あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

忘れえぬ神5 その4

2022-10-05 00:00:00 | (旧車)

しばらくしてからまにまにカレチさんと二人でおじいさんの家を訪れ

お線香をあげさせてもらう事となった

ご家族とご兄弟がおられるタイミングも合い

あの神5のブルーバードで再訪となった

入口でいつも私に吠えていた犬さんは主を失った寂しさからか吠える事もせず元気が無いように思えた

故人の思い出話やブルーバードを知ったいきさつなどを話して

引き取った際のお話しをご子息に伺うと

『しばらくは娘を嫁に出したような感じ』だったそうだ

 

ご仏前に手を合わせ遺影のお姿と目が合った瞬間に

『いい人に見つけてもらい いい人に引き取ってもらえた』

と笑顔で言ってくれた姿が浮かび涙が止まらなかった

 

おいとまさせていただき元の駐車スペースに停めたブルーバードのエンジンを

まにまにカレチさんが始動させた時の事だった

若干エンジンをふかしギアをバックに入れ動かしたその時

道路向かいのおじいさん宅から飼い犬さんが急に吠え出した

私は犬を飼った事が無いのだがエンジン音で分るのだろう

その悲痛な鳴き声は聞いている方も辛かった

まるで帰ってきたご主人に『行かないで!』と止めるように

いつまでもいつまでも鳴いていた

 

そして昨年

ご子息も急に身体を壊し闘病の末お亡くなりになった

あの時から3人で私のアパートやご子息の仕事場で飲んだり

近所のスーパーで偶然に会ったりもして

買ったばかりの別荘にもお誘いされていたのだがこのコロナ禍

結局そのそれもかなわなかった

【つづく】

 

 

 

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忘れえぬ神5 その3

2022-10-04 00:00:00 | (旧車)

その後譲渡の手続き登録も済み神5ブルーバードを引き取りに行く事になった

私がおじいさんの立場だったらどんな気持ちだろう

長い間苦楽を共にしていろんな場所に家族、仲間と過ごした月日

乗り越えたトラブル

それが今手元から離れようとしているのだから

手続きの済んだ書類を渡すと神5ブルーバードは譲渡された

更に体力の衰えた感のあるおじいさんは

『いい人に見つけてもらい いい人に引き取ってもらえて良かった』

と私達二人に再びあの言葉を掛けたが

自分自身に言い聞かせ諦める為だったのかもしれない

 

車体の他にスペア部品を一緒に頂く事となったのでその説明の為に

お宅の向かいにある車庫まで降りて来る事となった

酸素チューブを外しご子息の手を借りてなんとかクルマまで歩いてきた

エンジンを始動させようとまにまにカレチさんがイグニションキーを捻るが

掛からない

『私がやってみよう』

ご子息の手を離れ箱から何やら薬品のビンを出す

ガソリンかシンナーをエアクリーナーのキャブレーター空気取り入れ口に

直接ふりかける

このやり方は聞いていたが実際に目にするのは初めての事だ

驚いた事に急にさっそうとした動きとなり運転席に座りキーを捻り

始動を試みるとエンジンは見事に掛かった

さすが長年このクルマを維持されてきた方は違う、と唖然

その姿にご子息が

『目が輝いちゃっているな』と笑った

エンジンが温まるまでまだ時間があるがおじいさんは家に戻っていった

最後は見送るのか、と思っていたのだがそれも辛いか

振り返る事もなかった

そして数十年過ごした車庫から神5ブルーバードは去っていった

 

それから暫くして

おじいさんが逝去されたとの連絡があった

 

神5ブルーバードを引き取り初めての並び

 

その帰り道に神5ナンバーのRT20コロナと

 

【つづく】

(一枚目の写真を掲載するのは悩みましたがこのクルマの歴史や重みを考えて載せる事としました)

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忘れえぬ神5 その2

2022-10-03 00:00:00 | (旧車)

そして約束の洗車をする目的でお宅を再訪する事となり訪れたのだが

おじいさんの神5ブルーバードはキレイに洗車されていた

どういう事だ?

身ぎれいにされた姿で現れたおじいさんは

『洗車してもらうより走らせてもらいたいんだ』

その為に前日にご自身で洗車を済まされていたのだ

もうご自身では動かせられない愛車を走らせてあげたいその気持ちはよく分かる気がした

喜んでそのお願いを引き受ける事となりおじいさんの神5ブルーバードを

まにまにカレチさんが運転し助手席におじいさん

私はまにまにカレチさんが乗ってきたブルーバードを運転し後を走る事となった

コルトは敷地内に置いて近所の給油所へ向かう

燃料を補給しすっかり空気が無くなってしまったタイヤに空気を充填する

空気が減っていたバイアスタイヤもしっかりと充填されたがトランクのスペアタイヤにも

充填する事を忘れずに完了し再び2台のブルーバードは走り出す

 

熱海でブルーバードを運転させてもらっておいて良かった、と思い返す

といっても単身でブルーバードを運転するのは初めてなので内心はヒヤヒヤだったが

なんとか付いていく

 

 

 

 

 

 

 

 

広い場所で2台を並べて写真を撮ったりファミレスでコーヒーをご馳走になり

私の幼少期に見たこのブルーバードの思い出を話したりしながら

2台は走った

 

ご高齢のおじいさんをあまり長い時間連れ出すのは良くないかな、と思い

ドライブは終了となったのだが後になってもっと走らせてあげれば良かったかな、とまにまにカレチさんと

後から話したがとにかくおじいさんは楽しそうだった

きっと神5ブルーバードも久しぶりに走れて嬉しかったに違いない

私もいつか運転が出来なくなってもコルトを手放さずに置いておき

走らせてくれるという人が現れたら何よりも嬉しいと思うのだから

(あえて目線は入れないでおきます)

 

