熱海高原ロープウエイを作ったお土産屋の「みその」
熱海銀座の角にあって今はパチンコ屋の駐車場となっているという事しか分からない。
(現在の姿 駐車場看板の所)
どんな建物だったのか写真を見た事もない。
さまひさんから
「子供の頃に、それが銀座だったかどうかも分からないが熱海を
車で通るとビルの廃墟があった。
二階だか三階に古そうな文字で
「熱海銀座」と窓に書かれていた。
更に窓の中に木が生い茂り不気味だった。
あれが「みその」だったのかも」
と聞いていた。
その話を波さんに尋ねると
「それが『みその』ですよ。
閉店してしまい放置されて外壁の一部が落下したり美観を損ねたりしていたので熱海新聞にも『どうするんだ』みたいに書かれていましたから」
二階だかに木が生い茂っていたとか…
「中の観葉植物が自然増殖してしまったのでしょうね」
やはりさまひさんが幼少の頃に見た熱海の廃墟はみそのだったのだろう。
やっと探した写真にはうっすらと「みその」の文字が見える。
(東海民報昭和42年より)
背面板付きの信号機も懐かしい・・・
肝心な二階より上の姿が分からないのが残念。
しかし、土産屋さんとしてはかなり規模の大きな店舗だった事が伺える。
私も幼少の頃に熱海を何度も訪れていたが父の勤める会社の保養所は
駅の裏側だったので銀座を通った記憶がまるで無い。
もしもあの時にみそのの前を通っていたら、強烈な印象を植え付けられ後年
さまひさんと語り合ったのだろう。
廃墟時代を知るさまひさんが羨ましい。
さまひさん、この建物ですよね?
熱海銀座の角にあって今はパチンコ屋の駐車場となっているという事しか分からない。
(現在の姿 駐車場看板の所)
どんな建物だったのか写真を見た事もない。
さまひさんから
「子供の頃に、それが銀座だったかどうかも分からないが熱海を
車で通るとビルの廃墟があった。
二階だか三階に古そうな文字で
「熱海銀座」と窓に書かれていた。
更に窓の中に木が生い茂り不気味だった。
あれが「みその」だったのかも」
と聞いていた。
その話を波さんに尋ねると
「それが『みその』ですよ。
閉店してしまい放置されて外壁の一部が落下したり美観を損ねたりしていたので熱海新聞にも『どうするんだ』みたいに書かれていましたから」
二階だかに木が生い茂っていたとか…
「中の観葉植物が自然増殖してしまったのでしょうね」
やはりさまひさんが幼少の頃に見た熱海の廃墟はみそのだったのだろう。
やっと探した写真にはうっすらと「みその」の文字が見える。
(東海民報昭和42年より)
背面板付きの信号機も懐かしい・・・
肝心な二階より上の姿が分からないのが残念。
しかし、土産屋さんとしてはかなり規模の大きな店舗だった事が伺える。
私も幼少の頃に熱海を何度も訪れていたが父の勤める会社の保養所は
駅の裏側だったので銀座を通った記憶がまるで無い。
もしもあの時にみそのの前を通っていたら、強烈な印象を植え付けられ後年
さまひさんと語り合ったのだろう。
廃墟時代を知るさまひさんが羨ましい。
さまひさん、この建物ですよね?
私はこの記事を読んで鳥肌が立ちました!
というのも記憶にはあったものの、この20年間で一度も思い出すことなく今、久しぶりにこのお土産屋さんのことを思い出したからです。
小学生の頃、近所に住んでいた私たち家族は真夜中のサイレンに叩き起こされました。慌てて外へ出てみるとこの建物の火災でした。大勢の人が集まり騒然としていたのを子供ながらに憶えています。とても怖かったです。
その後ご存知のように廃墟になったこの建物ですが、私が小学生の時にかよっていた書道教室が道路を挟んだ向かいのビルの5階にありまして、いつもそこから黒こげになったビルの内部や屋上、バルコニーなどが生々と見えてとても怖かったのを憶えています。道路からはベニヤなどの目隠しでバリケードが作られていたものの、隣のビルからは丸見えでした。屋上やバルコニーは洒落た洋風の造りをしていて、それらが更に不思議空間的な要素を醸し出し、バリバリに割れたままのガラスなど、火事の廃墟独特の不気味さを一層高めていたという感じです。
今も鮮明に記憶に残っています。怖かった…
お名前を出してくれてありがとうございます。
>>私はこの記事を読んで鳥肌が立ちました!
ありがとうございます!書いた甲斐がありました♪
火事があったのですか?!!!
・・・・・・・。
いえ、全然知りませんでした!!
何年頃だったのでしょう(汗)
閉店後に廃墟になって火事があったのでしょうか。
貴重な情報をありがとうございました。
不思議なもので、正面から写された写真は、あまり記憶に合致しません。
むしろ、先日アップしていただいた写真の、あの2~3階の細長い窓が連なる様子の方が、思い出とよく重なります。
思い起こせば、1階はすでにシャッターか板で封鎖されており、営業中のようすとはかけ離れていたことでしょう。
おぼろげながら、車のリアシートに寝っ転がりながら見上げたような記憶もあります。だとすると余計、上層階のイメージが強いのかもしれませんね。
おぼろげといえば、火事の件、そういえばあのころそんな話を聞いたことがあるようなないような・・・。
昔の写真を見ると熱海の町は本当に活気がありましたね。
ここにもこんな建物があったんですね。
正月にまた行くかな~愛しの熱海に。
火災があったのは鮮明に覚えています。
今から25年位前だと思います。
記憶では火災の後に廃墟になったものと思いましたが
なんせ小学生低学年でしたので、そのあたりの認識は
グレーです(汗)すみません…。
さまひ様の「細長い連なる窓」は私もイメージが合致
いたします。当時はまだ珍しいまるでガラス張りの
ような洋風的?な感じがしました。
こうなると何とか「閉鎖中」の姿の写真を発掘したいです。
>>車のリアシートに寝っ転がりながら見上げたような~
子供の頃ならではの見え方ですな。
三州小僧さん
>>ここにもこんな建物があったんですね。
そうなんです。跡地を眺めていると「昔日」に思いを馳せます。
DMRさん
>>長文失礼致しました…。
いえいえとんでない!嬉しかったです。
>>今から25年位前だと思います。
その記事を探す手がかりになりそうです。
>>そのあたりの認識はグレーです
私も地元の昔の事件は覚えていませんので
お気になさらないで下さい。
火災があった事が分かっただけでも大収穫です。
>>写真を発掘しなければなりませんね。
そうです「しなければならない」です(笑)
そして「閉店中」も。
あのビル、屋上に白い女性の像が立ってたと思うのですが…
単なる記憶違いかなぁ?
私も以前に福島屋旅館さんの所で
白い女性の像がビルの屋上に立っている写真を見ました。
あれが「みその」だったのか?と思っているのですが・・・
(自由の女神かと思っていました)