あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

投稿1000回記念!に合わせてトラブル発生でエンコの巻(涙)

2021-11-05 13:21:01 | 三菱コルト1100

お陰様で小生のブログも1000回の投稿となりました。

初期の投稿を見ると恥ずかしくなる事もありますが

それでも書いておいて良かったなと懐かしくなります。

いろんな所に行って残した記録もあれば

書こうと思いながらも面倒くさくなり埋もれてしまった事も

多くあり残していく事の大切さを感じます。

 

さて、タイトルにもありますように久しぶりにコルト1100トラブル発生です。

先日の事です

都内から帰り実家の駐車場に入れようとしたのですが

ガソリンの5円割引があり近所の給油所に立ち寄りました。

給油を済ませてキーを捻るもパイロットランプは点きますが

スターターの音がしません。

マズい(汗)

ボンネットを開けて今までのトラブル経験を総動員で思い出し点検するも状態は変わらず。

とにかく落ち着こう、と冷静に対処する事を念頭にします。

昔なら給油所なので点検、修理が出来て安心するのですが

現代の給油所はそうもいきません。

スタンドマンにトラブル発生を告げご迷惑をお掛けする事をお詫びします。

たぶんセルモーター本体だろうから工場へ持ち込みとなるだろう。

東京海上日動保険会社さん手配のロードサービスが到着しましたが

ここでの復帰は不可能と判断。

ブレーキ修理作製でお世話になった三鷹市の村山自動車さんに架電。

夕方に突然電話し持ち込んでいいか、なんて伺うのもためらったのですが

村山自動車さんは優しく聞いて下さり「うん、うん。いいですよ」と

と到着は遅くなるだろうに受け入れをしてくれました。

いつもこちらが不安になり相談すると優しく対応して安心させてくれる。

あらためていい人だなぁ、と目頭が熱くなっている所に

先ほど待ち時間にLINEした140コロナタクシーさんが登場!?

心配して観に来てくれました。

更に積載車で遠く離れた村山自動車さんまで行こうと思っていたら

ロードサービスの方から『今は積載車の同乗は禁止と保険会社様から固く言われておりますので』

という事となり唖然とすると

140コロナさんが「ではコロナで送って行きますよ。帰りも大変でしょうから」

その瞬間ムラヤマ自動車さん140コロナさんの優しさに鼻の奥がジーン、となり

目頭も熱くなった。

別の友人から「彩雲さんはいろいろな事に恵まれていますよ」と

言われて考える事があり改めて私は幸せものだな、と痛感。

雨の中、前を走る積載車に乗るコルトの後ろ姿を拝みながら140コロナに

乗せてもらいムラヤマ自動車さんに到着した。

ムラヤマ自動車さんも『たぶんセルモーターだね』と予想されコルトを預かってもらい

再び140コロナで引き返す。

普段なら運転を変わる所なのだがとても運転する気になれず後部座席に収まっていました。

アパートまで送り届けてもらい走り去る140コロナの後ろ姿。

人の優しさを身に沁みて感じ見送りました。

翌日の事

布団に入っていたらふと思い出した。

給油所で止まる前にエンジンを掛けた最後の場。第三京浜SAでキーを捻ったら

最後に「チュリン♪」と今まで聞いた事が無い音がして違和感があったのだ。

あれがスターター最後の音で何かの原因だったのだろう。

その後連絡があり

バラシた写真があり

経年劣化で破損。スターターのリペアキットにも入っていない面倒な部品のようです。

リビルト品も無いとの事。

あ、思い出した。今から30年程前に父がスターターを分解修理した際に

「本来は2つある内の1つで支えているからまた壊れるかもしれない」と

警告されたんだ。

それからしばらくはスターターを見つけたら手に入れなくてはなぁ、と思っていたが

忘れていた。

部品取りのコルトは

エンジン下部に付いていたスターターは見た目の外見が

劣化しており「これも外して」と言うものはばかられてそのままスクラップ…

あぁ、これなら外してもうらんだった。中の部品は使えたかもしれないのに(涙)

しかしムラヤマ自動車さんは電装屋さんに問い合わせ当時の部品をかき集めてもらい

作製してもらったそうで修理無事完了と連絡がありました。

これで来週11月13日に開催される赤レンガ倉庫のイベント

横浜ヒストリックカーデイ10thに

今年も参加出来ます。

横浜ヒストリックカーデイ 10th|イベント|横浜赤レンガ倉庫 (yokohama-akarenga.jp)

 

その後の報告が書いておりませんでしたが

夏にハンドルのリングホーンが外れた件です。

リングホーンの取り付けにはハンドル中央のナットを外さなくてはならないのですが

十字レンチを使っても外れません。無理に力を掛けると壊れそうでいろいろ試しました。

父が生前の残しておいた延長用の鉄パイプ(レンチを延長しテコの力で外す)も

無意識に捨ててしまったようで今になり後悔。

困った時の「タイヤセンター戸塚」さんにお願いすると

不在だったがスタッフさんに伝えておくから持ち込んで、との事。

エアーツールでいとも簡単に外して下さいました。

リングホーンの接合部3つのネジをはめなおしていると

タイヤセンター戸塚のご主人が帰還。

いろいろ話して締め直してもらい作業代金を支払おうとすると

「外しただけで料金取っていたらウチは今頃ビルが建っているよ(笑)」

本当に私は恵まれているんだな。

タイヤセンター戸塚さん ありがとうございました。

 

滅多に更新も無く 旧車乗りからすると役に立たないネタばかりのブログですが

皆様今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京オリンピック1964 コカ・コーラ

2021-10-10 23:47:51 | Weblog

子供の頃私の家では滅多にジュースやコーラを買ってもらえませんでした。

もっとも冷蔵庫に常備されていなかった、という位でたまには買ってもらえました。

 

父はあまり、というか殆ど酒を飲まなかった。

月に一度程度のすき焼き(豚肉)や餃子の時にキリンラガーの大瓶を一本飲む位だった。

 

元々は飲める口だったが家のローン等生活があり控えていたようで

定年近くなってからほどほどに飲むようになっていたが。

 

月1のキリンラガー時に私達子供はコーラを1Lビンで兄姉の三人で飲むのだが

「お父さんもコーラ飲まない?」と勧めても

『いや、いらない』と素っ気なく断られ決して飲もうとしなかった。

子供にしてみれば「なんでこんなに美味しいものを飲まないのか」が

理解出来なかった。

キリンビールの王冠の裏(昔はコルクが貼ってあった)やビールの泡を舐めさせてもらう

と苦くてと『大人は何が楽しいのか?』と不思議だった。

 

それでも何度か「コーラ飲まない?」と聞いても飲まなかった。

ある時に何で飲まないのか?と聞くとその理由を答えてくれた。

 

父はNHK職員だった。

「東京オリンピックの時だ。出来たばかりの(NHK)放送センターには

オリンピックの協賛企業だったのかコカ・コーラから『皆さん自由に飲んで下さい』と

コーラが大量に置いてあった。でも冷房も無い所にドン、と置いてあるだけで冷えてないわけ。

放送局にはクーラーがある、と思われていたようだけど放送局の冷房施設は

放送機器を冷やす為にあるので職員の為じゃなかった。

夏が終わった時か秋だったかまだ暑い時に初めて置いてあったそのコーラを

飲んだら生ぬるくて飲めたものじゃなかった。なんだこれ?色からして醤油なのか?