それから数か月したある日の事

携帯電話に知らない番号から着信があった

出てみるとあのおじいさんだったのだが

『ちょっと身体の具合が悪くなったのでクルマを手放そうと思うんだ 

 よかったらあなたが引き取ってくれないか』

あの時にまにまにカレチさんが「もしも手放す時は連絡を下さい」と話していたが

おじいさんは私が欲しがっている、と思われていたようで慌てて私ではなく

まにまにカレチさんの方なんですと、まにまにカレチさんにお話しをしてもらうように丁重にお断りをする

  お気持ちは嬉しいけど私には生涯の相棒コルトがあるので

ナンバーの希少性もあり過去に何件も譲渡依頼があったのだが全て断っていたのに

私達を選んでくれた

 

それからおじいさんとまにまにカレチさんの二人の間で譲渡の話しがまとまり

必要書類を持ちお宅に伺ったのだが歩くのも困難となったおじいさんの姿があった

手放すのは今で言う終活だったのだろう

同居するご子息(私より年上です)を交え手続きが進む

その時にこの地域の昔の話しやブルーバードが同僚から4年落ちで買ったお話しを伺った

『いい人に見つけてもらい いい人に引き取ってもらった』

おじいさんは別れ際にそう言って笑った

2013年の事だ

【つづく】

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忘れえぬ神5ナンバー その1

2022-10-01 00:00:00 | (旧車)

誰でも

・・・いや

クルマ好きの方なら忘れられない一台という存在があると思う

私の中でそんな1台があるとしたらあのブルーバードだ

子供の頃に偶然に出会い衝撃を受けたそのクルマが家から少し離れた所に駐車している事を知ったのは

それから数年後の事だった

古いクルマに見かける「横浜 5」でもなく「神 5」という更に古そうなナンバーを付けた

うす緑のブルーバードP312

 あの時のクルマだ ここに居たのか

それほど通る道でも無い場所だが以来その道を通り姿を見て存在を確認するのが楽しみとなった

私が成人となり歳を重ねてもそのブルーバードはいつもそこにいた

(2008年撮影)

それでもそのブルーバードの持ち主がどんな方なのか分からなかった

覚えているのはバスの中から走る姿を2回見かけただけだった

生まれ育った地域にある私のコルトより車体もナンバーも古いそのブルーバードに対して

ライバルのような思いもあったのかもしれない

 

まにまにカレチさんが同型のブルーバードP312を買った、と聞いて

あのクルマを当然のように思い出した

 家の近くに「神5ナンバーを付けたブルーバードがあるんですよ」と

話していていつか見せたいと思っていたが

その機会は意外にも早くやってきた

二人で熱海に行く事となり迎えに来てもらった際にそのクルマを見に行こう、となった

まにまにカレチさんが運転するブルーバードP312に乗りその場所を案内し

車内から目的のブルーバードを眺めていると隣の畑に老人が立ってこちらを見ていた

その方がブルーバードの持ち主さんだった

今まで何度も通ったがお会いした事は無かったのに

『同型のクルマなんて珍しいと思って見ていたんだ(笑)』

優しそうに微笑むその方の敷地に乗ってきたブルーバードを入れさせてもらい

お話しを伺い年季の入った神5ナンバーのブルーバードを見せてもらうと

車検は取っている、との事だったがホコリをかぶり動いている様子は感じられなかった

『年齢もあって免許は返納したんだ。だから走れない。それでも手放せないんだ』

誰にも私にも必ずやって来るその時を思った

私達は 大変失礼ですが今度来る時に洗車させてもらえませんか?と切り出すと

是非お願いしたい、と快諾された

 

連絡先を伺いおいとまし熱海へと向かったのがこの時だ

 

ブルーバードP312で熱海 - あのコルトを狙え

 

 

自分のクルマより古い個体を運転させてもらったが数年の技術の進歩を痛感

まにまにカレチさん あの楽しい熱海行からもう10年も経つのですね

【つづく】

 

 

 

 

 

 

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熱海ニューフジヤお泊りオフ

2022-07-06 23:39:16 | 熱海

先月の大島への日帰り旅行時に

「前は月1で熱海に泊まっていたのが信じられないね」

と話しが出た。

その頃の話しをしているともう遠い昔の出来事に思えてきた。

 

では久しぶりに熱海ニューフジヤホテルに泊まって飲んで遊びましょう!と

またまた安全体操さんとさまひさんでの企画となりました。

土曜日だと混雑するし翌日日曜日の帰路渋滞が激しいので

金曜日入り土曜日帰りにする。

さまひさんは

「仕事が終わってから直行すればギリギリ間に合うかもしれないが

間に合わないかも」

では土日にしようか、とすると

「静岡元気旅(県民割)を使えばクーポンも付くし夕食バイキングに間に合わなくても

元は取れるから金曜日で」

と金曜日入りとなった。

当日

コルトを軽く洗車して京急自動車専用道路を通り江ノ島へ出る

江ノ島経由を選ぶ理由は単に併用軌道を走りたい為だ。

意味もなく1往復(笑)

西湘バイパスが工事の為一部通行止め。その為国府津で降りて国道1号へ出て小田原へ

かつて長崎で出会ったこの電車が小田原に「帰ってくる」とは

   小田原市内線

早川駅構内の水銀灯は残念ながらLED化されていました(涙

すっかり変わってしまった熱海駅で安全体操さんと合流し

コンビニに行き神奈川県民でも使える「静岡元気旅」のクーポンを買おうと

海岸のローソンに行くも説明がよく分からず(汗

セブンイレブンに行きなんとか無事購入したがイマイチ分からないシステムでした。

5千円分を買えばいいのにあやうく倍の1万円分を買う所でした(汗

さて熱海市内を走り感じるのは

若い人が増えたという事

私達が熱海に通って(かよって)いた頃は今のようなV字回復する前の事

時の流れを感じます

ニューフジヤホテルに到着

 (内容を書く事は出来ませんが入口におられた係員のKさん 

     大変お世話になりました ありがとうございます)

