熱海銀座の名建築「みそのビル」もついに終焉の時を迎えます。
昭和58年4月3日の熱海新聞より
--------------------------------------------------
-温泉や郷土観光物産館-
-噴水の”ふれ合い広場”等-
― 銀座に新名所ビル ―
-老朽ビル解体で新建築!!-
あつと言う間に消えた老朽ビル
もうありません!!
老朽化して付近住民から危険だから改造をと云われ県や市も
所有者に対して改造するよう再三の指示を行っていたが所有者が
言を左右にして放置していた「みそのビル」が解体作業が進められ
殆ど作業が終わりに近づき長年の懸案をとなっていた事が解決に
近づき県も一安心。
これは老朽化したビルに手をやいている事を聞いた鉄建建設が協力することになり、
このほど同ビルの所有者柏木商事と売買契約をすませ工事を進めていたもので、
取りこわしが終了した時点で市内の有志と協議し観光地熱海の名に
恥じないものを建設していく意向だという。
聞くところによると、一階はビル内に公園をということで噴水を
あしらったふれ合い広場、上のフロアには温泉資料館、郷土資料館、
観光物産館等を設けていくもようである。
解体工事は近代工法で騒音もなく、あっと言う間に写真の旧ノッポビルが
なくなり、近く新ビルが建設される。
昭和58年4月3日 熱海新聞
やっとみそのビル解体の記事を見つけました。
もちろん「火事騒動」の記事も探しましたが見つけられませんでした。
ボヤ程度の小さな火事だったので記事にならなかったのでしょう。
さて今回の記事発掘で長年の疑問が解けました。
今回は前回のビル画像よりもはっきりと写っています。
さまひさんから
『2階部分に木が生い茂り不気味だった』
と聞いていたのですが
私は「2階の内部に放置された観葉植物が自然増殖したのか」
と思っておりました。
しかしこれを見ると・・・
ビル内部ではなく歩道上のアーケード部分に熱帯植物っぽい木々があります。
さまひ少年が見た『不気味な木』と言うのはこれだったのでしょう。
みその社長は熱海高原観光株式会社を経営されていたので
『熱海サボテン公園』のイメージも合わせたのでしょうか。
こちらは約15年前の昭和42年7月16日
熱海例大祭を報じるサンデータイムス。
後方にみそのビルが見えます。
熱海高原ロープウェイの開業は同年10月なのでビル内は
活気に満ちていた事でしょう。
拡大してみましょう。
ガラスは割られているのではなく開いています。
木の大きさが解体前と変わらないように思えるので
『作り物』だったのかもしれません。
そして時は平成へと変わっても
噴水や資料館も出来る事はなくパチンコ店の駐車場となり今に至ります。
昭和58年4月3日の熱海新聞より
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-温泉や郷土観光物産館-
-噴水の”ふれ合い広場”等-
― 銀座に新名所ビル ―
-老朽ビル解体で新建築!!-
あつと言う間に消えた老朽ビル
もうありません!!
老朽化して付近住民から危険だから改造をと云われ県や市も
所有者に対して改造するよう再三の指示を行っていたが所有者が
言を左右にして放置していた「みそのビル」が解体作業が進められ
殆ど作業が終わりに近づき長年の懸案をとなっていた事が解決に
近づき県も一安心。
これは老朽化したビルに手をやいている事を聞いた鉄建建設が協力することになり、
このほど同ビルの所有者柏木商事と売買契約をすませ工事を進めていたもので、
取りこわしが終了した時点で市内の有志と協議し観光地熱海の名に
恥じないものを建設していく意向だという。
聞くところによると、一階はビル内に公園をということで噴水を
あしらったふれ合い広場、上のフロアには温泉資料館、郷土資料館、
観光物産館等を設けていくもようである。
解体工事は近代工法で騒音もなく、あっと言う間に写真の旧ノッポビルが
なくなり、近く新ビルが建設される。
昭和58年4月3日 熱海新聞
やっとみそのビル解体の記事を見つけました。
もちろん「火事騒動」の記事も探しましたが見つけられませんでした。
ボヤ程度の小さな火事だったので記事にならなかったのでしょう。
さて今回の記事発掘で長年の疑問が解けました。
今回は前回のビル画像よりもはっきりと写っています。
さまひさんから
『2階部分に木が生い茂り不気味だった』
と聞いていたのですが
私は「2階の内部に放置された観葉植物が自然増殖したのか」
と思っておりました。
しかしこれを見ると・・・
ビル内部ではなく歩道上のアーケード部分に熱帯植物っぽい木々があります。
さまひ少年が見た『不気味な木』と言うのはこれだったのでしょう。
みその社長は熱海高原観光株式会社を経営されていたので
『熱海サボテン公園』のイメージも合わせたのでしょうか。
こちらは約15年前の昭和42年7月16日
熱海例大祭を報じるサンデータイムス。
後方にみそのビルが見えます。
熱海高原ロープウェイの開業は同年10月なのでビル内は
活気に満ちていた事でしょう。
拡大してみましょう。
ガラスは割られているのではなく開いています。
木の大きさが解体前と変わらないように思えるので
『作り物』だったのかもしれません。
そして時は平成へと変わっても
噴水や資料館も出来る事はなくパチンコ店の駐車場となり今に至ります。
何気無い「熱海の廃墟ビルの思い出」の話から、ここまでいろいろなことがわかるとは思いませんでした。
そもそも熱海高原ロープウェイを探検したころはみそのとのつながりすら知らなかったのですから、幼少の思い出とひとつのストーリーになっていたというのも、なんとも不思議な気がします。
こうして晩年の写真を見ると、記憶に当てはまっているところ、逆に実際は違っていたところとあるのですが、正確な写真を後年見てしまうと、記憶がそれに修正されてしまったりするものです。
ところが今回は、あの思い出のビルは、今でも写真と違う部分もそのままに自分の記憶に残ったままです。それだけ異様をさらしていたことが鮮烈だったということでしょうか。
窓の文字、もしかするとアーケードの文字を見間違えたのかもしれません。
でも自分の記憶の中では、窓の中に描かれた、大正チックな自体の「熱海銀座」なのです。それがたとえ記憶違いだったとしても・・・。
いとすけさん
ご無沙汰しております。
>>今でも、まだふと見るとこのように老朽しているビルがあったりして心躍るところがありますが~
ありますね~(笑
同じく心躍ります(笑
>>近隣にはかなり圧迫感があったでしょうね。
でしょうね~。私が近所だったら何とか潜入を試みていたかもしれません。でも不気味なので尻込みしてそうです。
>>どこからこんなにお金でてきたんでしょうかね?
こればかりは熱海銀座で聞き込みをするしかなさそうですね。
本当にどこから?
さまひさん
>>そもそも熱海高原ロープウェイを探検~
そうでしたね。まだ「みその」の存在すら知らなかったのですから。
>>幼少の思い出とひとつのストーリーになっていたというのも、なんとも不思議な気がします。
確かに不思議です。幼少の思い出が今に繋がる旅行だたりするのですから。
>>記憶がそれに修正されてしまったりするものです。
私にもあります。ドリーム交通線がまさにそれです。
>>それだけ異様をさらしていたことが鮮烈だったということでしょうか。
実際に見た感じを想像するとかなり怖そうです。
カラー写真が発掘されないでしょうか。
絶対にあの姿を写した方がいると思うのですが。
>>窓の中に描かれた、大正チックな自体の「熱海銀座」なのです。
いやきっとあったのでしょう。私もそう思います!
なんとか画像を探したいです。