と思った位だ。それ以来コーラを飲んだ事はない』

 

子供心には「コーラ飲み放題」が羨ましかったが『生ぬるい』コーラを想像すると

父の気持ちも分る

その話しを聞いてからコーラを薦める事はありませんでした。

今年のオリンピック選手村でコカ・コーラの自販機の値段が高いと話題になった時に

父のコーラの話しを思い出した。

今日10月10日は昭和39年の東京オリンピックの開会式でした。

右の組織委員会報は先日、古本屋で見つけました。

せっかくなので10日の予定だけでも載せてみます。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「逮捕状を握りつぶす男」が警察トップに!

2021-09-22 21:54:47 | Weblog

ドラマみたいな事って本当にあるんですね

警察庁長官に中村格(いたる)氏が就任されました。

警察庁長官といえば日本の警察機構のトップ。

思い返せば6年前

伊藤詩織さんに対する暴行事件で逮捕状が下り捜査員が逮捕をしようと

帰国する男を空港で待ち構えている所に逮捕状の執行を電話で止めたのが

当時警視庁刑事部長だった中村格氏。

止めた理由は明らかにしていない。

逮捕状が発行されて被疑者を確保できず期限が切れて執行出来ないとか(また裁判所で請求できます)聞きますが

警察の上層部が「止めた」なんて異常。

そんな人間が警察機構のトップ「警察庁長官」になってしまった・・・

伊藤詩織さんは

「逆に今後(中村氏の判断次第で)逮捕ができてしまう、もしくはされない、同じようなことが繰り返される危険があると思います」

これ本当に怖い。

権力者と繋がりがあればこれからも起こりえるのだ。

これで警察を信じろ、ご協力をと言われてもねぇ。


中村警察庁長官「他事を考慮して捜査上の判断をしたことはない」

配信 毎日新聞

中村格(いたる)警察庁長官(58)が22日、就任記者会見に臨み、「先見性、発想力、創造性をフルに発揮し、AI(人工知能)等の先端技術を積極的に取り入れたい」と抱負を述べた。2022年に新設予定のサイバー隊については「諸外国の捜査機関の共同オペレーションに参画し、国境を超えたサイバー事案に対処できるようにする」と意気込みを語った。  会見では、ジャーナリストの伊藤詩織さんが2015年に性的暴行を受けたとして訴えた元TBS記者の男性に対し、警視庁が逮捕状を執行しなかった点についても質問があった。当時、中村長官は警視庁刑事部長だった。中村長官は「捜査の過程に具体的に言及することは控える」としたうえで、「捜査指揮にあたっては常に法と証拠に基づいて適切に判断してきた。法と証拠以外の他事を考慮して何らかの捜査上の判断をしたことは一度もない」と述べた。  また「現行の我が国の刑罰法規に抵触しないのであれば立件できないのは当然。適正捜査を進めて収集した証拠を十分吟味し、強制捜査への移行は十分慎重を期すべきことも当然だ」と語った。  この問題では、男性は準強姦(ごうかん)容疑で書類送検されたものの、容疑不十分で不起訴処分となった。検察審査会も17年に不起訴相当と議決した。伊藤さんは男性に損害賠償を求めて提訴。1審・東京地裁は19年に「性行為には合意がなかった」として伊藤さん勝訴の判決を言い渡した。男性は控訴している。【町田徳丈】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェミニの忘れ形見

2021-09-21 00:11:58 | 三菱コルト1100

父のコルトの次はまたまた中古のPF60いすゞジェミニ(ディーゼルよ。ZZ-Rではない)となった

いきさつや話しは以前に書いた(と思うが・・・。書いてないか?)

父はワイパーに「ワイパースタンド」を付けていた。

あまりワイパースタンドを装着しているクルマを見た事が無いが

他のクルマのワイパーをそれ程見ないだけなのか。

「ワイパースタンド」はワイパーを使用しない時はワイパーブレード(ゴム)がガラスに接触して

型が崩れるのを防ぐ為に使う(だと思う)

走行中でも雨が降り始めワイパースイッチを入れるとバネの作用で浮かしていたワイパーが倒れ窓を

拭き始める。

それをコルトやジェミニも付けていた。あまり余計なモノを付けたくない私だがワイパーブレードの

劣化が遅くなるので今も父が付けていたワイパースタンドが備わる。

ジェミニの次の三菱ギャランは付けていなかったが、その理由は分からない。

忘れていたか合うのが無かったのか。

旧車になるとワイパーブレードも町の量販店では扱いが無くなり入手が面倒な事となるので

付けている訳です。

一年程前に助手席側のワイパースタンドが突然壊れた。樹脂の部分が経年劣化で割れてしまった。

考えれば最低でも35年は使っていたので天寿を全うされたのだろう。

では新しいのを探そうとするが売っているのは当然現代チックなものばかり。

そもそも付けているクルマも無いのだろう。オークションで同じなのが売っていたが

その値段は無いだろう、というものだった。

そういえばジェミニを廃車にする際に父が外したであろうワイパースタンドをどこかで見たなと

探したが私自身が「なんでも取っておくのは止めて」と処分したのかしなかったのか見つからない。

そして一年が過ぎて先日、実家の居間がホコリだらけだったので掃除をしていたら

かつてあのジェミニに使っていたであろうワイパースタンドが現れたのだ!

左 破損品 右 今回発見のスタンド

 

「なんでも取っておいてくれてありがとう(笑)」

現金な奴だ。

非常時となり「出掛けません勝つまでは」となってしまいすっかり動かなくなってしまった

コルトの車体カバーを外し付けてみました。

スタンド無しの状態 ワイパーブレードがガラスに絶賛接触中

 

ワイパースタンドを装着した状態

 

まさかかつてのジェミニで使っていた部品をここに来て装着するとはな。

もう遠くなってしまった青少年期とディーゼルエンジンの音を思い出していた。

(冒頭の画像はジェミニ最終日、実家前で撮影)

 

 

 

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あのときのシウマイ弁当

2021-08-09 16:38:56 | ヨコハマ

ヨコハマ産まれでヨコハマ育ちの私が「横浜名物は?」と聞かれたら迷わず挙げるのが

崎陽軒のシウマイ弁当です。

駅弁として日本一だと思うその理由は観光客ではなく地元の人が頻繁に買っていく駅弁なんて

他にあまり無い。あったとしても数量が違い過ぎだろう。

食事にしても酒の肴としても言う事無しな逸品!

