円で済む。
2005年3月27日(日) 晴
=青春18きっぷで大阪へ=
6時40分に自宅を出る。連絡も良く、予定より早いJR東京駅
8時3分発熱海行きに乗れた。
小田原駅近くで、箱根連山の上に真っ白な富士山の頭だけが
見えた。富士駅~富士川駅付近からは富士山の展望がよいはず
だが、うつらうつらしてしまい見逃した。
静岡、大垣と普通電車を乗り継ぐ。沿線のナノハナや桃、梅など
が春の色を見せている。
米原からは新快速電車。柏原駅付近から伊吹山が見えてきた
が、近くの山を含めまだかなりの雪が残っていた。17時14分、
大阪駅に着く。
今日の宿は難波駅の近く。市営地下鉄で行けば早いのだが、
JRでも行けると分かったので、大阪環状線で今宮まで行き、大和
路線に乗り換えJR難波下車、18時ころ東横イン大阪なんばに
入った。
明朝、まごつかないようにと思い、何十年ぶりかの南海難波駅
を確認に行き、ホテル近くの大衆食堂で夕食をして戻る。
2005年3月28日(月) 曇後雨
=町石道を上がって高野山上へ=
6時起床、外を見ると雨。6時55分、サービスのおにぎりとみそ
汁の朝食を済ませ、7時35分ころ傘を差して宿を出る。
天気予報では、降雨確率午前90%、午後40%くらいなので、
少なくとも午前中は雨を覚悟する。
南海難波駅で、今日案内して下さる大和郡山市の、竜馬16さん
と落ち合う。竜馬さんには後半の遍路で、私の携帯メールでの報告
を、ご自分のHPの一隅に「□□さんの四国八十八か所 巡拝メー
ルDe日記」としてアップしていただいた。
お会いするのは初めて。前々日、前日には和歌山県の果無山脈
への山行もされており、お疲れのところお出でいただき恐縮する。
難波駅7時51分発橋本行きにて終点で乗換、9時1分に九度山
(くどやま)駅下車。車中から雲が明るくなっていたが、下りたら
幸運にも雨は止んでいた。
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駅を出て、丹生川の真田橋(標高82m)と永代橋を渡り九度山
集落へ。右手に「九和楽 柿の葉すし」の看板が出ていた。
竜馬さんは階段を上がって上の店でその柿の葉すしを求める。
ここの名物のようだ。
すぐ先にあった真田庵にお参りする。正しくは善名称院といい、
戦国時代最後の武将、真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡だと
いう。山門には六文銭の紋が記され、境内には本堂や開山堂、
宝物資料館、天保8年(1837)銘の千度石などがあった。
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次の丹生橋からは、川向こうの高野口町の家並みの背後に広
がる山すそから、雲が上がるのが見える。
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橋を渡ると、りっぱな瓦屋根の家並みが続く入郷の里。梅、スイ
セン、レンギョウ、アセビなどが咲く道を進むと慈尊院がある。
弘仁7年(816)、弘法大師が高野山開創に際し、表玄関として
開創、承和元年(834)大師の御母が我が子を訪ね来て翌年没し、
母公廟が造られて以来、女人結縁の寺として「女人高野」と称され
ているとのこと。
最初の建物、弥勒堂には、安産や子授け、育児を祈願した布製
の乳型がいくつも奉納されている。
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境内の新しい弘法大師像の横には、本にもなっている高野山の
案内犬「ゴンの碑」がある。
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多宝塔横の紅梅が鮮やかな花を見せていた。
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多宝塔横の石段を上がって、丹生官省符神社にもお参りする。
弘法大師が慈尊院を開くとき、その鎮守として建立したところと
いう。
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石段の横に180町の町石(ちょういし)が立ち、ここから大門に
向かう約20㎞の高野山町石道が始まる。
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町石道は、高野山を開山のおり弘法大師空海が、木製の卒塔
婆を建てて道しるべとした道。鎌倉時代に、朽ちた木製の代わり
に20年の歳月をかけ、石造五輪塔形の町石が1町(109m)ごと
に建てられ、それが今も残っている。
土の上り道が続き、西側の斜面は低く枝を広げた柿畑が、見上
げる山上まで広がっている。
九度山は柿の町で、明治43年(1910)に始まった1本が大正
初期から増え続け、いまや九度山の柿は京阪神を中心に関東に
も出荷されているという。ため池のそばに、「柿の町 九度山町」
の大きな表示があった。
179町石の先で県道を横切る。ナノハナやヒメオドリコソウが
雨上がりにしっとりとした色合い。向こうの斜面でキジが鳴いた。
高圧線下を過ぎ、170町石付近まで上がると、紀ノ川や高野口、
北方の山々などの展望がよい。
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さらに柿畑の間を166町石の先まで上がると展望台の東屋が
あり、北方の展望が広がる。周辺の柿の木には、関東ではあま
り見ない赤肌の木もある。161町石辺りで簡易歩道が終わった。
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158町石付近でいったん杉林に入り、抜けた先からは、紀ノ川
沿いの南方の展望が開けてきた。
さらにひとしきり上って、154町石先で雨引山分岐を過ぎる。
稜線上となり、杉落ち葉がたっぷりの道は歩きやすい。
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気持ちよい尾根道はやがて平坦になり、144町石と並ぶ一里
石を通過し、さらに杉林を上がって136町石のある六本杉の
三差路へ。右に、天野の丹生都比売神社への道を分け、左手の
林に入る。真っ直ぐに伸びた杉木立の間を上がると古峠である。
左手に、急な下り道という上古沢駅への道を分け、すぐ近くの
120町石のある2つ鳥居に着いた。石の鳥居が2つ並んでいる。
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弘法大師が建立した木製の鳥居を、慶安2年(1649)に今の
鳥居に変えたと記され、高さ約5.6m、広さ約4.7mの花崗岩
製。丹生大神を祭る丹生都比売神社の鳥居とか。国の史跡で
ある。
そばにある展望台の東屋で昼食とする。竜馬さんから、おいし
い柿の葉すしのおすそわけをごちそうになる。午前は雨を覚悟
したのに降られず、これもお大師様のご加護かと感謝する。
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展望台からは眼下に、周囲を低い山に囲まれた天野の里が
見下ろせる。静かなたたずまいで、いつかは歩いてみたい。〈続く〉