真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 ③ 機能しないジャイロコンパス
前回は、五艇を乗せた特殊潜航艇の母艦が、ハワイ・オアフ島の海域近く
まで近づき、命を懸けた作戦を遂行する興奮と不安で緊張し、母艦の甲板
に仁王立ちする酒巻の姿を描いた。
特殊潜航艇とは
本題に入る前に、特殊潜航艇・甲標的について説明しておきます。
甲標的は魚雷2本を艦首に装備し(前回の写真及び図を参照)、鉛蓄電池によって行動
する小型の潜航艇だ。
乗員2名で、操縦士が座り、指揮官は立ったまま潜航する。開発当初は洋上襲撃
を企図して設計されたが、後に潜水艦の甲板に搭載し、水中から発進して港湾・泊
地内部に侵入し、敵艦船を攻撃する戦術に転換された。
連合艦隊司令長官山本五十六に甲標的の作戦が具申されたとき、山本は奇襲案に
は賛成だったが、甲標的作戦では、攻撃後の収容が困難なため、採用しなかった。
しかし、改善策を作り、数回陳情し採用に至った経緯がある。
甲標的の部隊は「特殊攻撃隊」と命名された。真珠湾奇襲攻撃には五艇の特殊潜
航艇に計十名の隊員が乗り込んだ。結果的にみれば、真珠湾内に侵入できた艇は皆
無で九名が戦死し、酒巻和男のみが、第二次大戦捕虜第一号として米軍に確保
された。
酒巻和男の手記
ジャイロコンパスが機能しない。しかし、いまさら……。
昭和16年12月、開戦前日の暁近いころである。
母艦の部屋に戻り、私は整備日誌に恐ろしい最後の記録を綴った。
それはいくら整備しても、ジャイロコンパスが動かないことである。
深い溜息が私の胸を圧迫し、そして大きく吐き出されると重々しい胸苦しさが取り残された。
ほとんど水上航走を許されない特殊潜航艇には、ジャイロコンパスこそ命の綱であり、
コンパス無しの出撃ということは、
常識では考えられないし、
出撃したところでそれは直ちに不成功と死を意味するからである。
今日までの努力と挺身は、艇の完全装備であった。
しかるに、今となって故障を起こすとは、はたして整備努力の不足なのか、
決定的な運命のからくりのいたずらなのか、私はその判断に迷った。
私は固い強い拳で無心に机をたたいた。
「ジャイロが何だ、俺は魚雷を持っている。魚雷を命中させればいいではないか」。
そう独り決めして、私は憤然として立ち上がった。
ジャイロコンパスが故障していることは、出港するときからわかっていたことで、
上官から「酒巻少尉、いよいよ目的地に来た。ジャイロがダメになっているがどうするか」。
上官の最後の念押しである。
酒巻は『力と熱を込め「艦長、行きます」とこたえる』
この時の酒巻の心の逡巡を酒巻は、
苦しかった訓練や技術の取得や激励の見送りなどを振り返り、
『いまさら攻撃中止なんて考えられない。大きい責任と使命が私を縛っていた』
と手記に書いている。
この後手記は出航の場面に移ります。
タンクのブロー音を残し、母艦はぶくっと浮上する。
急いで潜航艇に乗り込む。シューブルブルッ。
タンクへの浸水音と共に私の乗った特殊潜航艇はすーっと波間に進水していった。
今や、日本の運命を決しようとする世紀の戦いは、あと数時間で始められようとしている。
特殊潜航艇のモーターが起動する。
母艦は速力を増していく。
太平洋のど真ん中に、粟粒ほどの特殊潜航艇が、
もんどり打って踊りだし、単独行動を始めたのである。
深度を浅くしながら湾の入り口があとどれ位かと大きな期待に手に汗して、
私はもどかしそうに潜望鏡の上がるのを待った。
しかし、私の期待は微塵に砕かれてしまった。
私の見たものは、恐ろしい方向誤差による海原だった。
潜航艇は盲目航走の結果、湾の出入口方向より、
九十度近くも方向を誤り先行していたのである。
使用不能のジャイロコンパスを積んで潜行する特殊潜航艇は、
目隠しをして道路を歩くようなものだ。
湾内に辿り着こうとする焦燥感に追われながら、
再三再四方向を変えて走行を続けた。
しかし、運命はあくまで執拗に私たちへ味方してくれなかった。
結局はでたらめな走行と、徒労に過ぎなかったのである。
東の空が白み南十字星が消えるころ、
静かに明ける真珠湾がはっきりと現れ、
偉大なる艦隊を守る哨戒艇が走るのを認めた。
私は湾の入り口に向かって盲目の突入潜行を続けた。
(つづく)
参考資料 真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 酒巻和男の手記
増補 復刻合本改定版
NHK関連番組 関連新聞記事等
(語り継ぐ戦争の証言№36) (2024.1.12記)
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