今回のお部屋

いつもなら昭和39年建築の本館を選びますが今回は新しい別館を選択

いいお部屋でした。

バイキングは遅い18:20の時間を希望し風呂へ入り夜に備え軽く仮眠

そしてさまひさんは残業も無事逃れ定時に上がり18:00着

あぁ、全てはこの日の為に…

小生 3日間酒を断っておりました(笑

初めてニューフジヤホテルに行った時も食事には満足しておりましたが

さらに美味しくなっていました。

それでもこの料金で食べ放題、飲み放題で文句言う人っているんですよね

料金を考えましょう。

食べ放題に満足したので

夜の二次会は買っておいたサントリー角瓶と柿ピーで充分でした。

いろいろと昔話やそれぞれの業界の話しで夜は更けていく

半年前に神保町の書泉グランデで見つけお会いしたら渡そう、と温めておいた

プレゼント?を安全体操さんに渡したら想像以上の反応で嬉しく撮影↑ ↑ ↑

 翌日

ラドーの時計はまだあったのね

玄関前で記念写真

そしてあの旅館の松尾さんのお墓参りに向かう

さまひさん

「コルトに最後に乗ったのはもう4年位前になる」

シートを張替えてから初の乗車となりました。

ヘッドレストもシートベルトも無いクルマは実にシンプルで昔のタクシーのようです。

お墓を軽く清掃しお参りを済ませる

「セミの鳴き声がしない夏(さまひさん)」の晴れたお墓でそれぞれ松尾さんを想う

 

これからどこへ行こう?

久しぶりに熱海新道を登り思い出の玄岳ドライブインへ行ってみよう、となり

閉鎖されたニューアカオホテルを眺め熱海新道へ

熱海新道の急坂に挑むが、力が出ない!何故?

考えれば普段は1人か2名乗車での登坂では問題も無かったが

大人三名だとこうも違うのか!(汗

2速では止まってしまうので仕方なく1速全開!

しかも後ろから郵便車の軽トラが!なんとか先に行ってもらいました。

父から『1速三寸』と、動いたらすぐに2速へと教わり以来1速(ロー)で走るなんて事は無かったが

過去のブログねた「大いなる登坂」を思い出す。あれからもう12年か

熱海新道が廃れた理由の1つは新道入口の料金所までの旧坂だと改めて思います

途中で飲み物購入とエンジンを休ませる為に熱海自然郷で休憩

ここの自販機を逃すと伊豆スカイラインに行っても自販機ありません。

再び発進し熱海新道へ入ると路面と周囲の草木は更に悪化

「とても新道とは思えない。まるで廃道じゃないですか」

いや本当です。

クルマは無事に伊豆スカイラインへ入り熱海高原ロープウェイ駅こと

玄岳ドライブイン前へ到着

まだ西熱海ホテルがあった時以来に訪れる安全体操さんには

更に荒れ果てた現在の姿に衝撃を受けたようでした。

『だって皆さんと熱海へ訪れようになったきっかけは熱海高原ロープウェイの探索

きっかけだったんですよ。あの時はまだこんな状態じゃなかったじゃないですか…』

う、うん・・・

『観たくなかったぜ』 吐き捨てるように呟く姿が切なかった。

あの時から17年になるんですね。当時のブログを探すと今ほど荒れ果ててはなかった。

では行きましょうか、と乗り込むがエンジンが・・・

掛かりません。が、なんとか掛かって無事発進となりましたがあの場所で不動となってしまったらと

思うとヒヤヒヤでした。

週末の大観山スナックはお客も多くそこそこ賑わっておりました。

賑わっているとなるとクルマは多い

多いと後続車も多くなると軽いプレッシャーの中でターンパイクを降りる。

エンジンブレーキを併用せよ、との警告板があるのだが

3速に落とすとエンジンはかなりの高回転となってしまう訳で簡単には使えない。

それでもなんとか降りてきました。

後続車を先行させる為に停車させるとともにエンジンを休ませるために停車したのですが

帰宅後に振り返ると二人が乗ったこの写真がいい思い出になりました。

この写真を見てあの暑い日と約20年に渡る付き合いを振り返っています。

一週間経っても、楽しかったなぁと。

 

 

 

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ドライブイン「歌の茶屋」

2022-05-22 23:12:18 | 60年代

さまひさんと熱海高原ロープウェイ探索時、遠くに大島が見えた。

それを見て「(あぁ、あそこにもくせい号が・・・)」

と思ったと同時にさまひさんが『あそこにもくせい号が』と口にした。

二人して同じ事を思ったんだね、と驚いたのはもう17年も前になる。

 

先日、水中翼船の話題となり話していた所にタイミングよく

東海汽船のジェットフォイルが20年を迎えた記念に久里浜港から

大島までジェットフォイル往復、島内バス観光、食事付きで格安の¥9,000という

ツアーを見つけさまひさんと安全体操さんの3人で本日行ってきました。

普段は東京湾フェリーの乗船口「久里浜港」からフェリーボートを横目に乗船。

船内は「海のジェット機」と呼ばれるのも納得で速さも普通の船と違い速い速い!

1時間位で大島に到着し観光バスに乗り込み島内巡りとなりました。

バスは三原山山頂へと到着し昼食となり食堂に足を踏み入れるとそこは・・・

ドライブイン「歌の茶屋」外観

「バターまんじゅう」や椿油の看板が目に入り心拍数が一気に上昇

床がもくせい、いや木製だ

ショーケース、天井!

 

↑の画像の中に令和どころか平成なものが見えない!

こんな湯沸かし器を見たのは何十年ぶりだろう?!

このイス!床!テーブル!