その日は実家の母から仕事帰りに京浜デパートの地下で崎陽軒の弁当を買って来てと依頼があった。

たまにはシウマイ弁当ではなく別なものを、と思い赤飯とチャーハンを選んだ。

会計が済み受け取ろうとした時にチラシのような広告が目に入った。

1964年のシウマイ弁当復刻版。

大げさなようだが「心の中で」奇声を上げていた。

『これだよ、これぇえええ!! 僕が食べてみたかったのはこんなシウマイ弁当なんだよおお!!』

 

動揺し、これに変更したいと思っても支払いは終わった後。

幼少期で覚えている崎陽軒シウマイ弁当は小学1年の頃に祖父の葬儀の際に火葬場で出された

黄色い掛け紙の弁当だった。その前にも食べているのだろうが何故かこの時に黄色いシウマイ弁当が記憶に残っている。

いつだったろう

サクランボのシロップ漬け?がアンズに変わったのは

そうなるとかつてのシウマイ弁当の中身は変わってきたのか?

鶏のから揚げではなくエビフライの時もあったな

 

簡単に撮影が出来る現在と違い駅弁の中身を撮影している人も見当たらない。

なので過去のシウマイ弁当の中身を知りたかったし機会があれば崎陽軒にかつてのシウマイ弁当を

復刻して欲しいと嘆願したかった。

 

翌日、夜食にしようと出勤前に売り場に行ったが見事に売り切れ…

その翌々日の休みに2店を巡っても売切れで「入荷待ち」の札。

次の入荷は13:30から14:00頃との事だ。それだけ売れている、というのは嬉しいものだ。

 

やっと入手しました。

オレンジがかった現在の掛け紙と微妙に違う黄色い掛け紙の「色」

以前はもっと色が違ったと思っていたがやはり変わっていたのだ。

こちらが現在☟

そして復刻版☟

 

調製の日付はあえて東京五輪の文字を入れずに1964.10.10とあるのがいい。

左下には「崎陽軒」ではなく

 

「横浜駅」の文字が泣かせる

昭和38年の東海道ロードマップには横浜駅の目印にシューマイビルが記されていたほど

駅前にあった旧崎陽軒ビルはシンボル的な役割だったのだろう。

左下の横浜駅前案内図拡大

東京タワーみたいなマリンタワー。昭和感に溢れています。

 

龍のイラストも今では赤いが昔は違ったのね。龍自体も変わっている。

 

青い水晶玉の中には常にヨコハマを象徴する建物をイラストにしてきたが

この頃は今では高層ビルに埋まってしまった感のあるマリンタワーがそびえ立つように描かれ

隣の船は氷川丸だろうか。真ん中は神奈川県庁と横浜税関かな。

古いクレーンを付けた船舶が多く描かれているのは海運が盛んだった当時を物語っている。

一番右の銅像のようなモノはなんでしょう?

先にご紹介した横浜駅前のかつてのシウマイビルです(たぶん)

ペンギンのように見えるのは

屋上にあった「ひょうちゃん」のネオンサインだと思います。

細かいマニアからすると左の「毎度ありがとうございます」の文字の脇に

御願い 時期柄なるべくお早目に~ 国鉄構内営業中央会員、崎陽軒の社名下には住所と電話番号が…と

ツッコむ方がいるかと(いないか)

それでは紐を解き開けてみましょう

そういえば昔のオシボリは白フチでオレンジ色の紙袋に入っていた。昔、実家に大量にあったのだが

捨ててしまった事を今頃後悔しています。駅弁にオシボリを付けたのは崎陽軒が初と聞いています。

現行品と比べると

シウマイの数が一つ少ないし色が地味です。

横浜蒲鉾のカマボコが赤くなく白一色でアンズのオレンジが無いだけで華やかさがまるで違う!

 

卵焼きの黄色も無いか

カマボコの赤って華やかだったんですね

 

「1964年に思いを馳せ、当時の内容を再現したシウマイ弁当。「きんぴら蓮根」「豚天」「セロリの塩漬け」「福神漬け」「大根漬物」といった、“あのとき”のおかずが復活しました。」

崎陽軒のHPより転載

食べた感想は唐揚げと甘い玉子焼き、甘酸っぱい杏子が好きなので現行品に軍配を上げます。

あと華やかさの大切さを痛感。

それでも1964年の駅弁を食した、という幸福感に満たされました。

昔の時刻表を見ると当時の商品や値段を見るにつけ

どんな内容だったのだろう、と想像していました。

昭和39年10月の時刻表の駅弁案内

当時は¥150でした。

 

さて、昭和39年のシウマイ弁当にタマゴ焼きが入っていない理由ですが

昭和38年にこのような出来事がありました。

 

 

 

たまご焼きの火入れが足りなかったようです。

それがあり一年後の昭和39年にも玉子焼きは入っていなかったのではないでしょうか。

崎陽軒さんには触れられたくない出来事でしょうがこれも歴史の一コマとして載せてみました。

あのときのシウマイ弁当は9月5日まで販売されます。

明日の遅番の前にまた買うつもりです!

崎陽軒のサイト

 

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドライブ 後編

2021-07-30 22:17:03 | (旧車)

燃料はまだあるがガソリンを入れる

大多喜駅近くにあるシェルの給油所に立ち寄り燃料を補給

旧車でいすみに行ったら是非とも訪れて欲しいのがこの「丸石油」大多喜SSです。

 

SHELLのマークが入った貝殻は年代物

昭和シェルと出光の合併によりいつかは給油所の塗装も変わってしまうのでしょう。

給油所のおじさんはフレンドリーな方で珍車の来訪を喜んでくれました。

因みに日曜日はお休みのようです。ハイオクもあります。

 

 

上総中野駅では小港鉄道の災害による部分運休中。

やってきたバスはツーステップ車で方向幕が「幕」だ。

 

