読書紹介「村いちばんのさくらの木」
来栖良夫著 ポプラ社 2015.3刊
「戦争と平和のものがたり2」に収められた短編。児童戦争文学でそれぞれの作品を、戦争と平和という視点で書いたアンソロジーです。その一編が「村いちばんのさくらの木です」。
戦争の時代に生きた作者たちが、思いのたけを静かに語っています。
紹介する作品は、1971年に書かれたものです。
戦争が終わると、又次の戦争が始まる。何世代にもわたって生きてきたさくらの木にまつわる話です。
戦争が始まった。
渡し舟の船頭だった三ぞうは戦争に行った。
戦争に行ったまま三ぞうは帰らぬ人となった。
三ぞうの妻は泣きながら、川のそばの畑にさくらの木を植えた。
やがて三ぞうが残した二人の子どもは 大きくなり、さくらの木もどんどん大きくなっていった。
時代が変わり、三ぞうがいなくなった船着き場には、
木の橋が架かり、やがてコンクリートの橋に変わりました。
戦争のない短い時代が終わると、又戦争がはじまりました。
ある日、役人が来てこのさくらの木を切って燃料にすると言いました。
その時老婆が出てきて言いました。
「死んだ三ぞうのみがわりのつもりで、この木を植えて、子供二人を育ててきました。
……おまえさんらは、死んだ人のみがわりまで、戦争にもっていくつもりかね」。
孫たちまで戦争にとられてしまったおばあさんの必死の抵抗でした。
今では、村いちばんの大きな桜の木になり、
風が吹くと、
花びらが三ぞうがいた渡し場跡や、
川の上に飛んでいきます。
小説はここで終わります。
いつの時代にも戦争の犠牲になるのは、非力な人々です。
戦争の悲劇を、庶民の目でみつめ、愚かしさをどう伝えたらよいのか、
悲しい出来事をどのように子どもたちに伝えたらいいのか、児童戦争文学の課題は大きい。
どんな大義があっても、人を殺して良いとは決して言えません。
戦争はその線上にあるもの。
戦争の悲惨さ、残虐さ、人間としてしてはならない殺戮というものを、孫子に伝えることが平和への道につながると思います。
それをどうやって伝えるか。
今、ゲームで平気で殺しあうものが人気があります。ゲームでは殺されてもすぐ生き返って、またゲーム参戦です。
「死」というもの。殺すということの善悪に無感覚の子どもが増えるのが怖いことです。
読み聞かせや、絵本、本を通して、親が子へ口伝として伝える時ですね。
園児の頃から、伝えたいものです。
頑張ってその任に励んでくださいますように。
その裏に潜む避けては通れない、いのちの大切さを伝えることを心がけています。だから、声高に、「戦争反対」とはいいません。「戦争反対」と言えば、かならずそっぽを向く人がいるからです。
人間は、正しいことでも、正面から言われると、耳をふさいでしまう人が少なくないからです。自分で考え、自分で決断をする余地を残しておかないと、人はそっぽを向いてしまいます。
事実を丁寧に、優しく伝えることが何よりも大切なことかと思っています。
戦争については私のブログ・カテゴリーに目を凍していただければ幸いです。
最終行 凍していただければ→通して
の間違いです。
参考ブログ
カテゴリー読書案内
「荒野に追われた人々」「火垂るの墓」
カテゴリー戦後70年・証言
などに目を通していただけると幸いです。