激しい動悸を抑えようとトイレに行こうとするも・・・

こ、これは!無くなってしまった白浜フラワーパークドライブインで見かけたような・・・

旅行会社の協定看板(って言うの?) このうち現存する会社は・・・

食事はこんな感じ

「明日葉を練り込んだ蕎麦と地魚や天ぷらの付いた『あしたばそば定食』」

ジェット船往復と観光バスが付いて¥9,000だから適正な価格というかお得。

味はリアルな昭和の団体旅行の食事、という感じでこれも味わいです!

(余談となりますが個人のお客さんが食べていた「ざるそば」のせいろが

 丸く赤いプラスチックのせいろ、でこれまた懐かしく感動最近見ません

(真ん中のテーブルにあるやつね👆)

古い柱時計があった

新築記念だそうですが年季が入ってます。寄贈されたお店はまだあるのかな。

この部屋でうたた寝をして

目を覚ましたら本当にタイムスリップを

したのでは、と錯覚することでしょう。

隣の団体さんが出て行ったあとですが奥のカウンターが気になります。

昔は違う使われ方をしていたのかな

どこを見ても味があり過ぎます

窓からの眺め

飛行場が見えました。

私のアパートは横浜なのですが日中に調布の飛行場から行き来する小型機が

ほぼ真上を飛んで行くのですがここに降りているのか。

いつか調布からの飛行機で上空から自分のアパートを見てみたいと長年夢見ています。

その窓に

もうこういうのにもいちいち反応してしまいます!

 いいです!最高です!(勝手に字を足して彩雲四号車に…)

 お土産コーナーで1枚100円だったら買います!

昔の冷房でしたっけ?

これも見かけないです

冷房機の裏には階段があります

あぁ、階段の先が気になる!

御土産コーナーも懐かしいペナントも売っていましたが

西部警察のような書き方の「記念バッヂ」

いつか個人旅行でノンビリと訪れ飲んだくれたい名店です!

この日は「クアッド」を控えてか警察官やパトカーを見かけました。

日帰りの短い旅でしたが久しぶりに充実した1日となりました。

観光バスのツアーも楽しいと改めて思ったので今度は地元横浜か都内はとバス観光も

してみたい。

【終わり】

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東急ターンパイク2022 その2

2022-05-18 16:37:08 | 60年代

開通当初から20年程前には歩道橋下に料金収集所が存在し信号機も残っていましたが

今は何もありません。

料金徴収所後は1車線対面通行となっています。

最近かつてとは違う個所に料金所ボックスが設置されたようです☟

 

しかし今回入手した開通当初のパンフレットによると

 

未成線かと思われていた下の画像右側草地部分には

 

 

【拡大】☟

 

料金徴収所ゲート上の時計、蛍光灯、安全島?のガードと、この時代特有の料金所といった雰囲気に溢れています。

右のH30セドリックはタクシーかな?

それよりも未成線ではなく緑地上には当初車道とゲートがあった事が判りました。

【拡大】

それではこの周辺に往時の痕跡が無いか、歩いてみました。

歩道橋下と補修個所

どれかが時計の跡なのかな

小田原方面を望む。

左駐車場から本線への出口の造りがちょっと不自然です。

奥(小田原川)から伸びているコンクリート壁がゲート、車線減少の為後付けのコンクリで曲がっています。

 

奥のガードレール支柱には後付けのカバーが被せられ

手前(熱海側)現行の道路に沿わせガードレールがカーブしていきます。

手前下の丸い穴は奥と同じガードレール支柱跡

画像では分かりづらいですが照明支柱の跡でしょうか。

 

 

その個所からかつての料金徴収所ゲートを望む

コンクリート遺構を真っすぐに伸ばすと廃止されたゲートにピッタリ。

遺跡を発見したように1人興奮しておりましたとさ(苦笑)

 

以前から撮影個所が分からないこの写真

週刊サンケイ1000万人の乗用車1966年秋号での眺め

クルマは日産レンタカーのブルーバードP411 2ドアスタンダードですが

歩道橋からの撮影かと思いましたが違うようで

同じ個所にクルマを停めたいと思いましたが今は公園となっており乗り入れ不可。

画面左の望遠鏡付近でしょうか。スナックの中から撮影されたのかもしれません。

 

開通当時の面影を残す階段

この石も当時からのものでしょう

 

 

以上、東急ターンパイク大観山スナックの痕跡探索レポートでした。

 

【オマケ】

ドラマか何かの撮影中でした。BMW X3でしょうか?

奥には劇用覆面パトカーもおりました。

【追記】

撮影はTBSドラマ「インビジブル」でした。

偶然にも今期唯一観ている連続ドラマが「インビジブル」なので

運転席に高橋一生さんらしき方が乗っていたのですが

断定出来なかったのですが第5話に出てきました。

上の写真のトラックが劇中、道路を塞ぐトラックで

上から13枚目のガードレール画像に写っている黒のトヨタカムリが

劇中、覆面パトカー三台目の車列にいたクルマでした。

実際には横浜ナンバーのレンタカーです。

ロケに遭遇出来て良かったです。

 

 

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東急ターンパイク 2022

2022-04-22 23:03:36 | 60年代

何度か取り上げている箱根のドライブウエイ「箱根ターンパイク」

イメージとしては早いスポーツカーがロケットみたいにすっ飛んで行く道路で

遅いクルマがいては大迷惑なのでは、と思い躊躇する。

平日の昼頃ならばそんな事も無さそうなのでドライブに行ってきました、その記録です。

早川駅近くの入口

よく見ると高架のガードレールが異なっています

 

週刊サンケイより

開通当初は小田原厚木道路をと繋ぐ道が未完成で開通した名残です。

ネーミングライツは今「アネスト岩田ターンパイク箱根」となっています。

料金所は片側2車線で4レーン。

この時は下り側の料金所で徴収されたのですが初めての事でした。

この道で4レーンの料金所は多い気がしますが開通当時は多くの自動車に対処出来るようにとの

考えだったのでしょうか。大観山側は2レーンなのに?