夏の夕暮れという雰囲気満点の上総中野駅では国鉄時代の塗装をまとった

新型のヂーゼルカーが来ていたのでそれを見送る

これも鳥塚社長の置き土産 嬉しくもあり切なくもある

別道で帰るP411さんとはここでお別れとなりコルトは単独で山を越えて金谷港を目指す。

エンジンはすこぶる快調で心憎い程のうなりを上げる

先週に引き続きハードな長距離走行にも音を上げないコルトの走りに感謝したが

「まずお父様に感謝でしょう」BY 特急みちのくさん

そうですね普通の家庭なら次期車両が入ったら廃車ですから

感謝の念を忘れかけていました。

次はいついすみ鉄道に行けるだろうか

できれば国吉駅周辺でイベントの開かれている時に訪れたい

どこか寂しい雰囲気の東京湾フェリー最終便にギリ間に合った。

この日から夏の風物詩「東京湾フェリー納涼船」が始まりました。

(特急みちのくさん撮影)

 

この雰囲気がいいのよ。でも今回は運転があるのでまたの楽しみとします。

さて、帰宅し翌日の事

洗車を済ませ駐車場に入れると…

いきなりハンドルのリングホーンがポロっと外れました。

走行中じゃなくて良かったです。

 

更に先日

「非常事態宣言」が出て東京湾フェリー納涼船も21日をもち

中止となり言葉を無くしました…

夏終わったな(笑)

 

おわり

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドライブ 2021.7.17 

2021-07-26 22:40:06 | (旧車)

先々週の事ですが140コロナタクシーさんと何の目的も無しに

コルト1100でいすみ鉄道沿線へとドライブに行った。

イベントが開かれている訳でもないし日帰りのドライブだった。

ただ走るだけだったが何故か楽しく翌日にまた走りに行きたいと思ったほどだ。

その一週間後

昭和41年式のブルーバードP411さんのブルとコルトで再びいすみ鉄道付近を走る事になった。

今回も目的は無い

「不要不急な~」と言われてもオリンピック出来るんだからいいでしょう

先週もだが今回も当日の朝は早く起きてしまった

なんと前日からこのドライブの為にホテルを取り横浜入りした特急みちのくさんを駅で待ち合わせ

横須賀PAでP411さん夫妻と合流しフェリーボート乗り場を目指した。

フェリーボート乗り場まで移動

東京湾フェリーに乗る、というだけでもう楽しいのは何故?

かつては久里浜港近くにもドライブインがあったそうな。

(ハイウエイ料理って何?)

普段は甲板に出て船旅を楽しむのだが今回はクーラーの効いた船内でくつろぐ。

(特急みちのくさん撮影)

話しの半分は何故か小田急ロマンスカーの事。

(特急みちのくさん撮影)

 

金谷港から北上し15分程走りニコニコドライブインで食事

ブルーバードのラインがキレイだ

 

(特急みちのくさん撮影)

いつもここに来るとミックスフライ定食を頼んでしまう

前回140コロナさんが「てんぷら定食」を頼み絶賛していたので次回はそれにしよう、と

思っていたのにまたもやミックスフライを注文

特急みちのくさんが「てんぷら定食」を注文し,やはり絶賛…

(特急みちのくさん撮影)

次回こそは!しかし常連の方の多くが「ラーメンとライス」を注文されているので

それも気になる

残念だったのが入口の公衆電話 

会社に電話を入れる必要があり

「ちょっと社に電話してくる」と小銭を出しおもむろに立ち上がり外へ出たが

普段使われてないのだろう公衆電話はクモと虫だらけ… それでもめげずに使おうとしたがテレカも硬貨も使えませんでした。

しかたなくスマホで架電 

使わないと無くなってしまう公衆電話。災害時に困るのでなるべく使うようにしています。

 

梅雨も明け強い日差しに夏を感じながら渋滞も無い道を快調に走り

バックミラーに写るブルーバードP411の小さな姿にも昭和を感じる

そういえば初めてのいすみ鉄道ドライブは念願のバイアスタイヤを履いた時だった

(特急みちのくさん撮影)

初めて訪れた時は地図帳を観ながら集落を抜け時間も掛かったがトンネルや道路整備が

進み所用時間も短縮されている

有料だった房総スカイラインも今は一般道路となり料金所は跡形もない

 

上総中野駅で国鉄時代のキハ52を見るか

途中で並走するか

併走を選び田園風景の中を走る姿を記録する事にして待機していると

「ボンネット開けて、エンコしたの?」

農家のおじさんに話しかけられましたがエンジン冷やしているだけです(笑)

しばし歓談となり絶好の撮影ポイントを教わり走った

しかし動画なのでここでは載せられないのが残念(笑)

と、書いたら特急みちのくさんが動画をyoutubeに上げてくれました。

https://youtu.be/bLCW-Mg0waU

いすみ鉄道のキハは車両の延命処置で急行の運用を一本にしてしまったのが

ちょっと残念だが仕方がない

(特急みちのくさん撮影)

↑今回も私は見事にタイミングをずらしてしまいました。間の悪い男だ

(特急みちのくさん撮影)

 

いすみ名物のポッポの丘へ皆さんを連れて行ったが私はその間に1人で国吉駅近くの

スーパーに向かった。

国吉駅近くにあるスーパー源氏

ここの総菜が目当てだ。「源氏」の名物メンチカツを買い千葉の名酒「腰古井」の二級酒を買う為に。

しかし到着すると閉まっていた!

 

どうやら7.17日は閉店との事で愕然とする

商店街もそれに合わせ開いていなかった。

定休日に来てしまったので仕方がないがここ数年のいすみ鉄道は

鳥塚前社長が去って(いすみ鉄道筆頭株主の某町が追い出して)から

「観光客が減り祭りの後の寂しさのような空気がずっと続いてる(sanada_doさんのインスタより引用)」

感じがします。

えちごトキめき鉄道はいいなぁ

ポッポの丘に戻り卵と銚子電鉄のぬれ煎餅を買い帰路につく

(特急みちのくさん撮影)

【つづく】

腰古井…千葉県吉野酒造さんの地酒です。数年前に140コロナさんに教わってから私も好きになりました。子供の頃に舐めた日本酒の味というのか。

「仕事休み?酒買いに行こうか?」と二人で横浜からドライブがてら買いに行く程好きな酒です。

特級よりも二級の「推奨」です!

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気になるコルト

2021-06-14 22:29:36 | 三菱コルト1100

現存するコルト1100は何台位なのだろう?

時折コルト1100を探すと中古車で販売している個体を見かけるが

売れた、というのはあまり無いようだ。

人気のスポーツカーでもなくゆったりした2Lクラスのセダンでない

地味なファミリーカーで当時も人気車、という訳でもないクルマが売れないのは

旧車世界となっても変わらないようだ。

そんな中で新しい出物を見つけた

goo 自動車&バイク

 

昭和41年式の前期型となる。

グレードはデラックスとなっているが一つ下の「デラックスポピュレール」

ホイール以外はノーマルのようです。

オーバーライダーの無いのがポピュレールの外観の特徴ですかね

(オーバーライダーが無いとぶつけられた時に…

メーターパネルのヒビ割れが気になる。しかも二か所。

真ん中の時計パネル上がそっているように見えるのですが

最近気づいたデラックスとポピュレールの差。グローブボックスに鍵が無い。

かといって今まで鍵を掛けた事はないが。

内気と外気切り替えレバーの取っ手が欠損。メーターや

ラジオパネルを外す時に必ず外す個所なので

紛失しやすいのだが手に入らないから気になる個所

シートに破れは無い。張替えたようで後部座席の灰皿が無いように見える。

ドアの内張りが変えられている。

内張がダメになってしまったのか?

