ドアマンの仕事をしていているとホテルの玄関に待機してくれるタクシーの運転手さんと顔馴染みになります。
タクシー利用客は大半が弊社からワンメーターの最寄り駅までです。
それでも時折成田空港までの長距離(約25,000)をご利用なる方もおられます。
どの運転手さんに成田行きが巡ってくるかは「運」しだいとなる訳ですが私も人間なので「人間的に良い運転手さん」に成田行きを廻したいと思ってしまう。
運転手さんにも色々な方がおります。
「最寄り駅まで」
と言った途端、露骨にイヤな顔や態度をする方
お客様とドアマンでトランクに大きな荷物を積んでいるのに車から降りず手伝おうとしない方(降車時にも手伝わないんでしょうね)
ドアを思いっきり閉める方
そんな方には長距離を廻したくないと思ってしまう。
近距離でも嫌がらず笑顔で対応する運転手さんには「当たり」を引いてほしい。
ドア越しに接客を拝見しこの方には次に長距離が入ったら廻してあげよう、と考えている。
予め何時に成田空港や長距離が分かっている時は運転手さんの携帯電話に連絡をする。
「(長距離を)廻してあげたい」と思う運転手さんが何人かいる。
そんな事も考えながら仕事をしている。
先日、馴染みのタクシー運転手さんの一人と話しをしているとその後ろに
初めて見る若い運転手さんが着いた。
その方を交え話しをすると「僕、U村さんからここの場所を聞いてきたんですよ」
『おお、そういえば同じ帝○交通ですね。最近U村さん見えませんね?』
U村さんは最近全く姿を見せなくなって気にしていた。
「・・・U村さん亡くなったんですよ」
『え!!?・・・』
愕然とした
「胃が痛い、と普段から言っていて病院に行ったら末期ガンでした」
「このホテルから成田空港へ行ったのが最後の乗務でした」
タクシー運転手としてのその方の知ったのはドアマンに来てからのこの一年だったが6年前のベルボーイ時代にとあるロックバンドの運転手をされていた時に知っていた。
先任のドアマンからも好かれていたその人はいつも笑顔で近距離でも嫌がらずに対応する姿に私も好感を持っていた。
いつか成田空港行きを廻してあげたい!
しかしこれもまた運でそんな時に限って電話をしても休まれていたりで
なかなか当たってもらえない。
そんなある日、念願の成田行きが廻ってきた。
待機タクシーが並ぶ中で『廻してあげたい』運転手さんを探す。
あの人は前回廻してあげた
でも前にお世話になったから連続で廻そうか・・・
その後ろにU村さんの紺色セドリックが!
一瞬、躊躇したが念願の約束を果たす時がきた
他の運転手さんに悪いので大声で
『帝○交通さん、ご指名です!(ウソ)』
さらに『ゴメンなさい、近場です』
と他の運転手さんに聞こえるように付け足す。
『近場です』と言っても笑顔で「いいですよ」と答えてくれた。
タクシー乗り場に誘導して荷物を載せて
『実は成田空港です(笑)ヨカッタですね♪』
「ハイ!」
嬉しそうな笑顔だった。
喜んでくれた。やっと普段のお礼が出来た。
長かったな・・・
それにしてもイイ笑顔だったな
これでまたこのホテルに車を付けてくれるだろう。
その日を最後に姿を見なくなってしまった。
先週、長距離があったので携帯電話に架電しても出なかった。
あれが最後の姿だった
最後に成田空港へ行ってもらったのがせめてもの救いか
しかし
『成田を廻してもらった帰り道がきつかったそうで、それから会社に急遽戻って病院に行ったら即入院でした』
良かれと思って廻した成田はそのお身体には苦痛だったのだ
仕事だから仕方が無いと思ってはいるけど
所詮は私の自己満足に過ぎなかった
そんな事を考えていると中番のドアマンが来たので引継ぎをして
仮眠室に向かった。
昼の仮眠室は誰もおらず一人ベッドにもぐった。
下の名前も知らないし、仕事で逢うだけの関係
どんな家族がいたのかどんな人生だったのか
まったく知らない
それなのになぜだろう涙が出てきた
悲しくて仕方が無かった
弘兼憲史さんの島耕作シリーズの中で好きな言葉があります
『それが人生というもんだろう
人と出会い、人と別れる
人生というのは そのくり返しなんだ』
この言葉を思い出し諦める事にした。
さて、今度長距離が入ったらU村さんの後輩さんに廻そう