(ここに今回の目的があるんです)

速そうなクルマが通り過ぎた後を狙い2~3速全開で登坂開始!

スロットル全開~!にしても実際の速度は40キロ

常にバックミラーを注意し後続車が来たら道を譲るつもりで走ります。

幸いな事にこの日ロケットみたいなクルマは来ませんでした。

いつも気になるこの道路↓

かなり立派な造りですがクルマや人が通っているのを見た事がありません。

 

終点手前の展望台で小休止

エンジンを冷やす為にボンネットを開けているのですが

傍から見たらエンコしているかのようです。

『あんな古いクルマで来るから~』

と思われているのではと気になるのですが

これをやるかやらないかで始動性がまるで違います。

開業当初のパンフレットより

写真を撮れませんでしたが現在は道路の照明が減っているかと。

2006年に訪れた時は「ドライブイン大観山でした」

現在はアネスト岩田スカイラウンジ

そして開業時は

「大観山スナック」

 

今回はこのパンフレットを片手に往時を偲びたいと思いやってきました!

しかしレンズの違いかパンフレットと同じ角度で撮る事が出来ませんでした。

さらに言い訳をさせてもらえば強風でパンフレットが破損する恐れがあり対比しながら、と

いう事が出来なかったという

当時の建築学の粋を集めた設計なのかカッコいいです!

昔はこの正面に入口らしきものがあったのですね

あぁ、右側が切れているじゃん 見事に対比失敗…

 

【スナックのご案内】

一階にはゲーム場もあったとの事だ。

太閤出世そばコーナーというのは土産のソバなのか、その場で食べるソバなのか

とりあえず往時を偲び現在の軽食コーナーでかき揚げソバを頂きます(900円)

気になるのは「ビール180円」

 値段ではなくドライブインでアルコールが販売されていたのに時代を感じます。

1階売店コーナー

手前のチウインガムのケースが泣かせます。

そして現在

喫食スペースとなりました。

それでも

天井の蛍光灯や板は当時のものか古いです

【つづく】

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離職者が止まらない

2022-04-21 12:52:47 | HOTEL

ホテルの離職率は高いと言われていたのですが

コロナ禍でその率が2年前の2~3倍に増加しています。

若い層が次々と去っていき残る正社員は40代中後半以降で30代は壊滅。

辞める理由はいろいろあるが一番はもちろん賃金。

他の業種より給料が安いけどなんとか今までボーナスも出ていたから

まぁいいか、だったのがボーナスも雀の何とかの小遣い程度

そりゃ辞めますよね 私も20代なら絶対に転職してます!

30代のいない会社はブラックと言われますが納得。

どこの会社も同じですが給料以外にもいろいろな事があり

辞めたい、と言われたら辞めて欲しくないけどこの会社にいてはダメだから

と「その方がいいよ」と涙で見送ります

 

前所属のハウスキーピングで過ごした時期やコロナ禍でスポーツクラブ休業時に

ヘルプで戻った時代にお世話になったハウスキーピングの若いスタッフが皆さん辞めてしまいました。

事務所の前を通る時や用があって訪れる時には仲良しだった仲間はもうみんないません‥‥

そしてハウスから別の部署に異動したスタッフも去りました

こんなおじさんと楽しく遊んでくれて本当に楽しかった仲間でした。

 

【思い出】

ヘルプ時代にインチャージ席に座っていると女子が二人近づいてきて

「私達、彩雲さんがヘルプに来てくれる前から彩雲さんの事知っていたんです~ねぇ」『ねぇ(笑)』

え?なんで??

「社内研修の時! (資料を読み上げた時の)声で! ウチの会社にはいない声だ、って

話していたんですよ(笑)」

そういえば私は電話の時や説明する場合に落ち着いて話すと普段とは声が変わる

昔から自分の声は嫌で嫌で仕方が無かった。ドアマンの頃は通りやすい声を出していたのだが

その後ハウスに行った際にも当時の女子から『声』の事は同様に言われていた。

 

あ、ああ。電話だとかしこまってしまうからね 

と、そんな時にお客様から入電!

「はい、〇〇様ハウスキーピングでございます」

女子二人『ヒュゥ~

よせやい(笑)

 

コンプレックスを無くしてくれた楽しいスタッフも想い出の中に・・・

 

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酒を買いに対岸まで

2022-03-08 23:49:28 | Weblog

3月8日

140コロナさんと休みが合ったのでドライブがてら対岸の千葉まで

酒を買いに行く事にする。

酒とはもちろん腰古井の二級酒の事だ。

最近コルトは全く走らせていなかったがエンジンは一発で始動。

千葉へ渡るにはなんとかラインではなくマイカー族にとっては

海のハイウエイと呼ばれる東京湾フェリーを使う。

10:20 久里浜発

乗るだけで何故か楽しい東京湾フェリー

40分ほどで対岸の金谷港に到着

 

下船して、ちょっと寄り道をします。

今では珍しくなった背面板が付いた信号機がお出迎え

鋸山ロープウェイは検査の為に休止中でした。

ここの駅舎、改装前は60年代の雰囲気がありましたが今は普通の駅舎内となってしまいました。

次は車を置いてロープウェイにも久しぶりに乗りたいです。

さて、最近コメントを頂いたT.Aさんの思い出の宿

「鋸山観光ホテル」はどうなっている?と気になっていました。

車内からの画像ですが・・・

 

 

すっかり取り壊され新たに宿泊施設のようなモノを建設中でした

多くの人の夏の思い出を秘めた建物も無くなって…

凪のお暇ならぬ夕凪の間、という名前がステキ

どんなドラマがあったのでしょう・・

 

引き返しニコニコドライブインに向かいました。

念願の天ぷら定食をやっと食べられました!