 

色といい九州の自動車歴史館にある個体かと思いました。

当初は88万円だったが今は77万円だそうです。

ここ数年は旧車が高騰しています。旧車は入手してからが大変。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キングセイコー その後 3

2021-06-01 00:00:00 | Weblog

赤い快速特急の二人掛けのシートに収まり

修理から戻った父のキングセイコーを見ると違和感があった

以前に見た時よりなんだかみすぼらしくなっていた。

風防は父が日常使いしていたので傷だらけだったのだが

何かが違う、って

針が!

一度も開けてなかったのでキレイで黒いラインの入った針が

傷だらけになりラインも消えかかっていた

(見辛いので分かり難くてゴメンナサイ)

納得の行かない金額と対応

修理に出して傷付いて戻ってくるっていったい何?

ていうか これ父の形見なんだよ!!時計屋なら形見の時計がどういうものか分るでしょ!

数十年ぶりに会えて嬉しくて嬉しくて…

なんでこんな事に…(涙)もう本当に泣きたい…

老夫婦だから文句も言えないし…

ここは黙って気にしないように…すれば…

腕に巻いてみて時間を読むと傷だらけになった針が目についてしまう

しばらくしても慣れる事はないだろう

 

時計を分解し針をピンセットか何かで「表面」を掴んでしまったのだろう

高齢で細かい作業が出来ないのだろうと思う

 

通勤途中だがたぶん初めて「会社に行くのが辛い 帰りたい」と思った。

しかし仕事をしていて忙しくなり気もまぎれたので出勤で良かったのだ。

それでも終わった後に仮眠室に行っても頭の中はあの傷だらけになったキングセイコーで一杯。

しばらく眠れなかった。同僚に話したり特急みちのくさんに相談し

「いや、それは文句言わなきゃダメですよ!おかしいですよ!」

と説得され鬼になる事を決心。

 

翌日に今までの愛想のよい客?の姿は封印し

ちょっと大きな声と勢いで「父の形見の時計、修理してもらったんだけどさ」と

文句を言いに行きました。それでも抑えていましたけど。

「針を交換しますのでまたお預かりいたします」

申し訳無い感は無い・・・(怒)

それからまた暫くして連絡があり取りに行った。

痛みの激しかった長針だけ交換されており軽傷だった短針はそのままだった。

普通の時計だったらまたここで文句なのだが

形見の品なので針を交換されるのも本当は嫌でたまらなかったから

そのまま引き取った。

気にするタイプなので文句を言いたかったけど今回は我慢。

 

その後 

東大阪にあり56KSのカレンダー日送り機能の部品を作り修理しているという

大野時計店さんに送りました。

『文字盤が上の時と、下の時の精度に姿勢差があり、当店にてオーバーホールを行いたいところですが、
最近に他店でオーバーホールを行ったようですので』

先のオーバーホールも今一つだったようで…

戻ってきた父のキングセイコーは一段竜頭を引くとしっかりと日送りが出来て

その感触も良い。お値段も満足だった。

大野時計店 (ohnotokeiten.jp)

 

長い時間が掛かってしまったが幼少の頃に見た父の腕時計が

やっと本来の調子を取り戻し使う事が出来ました。

特急みちのくさん、色々とありがとうございました。

【終わり】

実績と安心の技術かぁ・・・

 「味自慢」と書かれた暖簾の文句を信用する人もいないしなぁ

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キングセイコー その後 2

2021-05-31 00:00:00 | Weblog

そのお店の扉を開けると応対したのは年配のご婦人でした。

「父の形見の時計なのですがクイックチェンジが出来なくなって」と

『部品がメーカーから出ればいいのですが…見積もりを取りますのでお時間が掛かりますが

よろしいですか?』

?見積もりを取る?

ここのお店で修理するんじゃないの? 

あぁ、蓋を開けてみて修理にいくら掛かるか教えてくれるのか

 

奥の作業場にはかなりの高齢で「ちょっと大きな病気で身体を壊したかな」と

思われる男性がいた。

『修理工房』と謳ってはいるが精密な作業はちょっと難しいのでは…

ま、見積もりの連絡を待つとしましょう。

連絡先を書いていると「シチズン修理センター」とかの発送伝票の貼られた宅配小荷物が目に入った。

おいおい、まさかメーカー丸投げ?

高かったら見積もり手数料だけ払って別のお店にすればいいか。

 

それから二カ月の間

見積もりの連絡は無かった。

どうしたのかな~?急ぐ訳でもないので気長に待つか。

 

そしてやっと電話が来た。見積もりいくらになったのだろう?

『お待たせしましたが修理が終わって出来上がっているのでお引き取りをお願いします』

え?修理完了?

見積もりはどうなったのよ?

それで電話が切られそうになったので

「金額はおいくらですか?」と尋ねると

¥27,500です。それとお渡しする際にご説明致しますが

日送り機能は修理出来ませんでした

それ、もろにメーカー丸投げ金額じゃないのよ

さすがにカチン、と来て

「治らずに¥27,500?」

『…はい』

おいおい、やはり私は個人店に縁が無いのね。

まぁ、油切れの心配もあるしオーバーホールしてもらったからいいか。

(余談ですが昨年の冬のボーナスは社員全員¥30,000でした)

 

そして翌日に引き取りに行くと

>>「治らずに¥27,500?」

が火を付けてしまったようで

『(主人が)もう少し調整をしてみる、そうで』

奥でルーペを付けた老店主が作業をしていた。

でもU-BOATさんから教えてもらった揺動レバーが無いのだから調整で

どうにかはならないと思うのですが・・・

 

特急みちのくさんに連絡をすると「揺動レバーを作製しているお店もある」

とアドバイスを頂いたので引き取ったら探して送る事にしました。

 

それから10日程経ち

『やはり治りませんでした』と連絡がありました。

そうだろうな~。肝心な個所が治らず27,500円か~。

でも年老いた老夫婦に

「『安心と実績の修理』とか『プロの技術で』と言いながらメーカー丸投げじゃないの?

