読書案内「海は見えるか」真山仁著
⑤ 海は見えるか
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どんなに高い防潮堤を築いても、自然の猛威にはかなわない。
防潮堤が高くなればなるほど、海は人々の生活から遠ざかってしまう。
海の近くに住みながら、海が見えない。
防潮堤の高さは二メートル強から十五メートル強までと被害の程度によって異なり、
総延長は400㌔にもなる。
津波が町を襲う前、この町には美しい松林が続いていた。
この町で育った人々は、成長する過程で誰だって、一つや二つの思い出を持っている。
高台に集団移転した町。
防潮堤建設か。
懐かしい松林の復活か。
そこに生活する人の命を守り、街を守ることに変わりはないのだが、
方法論が異なるから気まずい思いが住民たちの間に広がって行く。
あんな大津波が再び来た時のために防潮堤が必要だと国や知事、市長は主張する。 |
学校の若い教師たちを巻き込みながら、防潮堤論争は反対運動をへと広がっていく。
児童たちの一部も反対運動に参加していくことになるが、教育委員会や校長は児童が
政治運動に参加するとは何事かと頭ごなしに叱責する。
若い教師たちの活躍が期待される……
東日本大震災から7年半が過ぎた。
報道の量はかなり少なくなったが、
心に傷を負い、未だ立ち直れない人たちも多くいると聞きます。
物理的な復興はカネと時間をかければ、回復してい行くが、
何ものにも代えがたいものを亡くした人たちにとっては、
辛い7年半だったに違いない。
記憶は時間の流れに伴い、少しづつ薄れていきます。
私たちが遭遇した震災をどのような形で未来を担う子どもたちに
伝えていったらいいのだろう。
「自然との共存」というテーマは難しいが、
対立する考え方では、私たちが築いてきた文明は衰退していきます。
「自然と人間」の共存できる社会は、目前の危機を回避するだけの政治体制では
解決できない。
どんなに便利で快適な社会を実現しても、「自然との対立」の上に築いた社会は
砂上の楼閣のように脆(もろ)いことは、最近頻繁に起きている自然災害が証明している。
100年先をみつめる姿勢がなければ、住みよい社会の実現はあり得ないと思います。
現実の快適さを求めるのも仕方のないことだが、少し我慢をして
10年先、20年先をみんなが考えたら、今よりもいい社会が実現すると思う。
そんなことを考えさせてくれる、東日本災害をテーマにした連作短編集でした。
5編を紹介しましたが、他に「砂の海」「戻る場所所はありや」があります。
(おわり)
(2018.9.17記) (読書案内№130)