フキノトウの天ぷらなんて贅沢です。季節を感じさせてくれるのが嬉しい。

いつか車ではなく来てみたい。ここでビールと酒を飲んだくれるのが夢。

電車で来て歩くかタクシーでしょうか。

そこから国吉へ向かいスーパー源氏で総菜と腰古井を買いました。

帰りには

大多喜の丸石油にて給油。まだ出光化されていませんでした。

出来る事ならシェルのままでいて欲しい。

さて金谷港に戻ります。

金谷港乗り場の切符売り場は数年前に改装されました。

その際に京浜急行の運賃案内や名所案内板も変わってしまいました。

レトロな案内板をここで見るのが好きだったが何故か写真を残していなかった事を後悔。

 

唯一撮っていたのが(ピンボケ)こちらだけ。

川崎レジャーセンターって何だったのでしょう?検索しても出てきません。

それにしてもいつも「今度ちゃんと撮ろう」と思い撮影しなかったのは何故?

    いつまでもあると思うな古きモノ

何故かタグボート?が併走していました。

いつか旧車数台で東京湾フェリーに乗り込みたい。

 

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ブレーキでした

2021-12-14 11:44:35 | 三菱コルト1100

トラブルは左側から異音がする、というものでした。

走行中にシャー、とかゴー、とかの音が左に壁やガードレールがあると反響してきたのです。

クラッチを切っても変化なし。当初はブレーキペダルを軽く踏むと音が消えていたのですが

しばらくすると踏んでも変わらなくなる。

村山自動車さんに持ち込み同乗してもらい軽く走り

「ブレーキみたいだね」となりジャッキアップし左前輪を手で回すと引っかかる。

ドラムのカバーを外すと部品が外れて落ちてくる

(自分で外してみよう、なんてしなくて良かった【汗】)

シューを固定するピンが折れたのか外れて無くなっていました。

因みに以前にブレーキホースを作製して頂きましたが

その時は前輪ブレーキを村山さんではバラシておりません。

手持ちのピンで使えるのがないか、代用出来ないかその場で手を尽くしてくれましたが

見つからずお預けする事となりました。因みに当然製廃です。

(↑ 18番の部品です)

私も実家に戻り物置に25年以上前に廃車から外した部品にあったような

無かったような記憶をたどり捜索するも見つからず。

しかしその夕方に代替え品を加工し取り付け修理終わりましたとの連絡が!

早い!

お話しによると一つのスプリングだけ固いものが入っており右をバラしていると

そちらは普通の固さ。いつかどこかの修理で付けたそのスプリングが固く破損したのでは?

スプリングは削り負荷が掛からないようにして下さいました。

ありがとうございました(涙)

引き取りエンジンも快調に回り帰途に着く。

都内の環八通りを南下し信号待ちをしていると

『治ったんですかー?』と外から声が?

右を見ると隣の車線の白いBMWの運転手さんが

『ブログ見てますよ~!』とスマホの画面を向け見せてくれたのは前回の投稿!

『村山自動車さんの帰りですか』

な、な、なんとブログを見て下さっている方でした!!

イベント以外で声をブログ見てます、と声を掛けられたのはたぶん初めてで

嬉しさのあまり「ありがとうございます」と答えるのが精いっぱいでした。

あの時の沼津ナンバーのお兄さん 

本当にありがとうございました!とても嬉しくてそれからの帰り道は更に快適でした。

 

さて・・・人生最大の失敗ネタを書こうと思うもバ〇過ぎて書けません・・・

 

 

 

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その帰り道

2021-12-04 01:00:02 | (旧車)

横浜ヒストリックカーデイが無事終了し(今年も崎陽軒の弁当を買えなかったが)

帰路は三菱ミニカ360のマチイさんと途中まで一緒に走る事となった。

すっかり日も暮れて夕焼けのキレイな日でした。

横浜税関を通り過ぎた頃バックミラーに見慣れない車が写った。

会場で写真を撮りたかったが常に人だかりが出来ていて撮れなかったヤヌスだ!

慌ててスマホのカメラを向けたのでピンボケ、税関のクイーンの塔が切れてしまった。

ライトアップされた建物の雰囲気と相まって異国のような雰囲気だった。

そしてその後

ミニカとコルトの脇をBMWイセッタ、メッサーシュミットが連なって走る。

夕暮れの横浜開港資料館ジャックの塔との組み合わせに夢をみているかのような世界だった。

右折して走り去って行きましたが最後にいいものを見せて頂きました。

その後私達は鎌倉街道を南下し弘明寺交差点で停車をすると

左に先のBMWイセッタが!後ろに羽根ミニカ。

信号待ちだったので車を降りて撮影。この場所はかつての横浜市電弘明寺電停付近。

路上なのにコルトに運転手がいないのを見て誰もが、おそらく9割の方はジャンボーグA(エース)の

20話の場面を再現したのか?と思った事でしょうが違います。

(残り1割の方はこちらをご覧ください。6:55辺りからです)

BMWイセッタが走る姿をコルトの車内から見られてラッキーでした。

その後まちいさんのミニカとコンビニで並べて写真撮影会。

隣にデボネアがいたら更に良かったなぁ

このテールレンズがいい!!。

まちいさんと別れて無事に帰宅。

左からの異音が心配でしたが参加出来て良かったです。

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横浜ヒストリックカーデイ2021

2021-11-27 00:45:27 | (旧車)

遅くなりましたが横浜ヒストリックカーデイに行ってきました。

今回指定された駐車?場所はブルーバードP411さんの後ろでしたので話しやすくて助かりました。

数日前にタイヤをデッドストックのバイアスタイヤ「スカイウェイH」に変えたばかり。

細部やパターンを撮ってくるのを忘れました。いすみ鉄道の夏は楽しかったですね~。

 

ダッシュボードやリヤトレイには今回も「ダッシュボード劇場」のステキな世界が展開

「出雲」「松江」のドライブガイドですか

 

ブルーバードP410ですが高性能のSSS。速いんでしょうね

 

彩雲号の隣はホンダシビック。で、その隣に三菱ミニカ360がおりました。

何故三菱同士で隣にならなかったのが最大の謎

会場に着いた時に見当たらなかったので今年は不参加?かと思いきや特別枠のようで赤レンガ倉庫の真ん前の角というベストな場所におられました。

言わずと知れたトヨペットクラウンRS41!

