雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「海は見えるか」 真山 仁著 ⑤ 海は見えるか

2018-09-18 09:26:06 | 読書案内

 読書案内「海は見えるか」真山仁著
  ⑤ 海は見えるか

 
   東日本大震災による甚大なる被害を受けて、
  政府は約一兆円の予算規模で防潮堤整備に乗り出した。       
  巨大な防潮堤が、果たして災害防止の最良の方法なのかという見当もなく、
  まるで行き当たりばったりとしか思えぬ案がまかり通っている。
   ……そんな中で松原海岸にも防潮堤の建設が決定したのだが、
  いよいよ着工という段になって住民から計画見直しの声が上がったのだ。
                         「海は見えるか」より

  どんなに高い防潮堤を築いても、自然の猛威にはかなわない。
  防潮堤が高くなればなるほど、海は人々の生活から遠ざかってしまう。
  海の近くに住みながら、海が見えない。
 
  防潮堤の高さは二メートル強から十五メートル強までと被害の程度によって異なり、
    総延長は400㌔にもなる。

 津波が町を襲う前、この町には美しい松林が続いていた。
 この町で育った人々は、成長する過程で誰だって、一つや二つの思い出を持っている。
 高台に集団移転した町。
 防潮堤建設か。
 懐かしい松林の復活か。
  そこに生活する人の命を守り、街を守ることに変わりはないのだが、
  方法論が異なるから気まずい思いが住民たちの間に広がって行く。

  あんな大津波が再び来た時のために防潮堤が必要だと国や知事、市長は主張する。
 でも、僕は海が見えないのが一番いけないと思います。
 ぞっとするような引き波が見えたから、僕は一刻も早く逃げなければと思った。
 …… 海の恵みで潤う時もあれば、海に牙をむかれひどい目にあうこともある。
 でも、それが海と共に生きるという意味なんだと思います。
                                「海は見えるか」より

  学校の若い教師たちを巻き込みながら、防潮堤論争は反対運動をへと広がっていく。
 児童たちの一部も反対運動に参加していくことになるが、教育委員会や校長は児童が
 政治運動に参加するとは何事かと頭ごなしに叱責する。
 若い教師たちの活躍が期待される……

    東日本大震災から7年半が過ぎた。
    報道の量はかなり少なくなったが、
    心に傷を負い、未だ立ち直れない人たちも多くいると聞きます。
    物理的な復興はカネと時間をかければ、回復してい行くが、
    何ものにも代えがたいものを亡くした人たちにとっては、
    辛い7年半だったに違いない。

    記憶は時間の流れに伴い、少しづつ薄れていきます。
    私たちが遭遇した震災をどのような形で未来を担う子どもたちに
    伝えていったらいいのだろう。
    「自然との共存」というテーマは難しいが、
    対立する考え方では、私たちが築いてきた文明は衰退していきます。
    「自然と人間」の共存できる社会は、目前の危機を回避するだけの政治体制では
    解決できない。
    どんなに便利で快適な社会を実現しても、「自然との対立」の上に築いた社会は
    砂上の楼閣のように脆(もろ)いことは、最近頻繁に起きている自然災害が証明している。
    100年先をみつめる姿勢がなければ、住みよい社会の実現はあり得ないと思います。
    
    現実の快適さを求めるのも仕方のないことだが、少し我慢をして
    10年先、20年先をみんなが考えたら、今よりもいい社会が実現すると思う。
    
    そんなことを考えさせてくれる、東日本災害をテーマにした連作短編集でした。
    5編を紹介しましたが、他に「砂の海」「戻る場所所はありや」があります。
                                                                                        (おわり)

     (2018.9.17記)   (読書案内№130)

     


 

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