馬鹿の上塗り アルマーニ騒動 ②
今回は校長の保護者への説明の全文を掲載する予定でしたが、
長い説明文になってしまいますので、要点を抜粋しながら騒動の問題点を考えようと思います。
原文は2017年11月17日付の「平成30年度からの標準服の変更について」と題した保護者向けの文書です。
特認校として本校を選択された保護者の思いと、学校側の思いのすれ違いを感じる。
説明文冒頭の導入部分の文章だが、更に
どのような思いや願いがあって本校を選択されたのかが分からなくて、思案に暮れることがあります。
泰明小学校という学び舎の気高さ。この伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇りとか、泰明小学校が醸し出す「美しさ」は保っていかなければと、緊張感をもって学校経営してきました。
しかし、私が泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていることとはかけ離れた様子、事実があることも否めません。なぜ、本校を選択されたのですかと問い返したいと思う出来事や対応が多いこと、これが泰明の実態だったのでしょうかと、学校を管理する者として思い悩むこともしばしばです。
学校側の思いと、児童や父兄との思いがかけ離れている。と述べながらどんなことがどのように異なるかが、具体的に示されていないか単なる抽象論に終わってしまい、これを読んだ保護者は首を傾げてしまうだろう。
言動、もちろん、公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられないと思うことも度々です。もちろん、全員がそうだとは言いません。みそらの星賞などを設定し、この子ならばと推薦された児童が褒賞を受けることもあって、ほっとする面もあるのですが、それに反して、がくっと心折れる場面の多いことも事実です。
全文を読んでいて違和感を覚えるのは、「泰明の子らしく」とか「泰明小学校の児童はかくあるべきだ」とかまるで教育の理念から外れたような精神論が掲げられていてとても違和感を覚えます。
対外的にも「泰明小」そして「泰明の子」は注目されます。そういう衆目に答える姿であるかどうか、校長は危惧しているように思われます。こうした考え方から生まれてくるのは、やっぱり選民主義であり特権主義なのではないか。これはある種の差別化にもつながるのではないでしょうか。
泰明小は銀座の中の特認校なのにそんな意識がだんだん薄れてきていると危惧しているとも述べています。確かに学校は地域に開かれ門戸を広くすることが必要です。しかし、それは生徒たちに無理やり押し付けるものではないでしょう。
「どのように地域の特色を児童に理解させるか」これこそが教師や校長の大切な役目ではないか。地域性とか、愛校心が薄れていくことを、児童や保護者のせいにするのはおかしいのではないか。
① で少し触れましたが、「伝統と風格」を維持するということは、古きを改め新しきを取り入れるということです。過去のカビの生えた「伝統と風格」を頑なに守ろうとしてもそれは時代遅れという現実にそぐわない理念になってしまうでしょう。
「伝統と風格」が失われていくと危機感を抱くのであれば、教職員や保護者との話し合いの場を設け、率直な話し合いをすべきではないだろうか。上から目線の孤高の校長には無理な要求なのかもしれない。
(つづく)
アルマーニ騒動にいたるための校長の考え方を、「保護者への説明文」から抽出し、違和感を覚えることを述べてみました。次回は「アルマーニ騒動」のどこに問題があるのか具体的に考えていきたいと思います。
(2018.02.28) (昨日の風 今日の風№89)
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