希少な初期型ゆえの涙目テールはずっと見ていられます。

 

 

車高も落とさずなどノーマルなのが嬉しいです。

そして本部前に鎮座さされておられたのが・・・

プリンスグロリア6ワゴン。電光ナンバーに珍しくなった品川57ナンバー。

 

いい色です!

中の座席もビニールレザーでスタンダードな雰囲気もあり

タイヤもバイアスです。オーナーさんに色々聞けて楽しかったです。

 

オースチンA50のナンバーが凄かった!地名無しの東京ナンバーです。

意外にもタイヤが大きく15インチでした。

 

同じ年式だと分かったカローラ1100

どうやったらこの新車のような状態を保てるのか・・・

いや~・・・

同じ1100CCですが売れた車は違うという事を痛感した整備性の良さそうなエンジンルーム

 

コルトをそのまま縮小したようなフロントグリルが泣かせる三菱ミニカ360

 

あぁ~、隣に並べたかった!なぜ一台置いてコルトだったのかが【略】

いろんな方に見て頂きました。

ブログ見てます、という方も来て下さり嬉しかったです。

でもその時に「次回のブログは~」とお伝えしたのですが横浜ヒストリックカーデイに

なってしまいました。予定していた内容が人生最大な失敗なので保留です。

 

さて、そのお会いした方の中で熱心、というか懐かしそうに撮影される方がおられたので

「車内も撮りますか?」と声をお掛けしたところ

私の大好きな

『昔、親が乗っていました』

おお~!来た来た!待っていましたよ!そんな方!

じゃあ後ろ席に乗っていたんですか?

ほぼ強引に「では後ろに乗ってみません?」と後席のドアを開けて車内へ。

『うわ、懐かしい~!そうそうこの四角いラジオの見え方!』

お話しを伺うと3人兄弟で後ろ席で大暴れだったそう。

それ私と全く同じじゃないですか(涙)

既にお父様は他界されているとの事ですが

『父も生きていたら喜ぶと思います。さっそく兄弟にこの写真を送ります』

その後、写真を見たご兄弟はどう思ったかなと今でも気になっています。

コルトはあまり多く売れた車ではないので「昔乗っていた」方に出会う事は

あまりありません。だからたまに巡り合うそんな方に出会えるのが嬉しいのです。

 

さて、ブルーバードP411さんと同様に私のダッシュボード劇場は

子供の頃にコルトに積んであった横浜市内地図。もうボロボロですが私もこの地図を読むのが大好きでした。

コインホルダーには首都高¥150時代の領収書と横浜新道の領収書と伊藤博文の千円札

父のショートホープに復刻版のロッテジューシーフルーツガム。

皆さん覗き込んで懐かしそうに見てくれていました。

横浜ヒストリックデイの楽しさは普通の旧車イベントと違って車目当てで来た方よりも

普通に観光で赤レンガ倉庫地区に来た方々が多いので雰囲気が違います。

彩雲号はこの時にちょっと不調を抱えておりましたが無理して来て良かったです。

コロナ禍の中に開催を企画して下さった関係者の方々に感謝です。

 

 

 

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投稿1000回記念!に合わせてトラブル発生でエンコの巻(涙)

2021-11-05 13:21:01 | 三菱コルト1100

お陰様で小生のブログも1000回の投稿となりました。

初期の投稿を見ると恥ずかしくなる事もありますが

それでも書いておいて良かったなと懐かしくなります。

いろんな所に行って残した記録もあれば

書こうと思いながらも面倒くさくなり埋もれてしまった事も

多くあり残していく事の大切さを感じます。

 

さて、タイトルにもありますように久しぶりにコルト1100トラブル発生です。

先日の事です

都内から帰り実家の駐車場に入れようとしたのですが

ガソリンの5円割引があり近所の給油所に立ち寄りました。

給油を済ませてキーを捻るもパイロットランプは点きますが

スターターの音がしません。

マズい(汗)

ボンネットを開けて今までのトラブル経験を総動員で思い出し点検するも状態は変わらず。

とにかく落ち着こう、と冷静に対処する事を念頭にします。

昔なら給油所なので点検、修理が出来て安心するのですが

現代の給油所はそうもいきません。

スタンドマンにトラブル発生を告げご迷惑をお掛けする事をお詫びします。

たぶんセルモーター本体だろうから工場へ持ち込みとなるだろう。

東京海上日動保険会社さん手配のロードサービスが到着しましたが

ここでの復帰は不可能と判断。

ブレーキ修理作製でお世話になった三鷹市の村山自動車さんに架電。

夕方に突然電話し持ち込んでいいか、なんて伺うのもためらったのですが

村山自動車さんは優しく聞いて下さり「うん、うん。いいですよ」と

と到着は遅くなるだろうに受け入れをしてくれました。

いつもこちらが不安になり相談すると優しく対応して安心させてくれる。

あらためていい人だなぁ、と目頭が熱くなっている所に

先ほど待ち時間にLINEした140コロナタクシーさんが登場!?

