7月11日
いつもの旅行メンバーで佐久間レールパークに行ってきました。
遠い場所なので訪れる事はないと思っていました。
朝の5時に迎えに来てもらい途中で合流して現地に着いたのは10時半頃でした。かなり古い客車や電車がありました。
秋には閉館となるので列車が到着する度に多くの人が入場してきます。
通常内部は非公開ですが閉館記念イベントで一部の車内に
入る事が出来ました。
しかし渋い車両が並びます。
子供が知っていて喜ぶ車輌は0系新幹線くらいではないでしょうか。
0系新幹線は前頭部のみです。
車内に列車番号を設定するダイヤルがあったのですが
109号…
映画「新幹線大爆破」に出て来る列車番号になっていました。
私も保存車を見るにつけふたを開けて「109」と設定したいと思っていましたので
感動しました(笑)
7月の特別公開車輌はオヤ31という建築限界測定車でした。
全体写真を撮り忘れました(汗
左の車輌です。
当初は「地味な車に当たってしまったな~」
と思っていたのですが内部に入るとあまりの素晴らしさに感動。
非常ブレーキでしょうか?
トイレというより便所ですが
タイル貼りです。
便器の形が時代を感じさせます。
私はステンレスのものしか見た事がありません。
便水を流すレバーも・・・
洗面台だって
冷水器が出来る前のものでしょう。
上からヤカンで補給したのかな。
ブレーカー?ヒューズ?
作業机のブザーとコンセント
走る戦前建築みたいでした!
是非この車輌は次の博物館へ持って行って欲しいです。
車内には警備員の方が常駐されてました。
私は鉄道博物館は内部非公開でよいと思います。
保存されている車両は子供の遊具ではないし部品の盗難もある。
大阪の交通科学博物館のように時折公開してくれればと願います。
今回の車内公開もそんな思いがあり心配しておりましたが警備員さんがいるので安心しました。
中部天竜駅構内にいた気になるバス?気動車?
続く
いつもの旅行メンバーで佐久間レールパークに行ってきました。
遠い場所なので訪れる事はないと思っていました。
朝の5時に迎えに来てもらい途中で合流して現地に着いたのは10時半頃でした。かなり古い客車や電車がありました。
秋には閉館となるので列車が到着する度に多くの人が入場してきます。
通常内部は非公開ですが閉館記念イベントで一部の車内に
入る事が出来ました。
しかし渋い車両が並びます。
子供が知っていて喜ぶ車輌は0系新幹線くらいではないでしょうか。
0系新幹線は前頭部のみです。
車内に列車番号を設定するダイヤルがあったのですが
109号…
映画「新幹線大爆破」に出て来る列車番号になっていました。
私も保存車を見るにつけふたを開けて「109」と設定したいと思っていましたので
感動しました(笑)
7月の特別公開車輌はオヤ31という建築限界測定車でした。
全体写真を撮り忘れました(汗
左の車輌です。
当初は「地味な車に当たってしまったな~」
と思っていたのですが内部に入るとあまりの素晴らしさに感動。
非常ブレーキでしょうか?
トイレというより便所ですが
タイル貼りです。
便器の形が時代を感じさせます。
私はステンレスのものしか見た事がありません。
便水を流すレバーも・・・
洗面台だって
冷水器が出来る前のものでしょう。
上からヤカンで補給したのかな。
ブレーカー?ヒューズ?
作業机のブザーとコンセント
走る戦前建築みたいでした!
是非この車輌は次の博物館へ持って行って欲しいです。
車内には警備員の方が常駐されてました。
私は鉄道博物館は内部非公開でよいと思います。
保存されている車両は子供の遊具ではないし部品の盗難もある。
大阪の交通科学博物館のように時折公開してくれればと願います。
今回の車内公開もそんな思いがあり心配しておりましたが警備員さんがいるので安心しました。
中部天竜駅構内にいた気になるバス?気動車?
続く
S式便器と呼ばれるものなのかもしれません。
大阪交通科学博物館に保存されている80系湘南型のトイレも見てみたいと思う今日この頃。
>>電車フェチではありませんが
私も違うんですよ(笑)
残念ですね。
しかし本当に旧国鉄車両は丁寧に作られています。
大事にしたいものです。
追伸…熱海はもうすぐです。例の3名にも会いにいく予定です。
今頃はもう熱海に投宿されていますか?
夏の熱海はお客さんも多いでしょうね。
例の三名様にも宜しくお伝え下さい(笑
銀のステンレスは特急用でした。
昔の洗面所も面白かったです。
二つのバネの入ったコックがあり、これを加減しながらハの字の下を持って内側に寄せるのです。
そうすると洗面にちょうど良い温湯が溜められる
わけでして。
この水が金気臭くて鉄道の旅を満喫する気分になれました。消毒臭も汽車から降りてもしばらく残っていて「あ、このおじさん長い時間汽車に乗って旅してきたな」と
子供心にもよく分かったものでした。