あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

江戸東京七福神めぐり「浅草名所七福神」コースへ

2010-01-02 22:15:38 | 七福神めぐり
 2009年1月2日(金)



 元旦に続いて今日も、恒例のNPO東京都ウオーキング協会主催「第8
回江戸東京七福神めぐり」に出かけました。

 全部で7コースあるのですが、今回は、「浅草名所(などころ)七福神・
布袋尊コース」です。

 集合地は、東武鉄道や東京メトロ銀座線の浅草駅から5分ほど、隅田
川のほとりの隅田公園です。

 隅田川遊覧船が出発しました。その向こうに見える工事中の塔は、首
都圏の地デジ電波の発射元となる東京スカイツリー、高さ634mの塔が
2年後の早春に完成の予定で、現在はの高さは250mくらいのようです。
V

 このコースの参加者は100人足らずかと見られました。9時55分に出発
しました。

 まずは東側から浅草寺に入り、工事中でシートに覆われた浅草寺大本堂
の裏手にある、恵比寿神の浅草神社へ。


 次は、浅草寺本堂の西側にある影向堂(ようごうどう)、大黒天が祭られて
います。


 浅草寺を北に抜けて浅草6丁目を経て、隅田川右岸に近い待乳山(まっち
やま)聖天に行きました。大イチョウの並ぶ広い境内、毘沙門天の寺です。


 北側、すぐ近くにあるのが福禄寿の今戸神社。康平6年(1063)、源頼義・
義家父子が京都石清水八幡宮を勧請(かんじょう)したものとか。


 茅の輪(ちのわ)の右手には、たくさんの絵馬が奉納されていました。


 さらに隅田川右岸近くを北に進むと、白髭橋の近くに橋場不動尊で知られる
橋場寺不動院があり、布袋尊が祭られています。

 開創は奈良時代末期の天平宝字4年(760)という古寺で、現在の本堂は
弘化2年(1845)の建立とのことです。

 橋場不動尊は、関東三十六不動霊場第23番札所でもあります。

 白髭通りの白髭橋西詰を横断、すぐ北には寿老人の石浜神社が鎮座して
います。聖武天皇の神亀2年(724)創建という古社です。ここにも茅の輪が
用意されていました。


 社殿の右手前には、富士講の人たちが積み上げたのでしょうか。黒石だけ
の独特の富士山が…。


 白髭通りを西に少し進み、南側の狭い通りを入って国指定史跡・平賀源内
の墓に参拝しました。

 エレキテル(摩擦式発電機)の発明で知られていますが、本草学、医学、
儒学などを学び、物産会の主催、鉱山開発などマルチに活躍した人物です。

 石浜公園でトイレ休憩後、東浅草1丁目の東善寺へ。本堂前に、江戸六
地蔵のひとつ、高さ2.71m、宝永7年(1710)造立という銅造の大きな
お地蔵さんが鎮座していました。東京都有形文化財です。


 「見返り柳」のある吉原大門から吉原仲之町通りを進んで吉原神社へ。
たくさんののぼりでお分かりのとおり、弁財天です。


 すぐ近くには、酉の市発祥の神社で知られる鷲(おおとり)神社、

 茅の輪もりっぱで、飾り付けもなかなかきらびやかでした。


 千束2丁目からかっぱ橋道具街へと南進し、最後、9番目は福禄寿の矢先
稲荷神社でした。


 参拝の後、熱い甘酒の振る舞いをいただきました。


 ゴールは、近くの松葉公園。12時35分に着きました。南側の浅草通り
に出てJR上野駅まで歩き、山手線で帰途につきました。 
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「大江戸元旦初歩き2010」へ

2010-01-01 21:22:44 | 江戸・東京を歩く
 2010年の新春、今年もよろしくお願いいたします
 
 皆さんはどんな元旦を迎えられたでしょうか…。

 私は、毎年恒例の日本ウオーキング協会(JWA)主催「元旦大江戸初
歩き2010」に参加しました。

 今年は、NHKの大河ドラマが「龍馬伝」ということもあり、JWAでは、
「坂本龍馬グランプリウオーク」という新しいシリーズを開催するのですが、
その第1回がこの大会ということで、龍馬にちなんだ4つのコースが設定
されました。



 私が参加したのは、その中のAコース「坂本龍馬・千葉道場佐久間象山
修行コース」。スタートは、ゴールでもある上野公園大噴水前です。
 
 9時過ぎ、出発式が行われ、まずJWA小林専務の挨拶から。


 「今年も元気に歩くぞー!、歩くぞー!、エイ・エイ・オー」と、げきを飛ば
して、9時20分にスタートしました。


 JR上野駅を越えるパンダ橋を渡って、東に向かいます。


 稲荷町で右折して南に向かう清洲通りへ。途中で交差する蔵前通りに近い
おかず横丁。普段は賑わうのでしょうが、今日は静か。


 清洲通りを離れ、岩本町3丁目から人形町通りに入りました。入ってすぐの
お玉ヶ池跡にあったお玉稲荷。北辰一刀流宗家の、千葉周作道場と玄武館
の跡でもあります。 


 小伝馬町の十思公園。幕末の長州藩士・吉田松陰終焉の地で、1859年、
ここにあった牢屋敷で処刑されたようです。


 南側のお寺の狭い境内の一角に祭られた弁財天に、北海道石狩川神居古潭
(かむいこたん)の石というのがありました。

 アイヌの酋長のシンボルとして「撫で石」と呼び、厄除け、息災、招福の
石として信仰されているとのこと。私も、そのご利益にあやかりたいと思い、
撫でてきました。

 人形町には、人形を飾ったこんな塔が…。


 少し先の水天宮前交差点を右折します。水天宮は交差点の斜向かいなの
で、寄らずに眺めただけでした。


 新大橋通りを入船橋まで進み、少し先の中央区役所の角を曲がりました。
中央区役所は、土佐藩邸中屋敷跡とのことですが、説明板などには気づきま
せんでした。

 晴海通りに入って歌舞伎座前を通過します。今日は休演日でした。


 銀座4丁目交差点から中央通りへ。車や人出はいつもより少な目。


 京橋で左折して鍛冶橋や東京国際フーラム横を通過、明治・大正の面影
を復元した三菱1号館の角を北に向かいます。


 大手町交差点際のサンケイビル。この近くの幾つかのビルで私も仕事を
したのですが、このビルを含め、当時とはかなりビルの姿が変わりました。


 外堀通りを鎌倉橋を渡って淡路町まで行き、須田町から中央通りに入り、
ゴールへの最終コースへ。

 秋葉原電気街は、ほとんどの店が開いていて、新春福袋や電機製品を求
めに来た人で賑わっていました。


 ゴールの上野公園大噴水前広場には、12時36分に着きました。

 
 噴水のある池のほとりで昼食を済ませたのですが、恒例の鏡開きの開始
の14時までは1時間近くあり、待たずに上野駅から帰路につきました。
コメント (6)
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