読書案内「恐山」(愚か者 畸(き)篇小説集 所収)
車谷長吉著 角川書店2004.9刊 現在品切れ中。
不思議な余韻が残る
400字詰め原稿用紙4枚足らずのこの掌小説は次のような文章で始まる。
私は本州最北端の恐山へ行った。
ここは人の死後、その霊がただよい集まって来るところである。
バスを降りて歩いていくと、幅二間ほどの川が流れていて、左手の静謐な湖へそそいでいた。
川には天の橋が掛っていた。
渡り終ると、そこの裸土の上に「三途の川」と記された石柱が立っていた。
はたして私は三途の川を渡ってしまったのであった。
現実の世界から仮想の世界に入ってしまったということか。
以後、霊場・恐山の描写が次のように続く。
真夏であるにもかかわらず氷雨が降りしきり、吹き起こる風に鴉の群れが、天に渦巻いていた。
瘴気(しょうき)が沸ったち、草木は枯れ、…(略)…
死霊鎮魂の石積みが数知れず、その石積みに差された紅の因果の風車(かざぐるま)がうなりを上げていた。
荒涼とした霊場の風景、それは現実の恐山の風景でもあり、「私」の心象風景でもあるのだろう。
続く描写は、
私は霊場の地べたに額づき、また石を積み、亡き父に己の罪科をわびた。
そうか、父に罪科を詫びるための恐山への旅だったのか。
とここまで読んで納得。
しかし、父への鎮魂の描写は、これ以降全く出てこない。
これで物語の半分である。
作中の「私」はこの後再びバスに乗り、
津軽海峡の激しい波濤に洗われる「仏が浦」を目指すことになるが、
亡父とは全く関係のない不気味な世界へ読者を運んでいく。
どうやら、若い女との不倫旅行らしいのだが、この女の描写はほとんどない。
不倫旅行には全く不釣り合いな場所に、女と二人秘境の宿に泊まり、「私」は異様な体験をする。
そして、読者をあっと言わせる結末に、この掌小説の不気味さと、
心に刺さった棘のように気になって忘れられない不思議な余韻が残った。
余話:「畸篇小説」とは作者の造語らしいが、「畸」とは、意味の解らない、人とそり合わない、孤立した状態、風変わりな状態などという意味らしい。ここに収められた31の掌編はそれぞれに独特の世界を醸し出し、読者を魅了し、或いは嫌悪感を持たせるような内容である。作者の直木賞受賞作「赤目四十八滝心中未遂」もまた、社会の底辺に生きる人間のどうしようもない姿を描いた小説であった。
著者 車谷長吉は2015.5.17に逝去 享年69歳
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