彩雲家の三菱コルト1100はワンオーナーだと思われがちだが実は中古です。
母の姉さんのご主人の姉さんが初代オーナーでした。
昭和42年10月に購入され6年後の48年10月に彩雲家にやってきました。
彩雲4号その時2才。
『我が家にマイカーがやってきた』という記憶も無いし『祝納車♪』的な写真も無い。
幼稚園の頃に記憶があるのは「彩雲ちの車は古い」という認識が友達達にあったという事。
何しろ後ろのウインカーが赤一色であったりと昭和51,2年の頃でも「古臭さ」を醸し出していた。
ただし、「古い=凄い」というような目で友達も見てくれていた。
前回掲載した写真は小学1,2年の頃だったと思う。
あれが彩雲家で写したコルト最古の写真。
あの写真を写した時の事はよく覚えている。
浅草に墓参りに行った際、恒例の記念写真となった時の事。
この頃から私はコルトが大好きであったのだが何故か彩雲家には
「車と一緒の家族写真」が無かった。
それでこの時は父に
『たまにはコルトも入れてあげてよ』とお願いして兄がシャッターを切った。
よほど嬉しかったのだろう、昔の写真を見ても子供の頃の私は笑顔の写真は殆ど無いのにこの写真では満面の笑みを浮かべている。
それ以降もコルトの写真というのは少なくとも私が中学生になるまで父のカメラに収まる事はなかった。
家の「普通の道具」であったからだと思う。
昭和61年に中古のジェミニ1800LT(PFDジェミニ)がやって来た時点で
コルトは「彩雲家の第一線」から退いた。(このジェミニがやって来るにあたって
一騒動あったのだがそれはまたいつか書きます。)
「普通の道具」であった時の写真は不思議な位に写されていない。
父は家族の写真を撮るのが好きだったしコルトの修理&整備も自分で行ってきたのに。
さて、私がいつからか実現したいと思ってい事があります。
それは『前のオーナーの所にコルトで行く』こと。
なにしろちょっと遠い親戚になるので私が過去に会った事は10年以上前の法事か葬儀の時でしかない。その10年前にも父母は別の法事で前オーナーに会っていた。その際にコルトを見て「まだ乗っていたの?!!」と、とても驚いていた、と話してくれた。
そのお宅は町田市相原にあるので岩蔵温泉に行った帰りに立ち寄る事を考えていた。それが今回の旅行は「コルトで行かなければならない」理由。
あらかじめ母の姉さんから電話番号を聞き父母とお伺いする話しを付けていた。
岩蔵温泉から16号線で相原に向かう途中に何故かとても緊張していた。
どうって事は無いのに何故なのだろう?
町田市相原の道に入る。
コルトにとって30年ぶりに走る故郷の道はどう写っているのだろう。
キミはこの町で過ごしたんだね。
その頃とはすっかり代わってしまったでしょう。
コルトの鼓動を感じるかのようにハンドルを握りアクセルペダルを踏むが
いつも通りにコルトは快調に走る。
家の前の通りに近づくと叔父さんが手を振って迎えに来てくれた。
ついに到着した。
いや、帰ってきたのだ
キミはここに居たんだね…ここで私の知らない6年間を過ごしたのか
二度と帰って来る事は無いと思っていただろうね
コルトの前に軽トラがあり、その前にも車がある。そこがコルトの車庫だったそうな。
昔の車そのものに再会した時はどのような気持ちになるのだろう?
遥か昔に生き別れた息子に再会したような気持ちか、それとも子供達と過ごしたいろいろな思い出が走馬灯のように蘇り自然と涙が溢れ…
↑と勝手に妄想していたが、そこまでのドラマはなく。
『懐かしいわねぇー。免許を取った時すぐに買ったのよ。あれから何台も車を変えた。』と「普通に」懐かしがられる。
あ、あのここで泣いてもらう予定なんですが…
むむぅ~実際はそんなものなのでしょうね(笑)
彩雲妄想劇場 =終=
さて、上がらせて頂きお話を伺うとなんとコルトには兄弟がおったそうな!
近所に住む親戚に話しを持ちかけ「2台まとめて買うから安くして」と買ったそうな。
そしてコルト1100を選んだ理由は「セールスマンが売り込んで来たから」だそうな。
一時間位話し込んでお土産(お馬さんを飼っているから馬肉♪)を戴き後にしました。
長年の夢が実現出来てスッキリしました。
(初代オーナーの叔母さんと叔父さん。ありがとうございました)
あれ?今書いてて気づいたけど親戚のお宅は商売で馬を育てていて自宅に競走馬の写真をパネルにして飾る位に馬が好きでした。
『コルト(COLT)』の意味は若駒(3~4歳の小馬)だ。
名前で選んだのも選択肢の一つだったのかな?