心配して観に来てくれました。

更に積載車で遠く離れた村山自動車さんまで行こうと思っていたら

ロードサービスの方から『今は積載車の同乗は禁止と保険会社様から固く言われておりますので』

という事となり唖然とすると

140コロナさんが「ではコロナで送って行きますよ。帰りも大変でしょうから」

その瞬間ムラヤマ自動車さん140コロナさんの優しさに鼻の奥がジーン、となり

目頭も熱くなった。

別の友人から「彩雲さんはいろいろな事に恵まれていますよ」と

言われて考える事があり改めて私は幸せものだな、と痛感。

雨の中、前を走る積載車に乗るコルトの後ろ姿を拝みながら140コロナに

乗せてもらいムラヤマ自動車さんに到着した。

ムラヤマ自動車さんも『たぶんセルモーターだね』と予想されコルトを預かってもらい

再び140コロナで引き返す。

普段なら運転を変わる所なのだがとても運転する気になれず後部座席に収まっていました。

アパートまで送り届けてもらい走り去る140コロナの後ろ姿。

人の優しさを身に沁みて感じ見送りました。

翌日の事

布団に入っていたらふと思い出した。

給油所で止まる前にエンジンを掛けた最後の場。第三京浜SAでキーを捻ったら

最後に「チュリン♪」と今まで聞いた事が無い音がして違和感があったのだ。

あれがスターター最後の音で何かの原因だったのだろう。

その後連絡があり

バラシた写真があり

経年劣化で破損。スターターのリペアキットにも入っていない面倒な部品のようです。

リビルト品も無いとの事。

あ、思い出した。今から30年程前に父がスターターを分解修理した際に

「本来は2つある内の1つで支えているからまた壊れるかもしれない」と

警告されたんだ。

それからしばらくはスターターを見つけたら手に入れなくてはなぁ、と思っていたが

忘れていた。

部品取りのコルトは

エンジン下部に付いていたスターターは見た目の外見が

劣化しており「これも外して」と言うものはばかられてそのままスクラップ…

あぁ、これなら外してもうらんだった。中の部品は使えたかもしれないのに(涙)

しかしムラヤマ自動車さんは電装屋さんに問い合わせ当時の部品をかき集めてもらい

作製してもらったそうで修理無事完了と連絡がありました。

これで来週11月13日に開催される赤レンガ倉庫のイベント

横浜ヒストリックカーデイ10thに

今年も参加出来ます。

横浜ヒストリックカーデイ 10th|イベント|横浜赤レンガ倉庫 (yokohama-akarenga.jp)

 

その後の報告が書いておりませんでしたが

夏にハンドルのリングホーンが外れた件です。

リングホーンの取り付けにはハンドル中央のナットを外さなくてはならないのですが

十字レンチを使っても外れません。無理に力を掛けると壊れそうでいろいろ試しました。

父が生前の残しておいた延長用の鉄パイプ(レンチを延長しテコの力で外す)も

無意識に捨ててしまったようで今になり後悔。

困った時の「タイヤセンター戸塚」さんにお願いすると

不在だったがスタッフさんに伝えておくから持ち込んで、との事。

エアーツールでいとも簡単に外して下さいました。

リングホーンの接合部3つのネジをはめなおしていると

タイヤセンター戸塚のご主人が帰還。

いろいろ話して締め直してもらい作業代金を支払おうとすると

「外しただけで料金取っていたらウチは今頃ビルが建っているよ(笑)」

本当に私は恵まれているんだな。

タイヤセンター戸塚さん ありがとうございました。

 

滅多に更新も無く 旧車乗りからすると役に立たないネタばかりのブログですが

皆様今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

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東京オリンピック1964 コカ・コーラ

2021-10-10 23:47:51 | Weblog

子供の頃私の家では滅多にジュースやコーラを買ってもらえませんでした。

もっとも冷蔵庫に常備されていなかった、という位でたまには買ってもらえました。

 

父はあまり、というか殆ど酒を飲まなかった。

月に一度程度のすき焼き(豚肉)や餃子の時にキリンラガーの大瓶を一本飲む位だった。

 

元々は飲める口だったが家のローン等生活があり控えていたようで

定年近くなってからほどほどに飲むようになっていたが。

 

月1のキリンラガー時に私達子供はコーラを1Lビンで兄姉の三人で飲むのだが

「お父さんもコーラ飲まない?」と勧めても

『いや、いらない』と素っ気なく断られ決して飲もうとしなかった。

子供にしてみれば「なんでこんなに美味しいものを飲まないのか」が

理解出来なかった。

キリンビールの王冠の裏(昔はコルクが貼ってあった)やビールの泡を舐めさせてもらう

と苦くてと『大人は何が楽しいのか?』と不思議だった。

 

それでも何度か「コーラ飲まない?」と聞いても飲まなかった。

ある時に何で飲まないのか?と聞くとその理由を答えてくれた。

 

父はNHK職員だった。

「東京オリンピックの時だ。出来たばかりの(NHK)放送センターには

オリンピックの協賛企業だったのかコカ・コーラから『皆さん自由に飲んで下さい』と

コーラが大量に置いてあった。でも冷房も無い所にドン、と置いてあるだけで冷えてないわけ。

放送局にはクーラーがある、と思われていたようだけど放送局の冷房施設は

放送機器を冷やす為にあるので職員の為じゃなかった。

夏が終わった時か秋だったかまだ暑い時に初めて置いてあったそのコーラを

飲んだら生ぬるくて飲めたものじゃなかった。なんだこれ?色からして醤油なのか?

と思った位だ。それ以来コーラを飲んだ事はない』

 

子供心には「コーラ飲み放題」が羨ましかったが『生ぬるい』コーラを想像すると

父の気持ちも分る

その話しを聞いてからコーラを薦める事はありませんでした。

今年のオリンピック選手村でコカ・コーラの自販機の値段が高いと話題になった時に

父のコーラの話しを思い出した。

今日10月10日は昭和39年の東京オリンピックの開会式でした。

右の組織委員会報は先日、古本屋で見つけました。

せっかくなので10日の予定だけでも載せてみます。

 

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