新型コロナウイルス ③ 夕日に湖面が光った
照明の落とされた店内に、ハッチング姿の彼がいた
「明日は緊急事態宣言が解除されるだろう」と報道が伝える。
感染拡大も少しづつ収まりつつある13日、2カ月ぶりに孫二人を連れてドライブした。
3カ月目に突入した「休校」で、家にいる日が多くなり、
運動不足で幾分ポッチャリしてきた孫たちへのささやかなプレゼントである。
自宅から30分、周囲6キロの湖めざして走る車の中で孫たちがはしゃぐ。
春は湖畔に植えられた桜が美しく、湖畔を散策する人で賑わう。
紫陽花の湖畔は、さわやかな風が通りすぎる。
菖蒲園の木道は孫たちのお気に入りだ。用心深いウシガエルが水辺の草むらで泣いている。
なんといってもお気に入りは湖を縦断する大橋だ。その中央、湖の真ん中あたりのお気に入りスポット。
平和の象徴の乙女たち。
黄昏の時間が流れ、暮れなずむ景色に孫たちの元気な声が流れる。
桟橋で釣りをする人のシルエットが、心を和ませる。
いつもなら、夕暮れの歩道を散策する人で、活気のある一日が終わろうとするひと時、
短い時間の賑わいが訪れるのだが、さすがに「コロナ自粛」のこの時期、人影もまばら。
孫たちの元気な声が、湖面を渡る風に乗って消えていく。
人の少なくなった公園を後に、次の目的地に車を走らせる。
目的地はここから5分。城下町の曲がりくねった狭い道路を通り抜けて、
地方都市の小さな繁華街を抜け、
人通りがまばらになる直前に今日の目的地がある。
居酒屋「オーパー」。
彼がオープンしてから10年以上の時が流れた。
彼がどこで修行してきたのか、誰にもわからない。
地方で居酒屋を続けるということは、目に見えない苦労が多いと聞く。
客は名の通ったチェーン店に行きがちだ。
頑張る彼の姿に、月に数度足を運ぶが、
アルコールを飲まない私は、
牛ステーキなど値の張るものを注文し静かな店の雰囲気に溶け込んでいく。
マスクをした孫を車中に残し、
予約しておいたテイクアウトのピザを受け取りに店内に入る。
コロナ騒動で、営業自粛を強いられている店は灯りも落とし、
ひんやりと冷たい風さえ流れて来そうな雰囲気だ。
予想はしていたが、ここ2カ月の間に見せの雰囲気はすっかり変わり
8時までの時短営業だが、「ほとんど客は来ない」と、
ハッチングをかぶり直して自嘲気味につぶやく。
3名のアルバイト店員もいない。
独り身の彼は、生活費だけがあれば2が月ぐらいは耐えていける。
だが、店舗の家賃や賃貸マンションの家賃を考えると、
もう限界だと呟く。
「明日は緊急事態宣言が解除になるだろう。
だが客足が戻るにはおそらくあと数カ月はかかるだろう」
「解除はしたが、三密は守り、人との接触はできるだけ避けるように」
と、専門家や地域を背負う知事等は注意を促している。
段階的に営業や自粛の規制を解除するが、2次感染の恐れがないわけではない。
私たちが今置かれている状況は、
バランス感覚の取れない綱の上に立っているのと同じ状況です。
コロナウイルスを封じ込めるために「経済を今しばらく停止して、大不況の引き金を引く」
のか、「疲弊した経済を立て直す」ために、危険なパンドラの箱を開けて、感染の拡大を内
蔵する扉を開けるのか。
経済が立ちいかなければ、私たちの生活も立ちいかなくなってしまう。
つまり、「経済か 安全か」という二者択一ではない。
感染拡大を抑制しつつ、経済も立て直す政策が今望まれています。
私的生活の範囲の中で考えれば、「緊急事態宣言」が解除されても、
当面の間私たちの生活は何も変わらず、
感染の状況に応じて徐々に自粛の枠を外していく、
という努力が必要なのではないか。
二次感染が起きてしまえば、再び客足は遠のき、
彼のような経済的弱者の息の根を私たちは止めてしまうのだ。
帰路の車の中で考えた。
「客足が戻るのに数カ月はかかるだろう」と彼が言った言葉が、
心に澱(おり)のように沈んでいる。
彼にとっては、今を生きることが、今日を生きることが大切な峠越えなのだ。
その一日一日の峠越えを、見守りながら、私は何ができるのだろうと、
無力な自分が安全の扉の内側に避難し、
何もしてこなかったことを懺悔(ざんげ)しながら、軽くブレーキを踏んだ。
信号は赤。
ピザの匂いが立ち込める車内で、久しぶりの外出に孫たちがはしゃいでいる。
信号が青になった。
ブレーキから足を外し、アクセルを軽く踏み、車をスタートさせる。
あと信号を三つ超えると自宅だ。
若葉が茂る街路樹の道を車のスピードを上げた。
三つ目の信号を渡り、小さな踏切を渡ると自宅だ。
「明日は彼に電話をしよう……」
(つれづれに……心もよう№104) (2020.05.17記)
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