偶然に私の本名にも「馬」が付いていたりします。
母の姉さんのご主人の姉さんが初代オーナーでした。
昭和42年10月に購入され6年後の48年10月に彩雲家にやってきました。
彩雲4号その時2才。
『我が家にマイカーがやってきた』という記憶も無いし『祝納車♪』的な写真も無い。
幼稚園の頃に記憶があるのは「彩雲ちの車は古い」という認識が友達達にあったという事。
何しろ後ろのウインカーが赤一色であったりと昭和51,2年の頃でも「古臭さ」を醸し出していた。
ただし、「古い=凄い」というような目で友達も見てくれていた。
前回掲載した写真は小学1,2年の頃だったと思う。
あれが彩雲家で写したコルト最古の写真。
あの写真を写した時の事はよく覚えている。
浅草に墓参りに行った際、恒例の記念写真となった時の事。
この頃から私はコルトが大好きであったのだが何故か彩雲家には
「車と一緒の家族写真」が無かった。
それでこの時は父に
『たまにはコルトも入れてあげてよ』とお願いして兄がシャッターを切った。
よほど嬉しかったのだろう、昔の写真を見ても子供の頃の私は笑顔の写真は殆ど無いのにこの写真では満面の笑みを浮かべている。
それ以降もコルトの写真というのは少なくとも私が中学生になるまで父のカメラに収まる事はなかった。
家の「普通の道具」であったからだと思う。
昭和61年に中古のジェミニ1800LT(PFDジェミニ)がやって来た時点で
コルトは「彩雲家の第一線」から退いた。(このジェミニがやって来るにあたって
一騒動あったのだがそれはまたいつか書きます。)
「普通の道具」であった時の写真は不思議な位に写されていない。
父は家族の写真を撮るのが好きだったしコルトの修理&整備も自分で行ってきたのに。
さて、私がいつからか実現したいと思ってい事があります。
それは『前のオーナーの所にコルトで行く』こと。
なにしろちょっと遠い親戚になるので私が過去に会った事は10年以上前の法事か葬儀の時でしかない。その10年前にも父母は別の法事で前オーナーに会っていた。その際にコルトを見て「まだ乗っていたの?!!」と、とても驚いていた、と話してくれた。
そのお宅は町田市相原にあるので岩蔵温泉に行った帰りに立ち寄る事を考えていた。それが今回の旅行は「コルトで行かなければならない」理由。
あらかじめ母の姉さんから電話番号を聞き父母とお伺いする話しを付けていた。
岩蔵温泉から16号線で相原に向かう途中に何故かとても緊張していた。
どうって事は無いのに何故なのだろう?
町田市相原の道に入る。
コルトにとって30年ぶりに走る故郷の道はどう写っているのだろう。
キミはこの町で過ごしたんだね。
その頃とはすっかり代わってしまったでしょう。
コルトの鼓動を感じるかのようにハンドルを握りアクセルペダルを踏むが
いつも通りにコルトは快調に走る。
家の前の通りに近づくと叔父さんが手を振って迎えに来てくれた。
ついに到着した。
いや、帰ってきたのだ
キミはここに居たんだね…ここで私の知らない6年間を過ごしたのか
二度と帰って来る事は無いと思っていただろうね
コルトの前に軽トラがあり、その前にも車がある。そこがコルトの車庫だったそうな。
昔の車そのものに再会した時はどのような気持ちになるのだろう?
遥か昔に生き別れた息子に再会したような気持ちか、それとも子供達と過ごしたいろいろな思い出が走馬灯のように蘇り自然と涙が溢れ…
↑と勝手に妄想していたが、そこまでのドラマはなく。
『懐かしいわねぇー。免許を取った時すぐに買ったのよ。あれから何台も車を変えた。』と「普通に」懐かしがられる。
あ、あのここで泣いてもらう予定なんですが…
むむぅ~実際はそんなものなのでしょうね(笑)
彩雲妄想劇場 =終=
さて、上がらせて頂きお話を伺うとなんとコルトには兄弟がおったそうな!