見積もりを取ると言いながら連絡無くいきなり修理?」と文句を言うのもね


まぁ仕方ないや、ボーナス¥30,000だったんですけどね(笑)

そして泊まり勤務の前に店に行き支払いを済ませ引き取りました。

「部品が無かったらしょうがないですよ(笑)」

『何かありましたらまた』

いや、もう二度とお世話になる事はないでしょう(苦笑)

 

そして職場に行く電車に乗り父のキングセイコーを

取り出すと

「なんじゃぁ、こりゃあ~!!??(激怒)

 

つづく

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キングセイコー その後 1

2021-05-30 16:07:53 | Weblog

昨年に実家の物置から出てきた父が使っていたキングセイコー。

キングセイコー 5626-7113 - あのコルトを狙え (goo.ne.jp)

 

この時にカレンダーの「クイックチェンジ」が出来なくなっており

修理かこのまま使うかを迷っていました。

時計は仕事用とお出かけ用に使い分けているので父のキングセイコーを

滅多に使う事は無いだろう。

U-BOATさんから「思い切ってカレンダーを無視して使う」という提案を頂く。

それでも「完全ではない」状態のままに使うのが気になってしまう。

それに土曜日と日曜日に色が変わるのが楽しみだった保養所での思い出。

 

前回の旭区さんからのコメントで

オイル切れを指摘されて一度もOHされていないのも気になる。

やはりカレンダー使えた方がいいな、と思い修理に出す事にしました。

ネットで料金を調べるとメーカー修理で¥27,000~  町の個人店で¥12,000~15,000

位だそうだ。(日送り機能修理は別料金)

今は廃業して存在しないのだが若い頃、駅前商店街の時計店に電池交換をお願いしたら

その時の時計にケチは付けられるは防水パッキンははみ出ているは等、散々な目に

あった事がある。

『彩雲は大手のチェーンやスーパーより個人店が好きだろう』

と言われるが過去に「売ってやってやる」個人店で何度も泣いている。

デパート等に入っているチェーンのお店の方が品も接客もしっかりしておられるので

宿も店も大手チェーンの方がいい。本当に色々嫌な思い出が個人店にはあります…

しかし中には苦境の個人店に「お金を落としたい」と思うのもあるので

時計店選びに悩んだ。

信頼できるのは前述の時計店の次に見つけた駅前百貨店に入っているアンティーク時計も扱う

時計屋さん。

そしてもう一つ。実家と駅までのバス路線の途中に昔からある個人の時計屋さん。

ウン十年と続いている小さなお店にやはりお金を使いたい。

高級舶来機械式時計の修理承りを謳っているので昔ながらの職人さんが治すのだろう。

手作りの看板には「安心と実績の修理」「プロの確かな技術で」と謳う。

やはり地元にお金を落としたいな!

 

という事で初めてその店を訪れました。

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「熱海の廃墟」のお値段?

2021-05-21 00:36:56 | 熱海高原ロープウェイ

来週(5/26 23:59)の日本テレビ系番組「それって⁉実際どうなの課」ですが

「ずん・飯尾和樹さんが大人気の観光地“熱海駅”から車で20分ほどの高台にある廃墟の価値を徹底調査」

どうやら熱海高原ロープウェイこと玄岳ドライブインを取り上げるそうな。

公式サイト

現在の内部の様子も見られるようです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

QJY31

2021-05-17 23:54:17 | (旧車)

140コロナタクシーさんがY31セドリックを買いました。

そのご紹介です。

ここ最近通勤やレジャーにと活躍してきた140コロナ(ベンチシート、コラムシフト、LPGガス車だが営業経験無し)の劣化が気になってきたので車両探しをしていたが

ネットで探すと「これ以上に無い」車が見つかってほぼ衝動買いをされた。

新車で購入されたコロナと違い今回はタク上がり。

それでも販売会社さんは新品に交換出来る部品を出来る限り変え販売をしていた。

すぐに営業用車として働けるように。

更に140コロナさんは購入後にワイパー傷のあったガラス交換、ドアノブ等も

新品へと更新されている。傷のあった車体も塗りなおしタイヤも新品。

かなりの金額が掛かっています

それがこちらのクルマ。

 

日ごと数を減らしていく現役のY31タクシーはその殆どがATでドアミラーの最終型。

現車は平成19年式セドリック コラムシフトの4速MTでビニールレザーのベンチシートだ。

余計なもののないシンプルな車体と色

私はいつまでも見ていられます。

先々月にそのY31でドライブに行ってきました。

ガスを充填し

伊東を目指します。

早川駅で休憩

140コロナと比べると格段に広い車内は快適そのもの

伊豆スカイラインにて

 

う~ん・・・

いいよ! 実にいいクルマです!

これぞセダンだ自動車だ!

私達二人にはどんな欧州高級スポーツカーよりもカッコよく見える。

当初は黒い樹脂バンパーがちょっと、と思ったが白のプレーンな車体に

黒のバンパーが映える

交互に運転を変わりながらのドライブ。

140コロナと比べるとブレーキが驚く程効きます。

2000CCのエンジンなので力も強い。運転のしやすさと乗り心地は140コロナより

こちらの方に軍配があがる。

因みに↑の写真でお分かりのように座席には昔のタクシーのようにビニールカバーが掛けられています。

タクシー時代の名残り、ではなくオーナーの140コロナさんは

このビニールカバーを製作してくれる業者を探しワンオフで作ってもらいました。

現在はこのビニールカバーは作られていないようです。

確かにタクシーに乗っても見ないですよね。

注文を受けた製作会社の社長さんは20年ぶりに自ら型を取り作製してくれたそうな。

更にその作製する姿を見ていた社長さんの娘さんは「父はとても楽しそうだった」と

喜んでいたそうな。

しかしこのビニールシートが付いて「広告」が無いと不自然に見える気が…

ドアの内張りも作っています。これなら私が酔っぱらって〇吐しても安心ですね

帰りの東名高速道路のSAで休憩し戻ると

隣には本物のタクシーがいました。指導車と思われたかな。

 

さて・・・

皆さんの心配事は「では前の140コロナは手放したのか?」ではないでしょうか。

ご安心下さい。

140コロナさんにとってはあくまでも「140コロナタクシー」が主力であって

このY31は主に通勤や日常に使う役割で140コロナの負担を軽減させるのが目的。

これからも大切に維持されるそうな。

それから約一月後の小湊鉄道「上総鶴舞駅」にて

この駅の郵便ポストだけはなんとかならないでしょうか・・・

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10年ぶりの高岡駅

2021-04-12 10:13:16 | 

金沢駅の近くで夕飯を兼ねて地酒でも、ということになり駅の周辺を歩く。

お手頃な値段で色んな日本酒を楽しめる店に入った。

酒も良かったがやはり魚の美味さはこの地方ならでは。

 

しかし店名を忘れる・・・

 

翌日は高岡駅へと向かい12年ぶりの高岡駅地下街を散策する事にしたのだが

あまりの変わりっぷりに驚いた。

前回

今回

 

この階段も当然無く

 

ハトが普通にいた地下街はキレイに整備されたがお店が少なくなっていた。

旧写真右手に見える理容室、ヘアーサロンタナカさんは場所が移転されるも

行燈看板は健在でした。

かつての高岡駅の懐かしい写真を展示していたので古いものが好きな私達には

素晴らしいタイミング。

いかにも60年代の駅前デパート、といった感じの写真を食い入るように見ていました。

しかし全部見るには時間が無いので万葉線乗り場へ向かうが、その前にトイレ。

地下街のトイレが驚く程キレイで感動していると

さまひさんから「ちょうど古い電車が来た」と連絡があり急ぐ。

乗り場も整備されていました。以前は道路の上だったような?

