雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

田山花袋著「田舎教師」のモデル・現地を訪ねて(3)

2010-09-18 13:50:18 | 旅の途中(文学の散歩道)
 松原跡地に建つ文学碑については、前回(2)でも示しましたがもう一度書き込みます。

『絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうな まことなる生活を送れ 
 運命に従ふものを勇者という』とある。

 この文学碑の文章は清三の真摯な生き方を思わせて彷彿とする。
 碑文は、清三の日記からの抜粋であるが、日記はさらに続く。

 清三の日記。
  『弱かりしかな、不真面目なりしかな、幼稚なりしかな、空想児なりしかな、
 今日よりぞわれ勇者たらん、今日よりぞわれ、わが以前の生活に帰らん』

 決意も新たに、再出発を期す清三だが、
 その頃すでに清三の体は病魔・結核に蝕まれ始めていた。

  弥勒高等小学校跡地から県境の利根川の近くには、利根川松原跡があります。
 主人公の林清三が子どもたちとしばしば訪れた場所です。
 原作の描写は、

  『平凡なる利根川の長い土手、その中でここ十町ばかりの間は
  松原があって景色が目覚めるばかりに美しかった……』とあるが
  今はその面影はなく、まさに「松原跡」なのです。

  ふたたび原作から、
  『清い理想的の生活をして自然の穏やかな懐に抱かれていると思った田舎もやはり
  闘争の巷、利欲の世であることがだんだんわかってきた。 (略) 彼はある日、
  また利根川のほとりに生徒を連れていったが、その夜、
  次のような新体詩をつくって日記に書いた』

    松原遠く日は暮れて
      利根の流れのゆるやかに
    ながめ淋しき村里の
      ここに一年(ひとせ)かりの庵(いほ)

    はかなき恋も世も捨てて
      願いもなくて誰一人
    さびしく歌ふわがうたを
      あわれと聞かんすべもがな
           (写真は利根川松原跡に建つ文学碑・原作の中の詩です)

   この小説の最終章。
    『秋の末になると、いつも赤城おろしが吹渡って、
    寺の裏の森は潮(うしお)のように鳴った。
    その森の傍らを足利まで連絡した東武鉄道の汽車が
    朝(あした)に夕(ゆうべ)にすさまじい響を立てて通った』

      寒村の荒涼とした風景は、理想を追い、真摯に生きようとしながら
     21歳で病死した清三の若き日の心象風景だったのかもしれない。


         小林秀三について(小説では林清三)

           秀三は学校の成績も良く特に「理科」「音楽」「作文」に
           すぐれたものがあったようです。埼玉第二中学校を卒業す
           し、弥勒高等小学校の教師になりました。
            月給は12円、良き友人や同僚に恵まれた生活でしたが、
           友人たちがそれぞれの道で活躍する姿を見聞きするにつれ
           田舎の教師としての自分にあせり、苦悩しながら与えられた
           人生を精一杯生きようと努力するが、3年余りの教師生活で
           21歳という若さで病死してしまいます。
            死後発見された秀三の日記をもとに、5年の歳月をかけて
           田山花袋は「田舎教師」を書きあげ自然主義文学の代表作に
           なりました。
            モデルとなったのは、秀三だけでなく彼を取り巻く7~8名
           の実在者がいますがここでは割愛します。
         
                                    (おわり)

                             旅の途中№1(田舎教師③)

      



      

     


 

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