近所に住む親戚に話しを持ちかけ「2台まとめて買うから安くして」と買ったそうな。
そしてコルト1100を選んだ理由は「セールスマンが売り込んで来たから」だそうな。
一時間位話し込んでお土産(お馬さんを飼っているから馬肉♪)を戴き後にしました。
長年の夢が実現出来てスッキリしました。
(初代オーナーの叔母さんと叔父さん。ありがとうございました)
あれ?今書いてて気づいたけど親戚のお宅は商売で馬を育てていて自宅に競走馬の写真をパネルにして飾る位に馬が好きでした。
『コルト(COLT)』の意味は若駒(3~4歳の小馬)だ。
名前で選んだのも選択肢の一つだったのかな?
偶然に私の本名にも「馬」が付いていたりします。
本当に御自分のコルトを愛しておられるんですね。
コルトくんのふる里も、昔の風景のままのようで、とてもマッチしています。
「彩雲妄想劇場」には声をあげて笑ってしまいました。
つづきを楽しみにしております♪
私のZ750D1改の車検証入れの中には初代オーナーの住所氏名が記された強制保険証書が入っていました。買った店からは結構年配の方、とお聞きしており、いつかお訪ねしよう、と思っていたら自分が訪問される立場になってしまいました。アイツが10年後にひょっこり現れたら嬉しいな。でも妙な改造がされていなければ良いのですがね。
私も彩雲妄想劇場派ですが、現実は厳しいですね(笑)
きっと心の中では感動した事と思います。
「車と一緒の家族写真」は、意外とどのお宅でも少ないのでは。
私の家族ですら、旧車を除いた所有車とともに写真を撮った事がないかも。
恥ずかしながらW氏、大学の先輩で学科までいっしょ、学年はだいぶ違うのですが、小さな大学なので、何かの機会に名前を聞いた事があります。「盗作」にも色々なやり方があり、コンセプトを盗む、部分的に盗む、色使いを盗む・・・、バレないように上手くごまかすのですが、ここまでヤルのはチョッと珍しいです。はっきり言ってこれほど判り易い盗作は珍しいです!。
K画会にいる知り合いから聞いたのですが、実はこのW氏の件は前から噂になっており、K画会で内々に「いい加減にしろ!」と注意を受けていたようです。文化庁の文部大臣賞は税金でやっている賞ですから、さすがにけしからんと言う事になり、K画会の幹部がリークしたとの噂話を聞きました。
ある作家の憧れ、その作家への思いを込めて作品を創る事を「オマージュ」といいます、W氏の場合あそこまでやるとむしろコピー、模写のレベルです、本当に情けない!!。
>>「彩雲妄想劇場」には声をあげて笑ってしまいました。
おお!笑っていただけましたか(笑)♪いや、書いてなんか恥かしいな~と気になっていたものですから。
>>つづきを楽しみにしております
これがまた続かないんです。持続性が無くて(汗)
F先生
>>雑誌コラムに載って~
あらヤダ先生、言い過ぎですよ~(照)
ZUBEBIBOさん
>>妙な改造がされていなければ良いのですがね。
そうですね、あり得るから恐いですね(笑)コルトの場合はムーン化されていたら嫌です。
>>10年後にひょっこり現れたら嬉しいな。
う~ん・・・。私だったら最初の一分位は笑顔で懐かしいな~、と笑っていて・・・。急に涙が溢れその場で泣き崩れると思います。
あ、また妄想してしまった!
debopacerさん
>>きっと心の中では感動した事と思います。
ありがとうございます。
>>意外とどのお宅でも少ないのでは。
う~ん、やはりそうなのですかね。言われてみると有りそうで無いのかもしれません。
再びF先生
いつもながら先生の裏話しは面白いです!
なるほどそんな事情が。
さて横浜プリンスがついに無くなるそうですが・・・。
30年ぶりの里帰り……。
最初のオーナーさんが元気でないと実現しない企画ですね。
しみじみ読ませていただきました。
ぼくの乗っていたコルト1100は、北海道の実家に乗って帰った際、現地で廃車にしようとしたら、高校時代の友人が譲ってくれと言ったので、奇しくも数年、寿命が伸びました。
しかしぼくはめったに帰省しなかったので、
一度だけ彼のガレージで対面?しただけです。
その時はちょっと感動しましたが、それっきり忘れてしまっていたなあ。(笑)
手放してしまうと、現在のクルマに意識がいってしまって、脳裏の片隅に追いやられてしまうんですね。
>>一度だけ彼のガレージで対面?しただけです。
こういうお話が好きです♪
>>手放してしまうと、現在のクルマに意識がいってしまって、脳裏の片隅に追いやられてしまうんですね。
私は未練がましいので前に家族で乗っていたディーゼルジェミニすら懐かしく思い出しています。
またコメントをお願い致します。