運よく古い電車が来たので久しぶりに聞くグオーンという吊りかけ電車の音を堪能。

前に乗車した際は新しい電車だったのと夜で暗かった為に外の景色が分からなかったが

今回は車窓も楽しめました。

駅の近くで味のありそうな喫茶店を発見する。後で行こうとするも結局は行けず。

 

途中で何らかの理由で電車の交換があり乗り換えたがそれも古い電車だった。

港の方に行くにつれ単線となり、こんな個所を路面電車が走るのかと思ったが

昔の都電の写真を見ると都電にもこんな区間があったようなのでそれを体験出来たような気持ちになる。

目的地は富山県営渡船「越ノ潟(こしのかたフェリー)」

以前に乗った際は「新湊大橋が完成したら無くなる」と聞いていたが開通後も運行されていた。

あの時は夜だったので寂しもあったが今日は晴れて暖かく穏やかな天気。

5分程の船旅ですが高岡へ訪れたら路面電車とフェリーの旅は絶対お薦めです。

対岸へ渡りバスで岩瀬浜駅へ

そこから富山ライトレールという鉄道に乗る。

さまひさん曰く「以前はもっと味のある駅舎だった」そうな。

 

現代の車両には興味が無いのだが富山駅に着くと

 

富山地方鉄道の古い電車がいた。

都電の金太郎塗装みたいだ。いい色です。

ここでさまひさんと分れてお互い帰路に就く。

私は新幹線の発車時間まで時間もありフリー切符もあるので再び高岡駅へ。

高岡駅のホームに降りてみると先の方は柵が設けられていた。

 

北陸新幹線の開業に伴い3セク化された駅には長い編成の列車が止まる事はもうないのだろう。

日曜日の昼間だが駅にはあまり人もいないのはコロナ禍だけではないだろう。

地方に新幹線が出来ると地元にはマイナスなのでは、といつも思う。

もうこの乗車列車案内札?を引っ掛けるワイヤーも必要が無い。

 

 

遠くにラッセル車がいました。

前回も☟ディーゼル機関車が構内を行ったり来たりしていたっけ。

先ほどの写真展は地下街だけなく駅ビルでも行われていました。

ドリームランドがあったのですね。

 

ドリームランドなのに「あのキャラ」がいます(笑)

 

この時代に行ってみたい(笑)

 

それから高岡に来たら行っておきたい場所があるのだが歩いて行くと新幹線に間に合わない。

タクシーを拾う。

最後の目的地は・・・

元「鈴木写真館」

私の中の名作「8月のクリスマス」のあの建物はどうなったのか?

映画資料館としての営業も終わってからを知らない。

ありました!今は芸術家の工房になっているようです。

さて、帰ろう!

駅までの距離も分ったので帰りは歩いて帰る。

最後に路面電車にもう一度だけ乗ろうとも思ったが1区間だけ乗るのも

恥ずかしい気もするのでやめておく。

高岡駅から富山駅へ

駅弁屋さんで「ます寿司」を『今度こそ』母親と自分へのお土産として買う。

無事に買えて安堵(苦笑)。

新幹線で東京駅へと予定通りに到着し地元の駅には

140コロナさんが迎えに来てくれました。

実家に寄ってもらい母にます寿司を渡しアパートまで送ってもらう。

走り去る140コロナタクシーを見送り

「さっき高岡駅でも見たな」

左側に・・・

この頃は当たり前のようにいた140コロナタクシー。

それで送ってもらえるなんて感謝です。

そしてアパートでます寿司を食べて旅は終了です。

 

その後 えちごトキめき鉄道がJRから電車を買った。

 

鳥塚社長は本当にやる事がスゴイ。さすがだ…

安く行ける事も分ったのでいつかまた乗りに行きます。

さまひさん 楽しい旅をありがとうございました。

 

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

455系乗車記

2021-02-24 23:17:01 | 

こんな時期にと非難をされそうですが久々にちょっと遠くに「旅」をしてきました。

さまひさんから「ある国鉄型の電車が無くなるので一緒に行きませんか」と

お誘いを受けたのですが私はその形式の電車を全く知りませんでした(だって私はマニアじゃないもの)

それでも「国鉄時代」という言葉と気の置けない友との旅への誘いに決心しました。

2月20日

始発のバスに乗る為早起きをした。アパートの扉を開けると外はまだ暗いがそれほどの寒さは無い。

しかし先日から先行しているさまひさんの情報だと雪解けの水があるとの事でそれ用の靴を選んだ。

品川から東京駅へと着いたが「Eチケット」なるものを使うのが初めてだったので

自動改札を抜ける時に引っかかったら、と懸念していたのだがあっさりと無事に通過。

しかし東京駅構内でこれに引っかかった。

時代は流れてもあの時代の跡を感じさせてくれる展示が嬉しい。

東京駅発07:20 かがやき503号は定刻通り発車をした。

隣のホームには東海道本線を走ってきた寝台特急サンライズ号が見えた。

北陸新幹線に乗るのは初めてだったのだがあの寝台特急に乗る時のような高揚感は無かった。

そういえば以前に高岡から上野駅に夜行列車「のと」で

早朝に戻ってきたのがついこの間のようだが、もう10年以上前になる。

 

ジョイント音も揺れも無い新幹線の車内は快適で09:51金沢駅に着。

特有の「国鉄臭」とジョイント音を求めるのはノスタルジー。

しかし私は今日その「ノスタルジー」をわざわざ味わいに来た。

金沢駅で北陸周遊券を買い在来線で高岡駅に行き10:59発の城端線(じょうはなせん)に乗る。

次の新高岡駅で今回の企画者さまひさんと無事合流。

沿線や終点に何があるわけではない、ただ乗る為だけの旅。

でもそれが楽しい。ノンビリ、ゴトゴトと揺られながら終点の城端駅は到着。

折り返しの列車が出るまで食事でもと探すとスーパーのようなのもあるようだが

出来れば駅の周辺の個人店の食堂でお金を落としたい。

いかにも昭和から営業しています、えぇ、あんたの好きな店構えでしょう!?

