雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

原爆投下

2015-08-12 18:00:00 | 語り継ぐ戦争の証言

原爆投下(非人道的無差別爆弾)

  広島の原爆 

  1945年8月6日午前8時15分、米軍は約35万人が暮らしていた広島市に原子爆弾を投下、街は焦土と化した。

 投下された原子爆弾「リトルボーイ」は地上約600㍍で炸裂。

 中心温度が100万度を超えた火の玉は、1秒後に最大約280㍍に膨らみ、 

 衝撃波の後の爆風は最大で秒速440㍍に及んだという。 

 5万棟以上が全壊・全焼した。1945年末までに推計で14万人の死者を出した。

 「全身にやけどを負った人々が街を彷徨う姿が忘れられない

……増野幸子さん(85)は、広島電鉄家政女学校の学生だった。

学校の寮で被爆し、背中に無数のガラス片が刺さったという。

戦後、被爆を理由に差別されることまあった」と言います。

「先に逃げて」「しっかりしんさい」……児玉豊子さん(87)は、電車を運転中、爆風で地面に飛ばされた。

逃げる途中で2人は出会い、避難所までの10㌔以上を励まし合って歩いたそうです。

  長崎の原爆 

  1945年8月9日午前11時02分、人口24万人(推定)の長崎市に原爆が投下された。

およそ74,000人が死亡し、建物の約36%が全焼、または半壊した

長崎に投下されたプルトニウム原子爆弾「ファットマン」は、

広島のウラン原子爆弾「リトルボーイ」の1.5倍の威力があったが、

長崎は周囲を山に囲まれていたために、爆熱や爆風が山にさえぎられ、広島よりは被害が少なくて済んだようです。

  風化する原爆の記憶 

  広島の原爆投下の日付を知っている小中学生は、

市教育委員会の調べによると小学生33%、中学生56%だった。

15年前の調査では、小学生56%、中学生75%だった。

平和教育や原爆報道が盛んな広島での調査さえ「風化」の現象が明らかなのだから、

全国的にはもっと知らない小中学生が多いだろう。

原爆の悲劇を語り伝え、次世代に平和の尊さを教えるのは、私たち大人の責務と考えます。

           (2015.8.12記)

  

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