原爆投下(非人道的無差別爆弾)
広島の原爆
1945年8月6日午前8時15分、米軍は約35万人が暮らしていた広島市に原子爆弾を投下、街は焦土と化した。
投下された原子爆弾「リトルボーイ」は地上約600㍍で炸裂。
中心温度が100万度を超えた火の玉は、1秒後に最大約280㍍に膨らみ、
衝撃波の後の爆風は最大で秒速440㍍に及んだという。
5万棟以上が全壊・全焼した。1945年末までに推計で14万人の死者を出した。
「全身にやけどを負った人々が街を彷徨う姿が忘れられない」
……増野幸子さん(85)は、広島電鉄家政女学校の学生だった。
学校の寮で被爆し、背中に無数のガラス片が刺さったという。
「戦後、被爆を理由に差別されることまあった」と言います。
「先に逃げて」「しっかりしんさい」……児玉豊子さん(87)は、電車を運転中、爆風で地面に飛ばされた。
逃げる途中で2人は出会い、避難所までの10㌔以上を励まし合って歩いたそうです。
長崎の原爆
1945年8月9日午前11時02分、人口24万人(推定)の長崎市に原爆が投下された。
およそ74,000人が死亡し、建物の約36%が全焼、または半壊した。
長崎に投下されたプルトニウム原子爆弾「ファットマン」は、
広島のウラン原子爆弾「リトルボーイ」の1.5倍の威力があったが、
長崎は周囲を山に囲まれていたために、爆熱や爆風が山にさえぎられ、広島よりは被害が少なくて済んだようです。
風化する原爆の記憶
広島の原爆投下の日付を知っている小中学生は、
市教育委員会の調べによると小学生33%、中学生56%だった。
15年前の調査では、小学生56%、中学生75%だった。
平和教育や原爆報道が盛んな広島での調査さえ「風化」の現象が明らかなのだから、
全国的にはもっと知らない小中学生が多いだろう。
原爆の悲劇を語り伝え、次世代に平和の尊さを教えるのは、私たち大人の責務と考えます。
(2015.8.12記)
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