すっきりと晴れ渡った五月晴れ。
新緑を求めて京都市北部をアルトワークスでドライブ。
雲ヶ畑への道。
新緑がきれいです~。
山には木々に藤がいっぱい絡みついている。
集落に到着。
集落内の道は細く、車1台がやっとのところもいっぱいある。
雲ヶ畑厳島神社にお詣り。
京都市の案内板には以下のように書かれていた。
「平安時代中期に編纂された律令の施行細則『 喜式』に「天津石門別稚姫神社」と記載される神 社と考えられている。
この地周辺の雲ヶ畑中畑町・中津川町は、平安時代以前からの集落で、平安京造営の際に用材を伐り出した地域であるとも言われ、当社は産土神として信仰されてきた。
祭神の天津石門別稚姫が出現したという石門岩が本社後ろの山麓にあり、約五メートルのニつの巨岩が十五メートル程離れてそびえ立っている。
祭神・天津石門別稚姫が女神のため、弁財天(知恵や音楽を司る女神)信仰が生じ、明治以前は石門別弁財天、雲ヶ畑弁財天と称したが、明治の初め廃仏毀釈の際、弁財天のままでは廃止されるため厳島神社と改称した。
境内には、中畑町・中津川町の各所にあった宮 が集められ、小宮として祀られている。」
参道の石段は苔で彩られているようにも見える。
本殿右側の山に二つの巨岩が今にも落ちてきそうな感じでそびえ立っていた。
この巨岩に神の力を感じたのかな。
・・・・・
雲ヶ畑から持越峠を越えて真弓集落経由で162号線。
笠トンネル手前の交番を右折して、岩戸落葉神社にお詣り。
秋にはイチョウの落葉で人気のある神社。
京都市の案内板には以下のように書かれていた。
「岩戸落葉神社 御祭神として、天御衣織女稚姫神、弥都波能売神、瀬織津比咩神の三神を祀る。
落葉姫命を御祭神とする御霊社 (本殿右) を摂社とする。
当神社の創建年代は不詳で平安時代 前期には已に祀られており、岩戸社は元の 天津石門別稚姫神社、落葉社は元の堕川神社で共に延喜式内社であったが、元和年間に岩戸社が火災に遭い、落葉社に合祀され岩戸落葉神社となった。
この地、小野郷は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれ、寛仁の御世には賀茂別雷神社の神領となり、次いで天領(天皇家の御領)となった。因に、源氏物語のモデルとなった落葉姫の名はこの里を閑居の地とされた事に依る。」
左側の本殿には天御衣織女稚姫神、弥都波能売神、瀬織津比咩神の三神を祀る。
右側の摂社が落葉姫命を御祭神とする御霊社。
イチョウが高々とそびえ立っている。
ほっこりとした気分に浸れます。
周山街道を走っているとき、気になっていた神社にやっとお詣りすることができた。
ブログ読ませてもらって感激!!
細い道をスズキは走れるから・・・
今から急遽・・・味噌仕込みの講師に走ってきます。
帰宅後にゆっくりと道順を検索します。
目に青葉・・・ありがとうございます。
細い道を走れる軽自動車が自分の目的にはぴったりです。
農家と農家の間の細い道を走れない普通車は欠陥車だと思っています。
日本の道に合った車が最高です。
で、このような車で細い道を走って新緑を探すのが楽しいです。