それにしても最後のあの笑顔は本当に素晴らしかったな
忘れる事はないだろう
タクシー利用客は大半が弊社からワンメーターの最寄り駅までです。
それでも時折成田空港までの長距離(約25,000)をご利用なる方もおられます。
どの運転手さんに成田行きが巡ってくるかは「運」しだいとなる訳ですが私も人間なので「人間的に良い運転手さん」に成田行きを廻したいと思ってしまう。
運転手さんにも色々な方がおります。
「最寄り駅まで」
と言った途端、露骨にイヤな顔や態度をする方
お客様とドアマンでトランクに大きな荷物を積んでいるのに車から降りず手伝おうとしない方(降車時にも手伝わないんでしょうね)
ドアを思いっきり閉める方
そんな方には長距離を廻したくないと思ってしまう。
近距離でも嫌がらず笑顔で対応する運転手さんには「当たり」を引いてほしい。
ドア越しに接客を拝見しこの方には次に長距離が入ったら廻してあげよう、と考えている。
予め何時に成田空港や長距離が分かっている時は運転手さんの携帯電話に連絡をする。
「(長距離を)廻してあげたい」と思う運転手さんが何人かいる。
そんな事も考えながら仕事をしている。
先日、馴染みのタクシー運転手さんの一人と話しをしているとその後ろに
初めて見る若い運転手さんが着いた。
その方を交え話しをすると「僕、U村さんからここの場所を聞いてきたんですよ」
『おお、そういえば同じ帝○交通ですね。最近U村さん見えませんね?』
U村さんは最近全く姿を見せなくなって気にしていた。
「・・・U村さん亡くなったんですよ」
『え!!?・・・』
愕然とした
「胃が痛い、と普段から言っていて病院に行ったら末期ガンでした」
「このホテルから成田空港へ行ったのが最後の乗務でした」
タクシー運転手としてのその方の知ったのはドアマンに来てからのこの一年だったが6年前のベルボーイ時代にとあるロックバンドの運転手をされていた時に知っていた。
先任のドアマンからも好かれていたその人はいつも笑顔で近距離でも嫌がらずに対応する姿に私も好感を持っていた。
いつか成田空港行きを廻してあげたい!
しかしこれもまた運でそんな時に限って電話をしても休まれていたりで
なかなか当たってもらえない。
そんなある日、念願の成田行きが廻ってきた。
待機タクシーが並ぶ中で『廻してあげたい』運転手さんを探す。
あの人は前回廻してあげた
でも前にお世話になったから連続で廻そうか・・・
その後ろにU村さんの紺色セドリックが!
一瞬、躊躇したが念願の約束を果たす時がきた
他の運転手さんに悪いので大声で
『帝○交通さん、ご指名です!(ウソ)』
さらに『ゴメンなさい、近場です』
と他の運転手さんに聞こえるように付け足す。
『近場です』と言っても笑顔で「いいですよ」と答えてくれた。
タクシー乗り場に誘導して荷物を載せて
『実は成田空港です(笑)ヨカッタですね♪』
「ハイ!」
嬉しそうな笑顔だった。
喜んでくれた。やっと普段のお礼が出来た。
長かったな・・・
それにしてもイイ笑顔だったな
これでまたこのホテルに車を付けてくれるだろう。
その日を最後に姿を見なくなってしまった。
先週、長距離があったので携帯電話に架電しても出なかった。
あれが最後の姿だった
最後に成田空港へ行ってもらったのがせめてもの救いか
しかし
『成田を廻してもらった帰り道がきつかったそうで、それから会社に急遽戻って病院に行ったら即入院でした』
良かれと思って廻した成田はそのお身体には苦痛だったのだ
仕事だから仕方が無いと思ってはいるけど
所詮は私の自己満足に過ぎなかった
そんな事を考えていると中番のドアマンが来たので引継ぎをして
仮眠室に向かった。
昼の仮眠室は誰もおらず一人ベッドにもぐった。
下の名前も知らないし、仕事で逢うだけの関係
どんな家族がいたのかどんな人生だったのか
まったく知らない
それなのになぜだろう涙が出てきた
悲しくて仕方が無かった
弘兼憲史さんの島耕作シリーズの中で好きな言葉があります
『それが人生というもんだろう
人と出会い、人と別れる
人生というのは そのくり返しなんだ』
この言葉を思い出し諦める事にした。
さて、今度長距離が入ったらU村さんの後輩さんに廻そう
それにしても最後のあの笑顔は本当に素晴らしかったな
忘れる事はないだろう