といった食堂が駅を出て左に行くとあったので恐る恐る入店し

二人で親子丼を食べた。味は普通においしかった。

しかしお店の外観を撮り忘れる・・・

高岡駅から金沢駅への列車を待つ。

『これが今回の目的の電車ですか?!』

さまひさん「いや、違いますよ

私は何も分っていません(笑)

でも車内は色こそ違えど昔東海道線や横須賀線を走っていたのと似ているので懐かしい。

ネットで予約をしておいた金沢駅前ホテルに荷物を置きに行ったのだが

無人フロントのタブレット端末が途中で止まってしまい焦るが何とかチェックインを済ませる。

鍵はタブレットに表示された暗証番号での解錠となるのだが

さまひさんから「この(暗証番号の)画面をスマホで撮っておいた方がいいですよ」とアドバイスを

受ける。記憶力の悪い私はその後にこれがいかに大切だったかを何度も思い知る。

ひと月前からのネット予約¥3,000だったが部屋は広くキレイで良かった。

個別の部屋で予約した為、ロビーで集合し再び金沢駅に戻る。

今回の列車こそが旅の目的、七尾線を走るクハ455なのだそうな。

さまひさんの説明だと「国鉄の急行型電車最後の生き残り」なのだそうな。

「ただしデッキが取り払われ一部がロングシート化された為にボックス席は8しかないので

争奪戦が予想される」

なので早めにホームで並んでいたが

「先日の大雪で運用が変わっていて別の(さっき高岡から金沢で乗った列車)が来たら

ヒザから崩れ落ちますよ」

不安げな表情で言うのだが私は「昔からどうしても乗りたかった」訳でもないので大丈夫です。

土曜日で引退間近の列車なのでかなりの人出かと思ったがそれ程でもない。

入ってきた列車は予定通りの列車のようだ。

扉番号2番で待っていると乗り口とドアがズレる「他の2ドアと開く場所がズレるんですよ」と言われドアを見て納得。

先ほどの列車とはドアの位置が違う。

なんとドアは手動で開けるのだそうな。

それもボタンを押すとかではなく手で開ける。

無事にボックス席に座れて落ち着いて車内を見回る。

クハ455-702

久しぶりに座る古いボックス席は現在の東海道線の嫌がらせのような固さと

狭さとはまるで異なる心地よさ。

 

昔はデッキがあったそうな。上の段差はその時の名残のようだ。

 

子供の頃、たま~に東海道線の乗ると車内にトイレが付いている事が

驚きだった。

便所使用知らせ灯のシンプルな存在が好きだったりする。

 

両手を洗うのにはコツがいるようですが洗面台も付いている。

これまた懐かしいスタイルのトイレ。

子供の頃は下が見えて「停車中は使用禁止」となっていたが

いつの間にかタンク式となっていた。

こんな小さなパイロットランプ?も点灯する状態を見るのも無くなってしまう。

「汽車」の表記がなんか嬉しい。

年季を感じる扉は重たかった。

手前のロングシートの個所もかつてはボックス席だったそうな。

113系や115系の記憶しかない私は「国鉄急行型」に乗った記憶というのは

ハッキリしているのは小学6年生の修学旅行で乗った「貸切電車」だった。

『これが修学旅行専用電車か?』と喜び

形式を覚え家に帰り図鑑を開くと「修学旅行用にも一般用にも使える」とあり「修学旅行専用」ではなくてちょっとガッカリした。

話しは逸れたが前もってちょっと調べたらデッドセクション通過を味わえるとの事で楽しみにしていた。

「架線柱を見ているとデッドセクション区間のマークが出ますよ」と教えてもらった。

車掌さんから「車内の電灯が消える」旨のアナウンスが流れてしばらくすると

電灯が消えて同時に小さな蛍光灯が灯った。

(画像は帰路時)

デッドセクションを通過。

南極観測隊員が赤道を超えた時はこのような感激と興奮だったのだろうか

 

な訳がない

 

さて、終点の七尾まで約1時間半の旅だが目的地がある訳ではなくただ乗るだけ。

知らない土地を古い電車で旅をしている事だけで楽しい。

職場の人達に話したら「行って帰ってくるだけ?何が楽しいの??」と

呆れるだろう。

終点の七尾駅に着くとすっかり日が落ちていた。

再び折り返して帰るのだがホームに出てみた。

人も少ないので写真を撮りやすい。

確かに今では見ないスタイルです。

クーラーも昔のタイプで個別だそうな

東芝のロゴがありました。

そういえば昔の電車の屋根はこんなイメージでした。

交直流ならではのパンタグラフ付近

分からない事はさまひさんが解説してくれるので楽です。

こちらはドアの配置が異なる反対側の先頭車

 その車内。

 

静かに発車を待つ列車。人も少なく寂しい雰囲気がまた良かった。

 

再び列車に乗り復路

↑お茶はさまひさんが「撮影用」にご持参されました。

「今度は別の車両に移りましょう」と言われついていく。

モーター車だった。昨年、140コロナタクシーさんと185系に乗った際に

うなりをあげる「音」について教えてもらうまで意識しませんでした。

それ以来モーター車の音が好きになった。

悩んでいるの?

 違います、モーター音を堪能されています。

ここだけ見ていると横浜市営地下鉄1000系の座席を思い出します。

 

列車は定刻通りに金沢駅へ到着。

回送となり発車するまで外観を存分に見ていると

ヘッドライトの下の線が気になった。昔は塗装が違ったの?

「クリーム色のような塗分けだったんですよ」

そこで思い出しました、鉄道博物館で見た電車だ!

(↑鉄道博物館のサイトより)

博物館入りしている電車に乗れたのか。

あの電車だったのか。

20分程すると電車は回送となり去っていった。

さまひさん、お誘いと解説ありがとうございました。

【追記】

修学旅行電車の思い出

6年生の修学旅行での帰路に先頭車と先頭車の連結部分、デッキにいると

担任の先生がやってきて当然のように運転席のドアを開けた。

そしておもむろにマイクのスイッチを入れ生徒に連絡事項を車内放送したのでした。

それがあまりにも羨ましく『先生になれば(中間の)運転席に入れるんだ。教師っていいなぁ!』

と思ったものでした。

その年に父のカメラを借りて撮った写真の中に形式は違えど

急行型の電車がありました。昭和58年東戸塚駅付近

今、こんな線路ギリギリで撮影したら通報ものですよね

これは何系なのでしょう?

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする