「近代京都オーバーレイマップ」で明治25年の地図を眺めたりしていると、やはり明治時代の偉業である京都疎水を見たくなってきた。
京都市上下水道局のHPより↓
琵琶湖疏水は着工から5年後の明治23(1890)年に完成しましたが,水力発電を採用したおかげで,新しい工場が生まれ,路面電車も走り出し,京都は活力を取り戻しました。
それから20年後,更に豊かな水を求めて第2疏水を建設し,同時に水道と市営電車を開業したことで,今日の京都のまちづくりの基礎ができあがったのです。
南禅寺の駐輪場に自転車を置いて散策開始。
久しぶりの南禅寺、この季節の観光客は少ないです。
いつ見てもでかい三門でございます。
苔がきれいです。
本堂の瓦に「南禅」の文字があるのを初めてしりましたよ。
水路閣にとうちゃこ~。
よくぞまあ、南禅寺の敷地内に敷設できたもんです。
カップルがよく撮っている構図。
デザインが素晴らしいです。
このトンネルから分岐して岡崎公園や若王子から哲学の道のほうに流れていく。
昭和10年の都市計画図より
南禅寺の鐘楼のところから水路に沿って歩いてみる。
ここは水路閣の上。
上流への小道をいく。
ん?明治時代の石垣が見えているんですかね。
ここだけ石積みのやりかたが違う。
上のところまできましたよ。
パイプでドドーンと水を落とし発電。
水の流れが綺麗です。
水流は中央に集められます。
東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎さま。
土木技師として大活躍。
インクライン。
桜の名所としても有名。
ウィキペディアより↓
蹴上インクラインは蹴上船溜りと現在の琵琶湖疏水記念館前の南禅寺船溜りを結ぶ延長640m、軌間2540mm、敷地幅22m、勾配15分の1の路線で、運転用の巻き上げ機は蹴上発電所の電力で運転した。通過時間は10分から15分だった。
あらためて疎水を見ると、明治の人たちは偉かったとしみじみと思う。
疎水・・・寺の敷地によくぞ建設許されましたね?
明治政府?京都市の役所員の力が強いのでしたか?
守り継がねばいけませんね。
関西の地震にも耐えられた建造物
昔の方に感謝!!
建設機械のほとんどない時代に人力で作り上げたのが凄いですね。
どうも京都人が東京に遷都され活気がなくなるのは怖いとの思いか、坂東平野の野蛮人には負けられないとの意識が働いたんでしょうね。
それにしても美的感覚の優れたレンガ造りの屈強な建造物は細かな箇所をみても関心させられます。