8月6日、広島は米国の原爆投下の日から、67年目の「原爆の日」を迎えた。
平和宣言のなかで広島市長は、
東日本大災害と原発事故を「御堂の大惨事と言い、
「前向きに生きようとする被災者の姿」が、「67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。必ず訪れる明日への希望を信じてください」
と励ましながら、核廃絶の決意を訴えた。
平和祈念式典で野田首相は、核の問題を、
「人類は核兵器の惨禍を決して忘れてはいけない。人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません」
と訴え、
「政府は、脱原発依存の方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」
と挨拶された。
核と人類は絶対に共存できないのです。
国策によってエネルギー政策を原発推進に注いで来た政府だが、
経済界や族議員や原発産業に携わる大勢の推進派を、
また、「原子力ムラ」のなんとも頭の固い推進派の学者、研究者、技術者を、
「脱原発」へとどのように導いていくのか。
その方向性を具体的に国民に明示してほしい。
私たちは次のような、血涙にむせぶような苦しみや悲しみの叫びを、
二度としたくないから。
「原爆詩集」 序 峠三吉「原爆詩集」より
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ
※ 峠三吉(1917・大正6年-1953・昭和28年)
爆心地より3Kmの広島市翠町で被爆。
1951・昭和26年「にんげんをかえせ」ではじまる原爆詩集を自費出版し、
原爆被害を告発し、その体験を広めた。その2年後病死。
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