あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

「ESSO冷川給油所」

2005-05-13 17:39:09 | 熱海
あれは昭和60年,中学一年生の時の事。
家族で伊豆の紀州鉄道オーナーズビラという保養地へ行った際に伊豆の冷川で給油の為にガソリンスタンドに立ち寄った。
そのガソリンスタンドは当時からしても「いかにも60年代」
という嬉しすぎるスタイルをしていた。
近所のGSの計量機ですらデジタル化され自動で計算されていたのにオバちゃんがハンドルを廻して「0」に戻し電卓を使い手書きで領収書を書いていた。
「ESSO」の電飾、計量機、水銀灯、コーラの冷蔵庫etc…
何もかもが私の心を捕らえた。
「なんとコルトに似合いすぎるスタンドだろう!」
その当時から眺めていたコルト1100の取り扱い説明書に三菱のスタンドで給油するコルトの画像を見ていたのでその影響もあった。

「(コルトを入れて)このスタンドの写真を撮りたい!」
その時は何故か言い出せなかった。恐らくそんな事を言っても親やオバちゃんには理解されないだろうと思っていたのだろう。
それ以来、私の心の隅にそのGSがあった。
そして昭和61年4月29日、再び伊豆に行く機会があった。

この年の7月に彩雲家にはPFDジェミニ(中古)が入っているので
ファミリーカーという立場上では思えば最後のドライブとなったかもしれない。
なにしろこの写真を見てもこの時にジェミニが来ていたかどうかも忘れていたくらいだ。
彩雲家には第一線で活躍していたコルトの写真は殆どないのでこの「現役のコルト」としても
この写真は(私にとって)貴重なもの。

話しを戻して一年後に再訪する際に親にあのスタンドで給油をし、そして写真を撮らせて!
と頼んだ。
そして期待して再訪したが・・・・・。

閉店していた

かなりのショックだった。写真左の計量機と右の店内?に貼ってある白い紙は閉店の案内。
確か「このスタンドは閉店しました」と書いてあったように思う。
それでも父にスタンド内にコルトを入れてもらい写真を3枚写した。




この写真を撮った後、私は翌日に学校があるので伊東駅(だったと思う)に送ってもらい電車で帰った。
後から聞いた話しだが電車が出た後に停めてあったコルトに戻るとタクシーの運転手が大勢で
コルトを取り囲み「懐かしい」「昔乗っていた」と珍しがられて母は恥ずかしかったそうな。

現像した写真は稚拙だが、とても気に入ったものとなり学校で使う下敷きの中に挟んでいた。
近年ネットで公表したら思いがけず好評だった。

そんな思い出の詰まったこのスタンドが写真を見る度に現状が気になっていた。
撮影してから一年後にジェミニで親が伊豆に行ったら「まだあったよ」と教えてくれた。

この度、父親と冷川の「峠の茶屋」に行く事となったので
あのESSO給油所の跡があれからどうなったか、訪れてみたのだが・・・。

つづく 《明日からまたまた熱海に行ってきますのでつづきは来週です》
コメント (6)
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